書店から泣いて帰ってきた話
私の町には書店があまりない。
私の住んでいる町は田舎なので、本屋に行くとなると
車に乗って30分くらいの商業施設の中か、メガドンキの中のマッサージ屋の隣か、入るのをためらうほど古い個人店になる。
現代短歌が好きなのと、詩人の友人がいるので、歌人や詩人が本を出したり寄稿をしたりすると
私は小さな町の本屋を車で巡って、取り寄せてもらったり図書館に行ったりして探し回って読んでいる。
しかし、古本屋でも詩のコーナーはめったにない。歌集なんてよほど有名じゃなければ置いてない。コーナーすらないのは当たり前。詩や短歌や俳句をおもしろがって読む人がこの町にはそれだけいない。
引っ越すたびにそんな仕打ちを受け続けて10年経った。
そしてまた新しい町へ引っ越してきて期待せずに最近行ったとある書店。ここが私の運命の書店となる。
敷地も駐車場も広いのにいつも空いていて、駐車場には緑がある。
店の前にはベンチと自動販売機が2つずつ。
車通りの多い道から敷地へ入っていくのだが、突然とても静かになる不思議な雰囲気の書店だった。
お店は中規模くらいなので品揃えには期待できると思っているが、その期待を何度も裏切られてきたので油断はできない。
ずっと探し続けてきた『NHK短歌』が当たり前のように置いてあった。
そして、『すばる』『群像』『現代詩手帖』『スピン』『新潮』『飛ぶ教室』……私が他の書店で取り寄せてもらったり、取り扱いが無いと断られてきたものがすべて、すべて置いてあった。
"一部書店"にある市民文芸の冊子も置いてあった。
店内は音楽も放送もかかっておらず、お客さんも目の前の雑誌に立ち止まったり、歩いたりして、にこにこ笑ったりしていなかったけど、とにかくその場にいる全員が楽しそうにしていた。
私もその中の一人だった。
私は田舎にしか住んだことがないので、東京ではこの品揃えは当たり前のことかもしれない。
でも、10年間書店をはしごし続けて買っていた身からすると、文芸誌をこんなに置いてる田舎の書店なんてありえないのである!
好きな作家が書く文を読む。それだけ。
それだけのことを10年間ずっと求めていたんですよ、私。
こんな書店に来たかった。
雑誌の表紙たちをこんな風に見たかった。
店を出るころには涙が出ていた。
どんな書店にも詩や短歌のコーナーがほしかった。
自分の好きなものが隅に追いやられることが悔しくてたまらなかった。
どんなに気持ちを話しても
「そんな難しそうな本読んでるなんてすごいね」と言われた。
すごいねと言われるために読んだことなんて一度もない。
「詩ってポエムだよね?そういうの書いちゃう人?」と笑われたこともある。
それから文芸誌のことを人に話すのをやめた。
いい書店との出会いは、自分の想像している以上に自分を豊かにする。
小さなころ、うまくいかないことばかりで悲しみながら大人になってしまったけど、
大人になって、小さなころの自分が悩んでいたことが大きな救いに変わるようなことがたくさん起きている。
小さなころの自分を泣き止ませたら大人になった私の役割も終わるのだろう。幸せになる、ということに無抵抗でいようと思う。