気まぐれ創作裏話⑪~原発と天狗党討伐
度々中断している「鬼と天狗」ですが、現在のペースで行くと、来月上旬~中旬にかけて、最終話を迎えます。
連載期間は一年余り、文字数も40万字を突破と、かなりの長編になりました(^_^;)
かくいう現在は、十月に行われた「那珂湊総攻撃」の下書きの段階に移っています。
(順次公開します)
ただ、細かい地理関係については日々Googleマップを駆使し、検証を重ねているわけですよ。
何せ茨城県外の住人にとっては、「日立市」「ひたちなか市」「大洗」「那珂湊」の区別が、つきにくい。
茨城県は、昭和及び平成の大合併で消えた地名も、かなり多いですしね(^_^;)
今現在よく出てきている下孫なんか、バス停などの名前からようやく掴んだ次第です。
概ね、常陸多賀駅の北側の辺りが幕末の頃の下孫・上孫地域に当たるでしょうか。
で、ふと気がついたんです。
鳴海は十月二日に「村松」へ陣営を移動しています。この理由についてははっきり書かれていないのですが、北の助川城攻略が完了していることと、湊方面の大発勢&筑波勢との決戦に備えてなんだろうなあ……ということは、何となく思いました。
そして、水戸市史などに出てくる地図と現代の地図を比較して思ったのが……。
何気に、現在「国営ひたちなか海浜公園(今の時期はコキアの紅葉で有名)」として整備されている辺りや、その北側の地域は、天狗党騒乱における主戦場となったわけです。
これって、そのまま「史跡」としても重要なんじゃない?とやや興奮したのですが……。
見ると、「J-PARC」や「JERA」などの見慣れぬ横文字の施設が、ずらずら並びます。
気になって調べたところ、J-PARCは「日本原子力研究開発機構」でした。JERAは東京電力フュエル&パワーと中部電力との合弁株式会社。
早い話が、原発関連の施設が集中しているんですよね、この辺り。
東海村にJCOの施設があるのは、1999年の臨界事故を記憶している世代ということもあり、気になっていたのですけれど。
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何か160年経っても、「国防政策」と切っても切り離せない地域なのだなあ……と、思った次第です。
そんなわけで、この辺りで「天狗党騒乱」の痕跡を探そうとしても、その多くが原発関連の施設の敷地内。
色々と、考えさせられますね。