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【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~出水(3)
伊藤に見送られて、剛介等が伊藤の邸宅を出ようとしたときだった。刹那、垣根の影から飛び出してくる小柄な姿があった。その手には、脇差しが握られている。一回り体の大きな宇都が身をかわすと同時に男の両腕を取り、後手に捩じ上げる。脇差しが、道に落ちた。
あの御船で捕虜にした、中原だった。中原も出水の出だったのか。不意に、やり場のない怒りを覚えた。
「家に帰ったのではないのか」
剛介の詰問に、少年はぎゅっと唇を噛み締めている。
「答えろ」
思わず、口調が荒くなった。
「どんわろもこいも、政府に騙されやがって」
その言葉を聞いた途端、反射的に手が出た。剛介の拳に、中原の体が軽々と吹っ飛んだ。今まで人を斬ったことはあっても、殴ったことはない。微かな痛みを感じて己の拳を見ると、中原の歯で切れたのか、剛介の右手の甲には、赤の線が刻まれていた。
「辺見先生のためならば、こん体など惜らしものか」
中原は、剛介に殴られたにもかかわらず、きっかりと視線を据えてきた。
「馬鹿馬鹿しい」
思わず、吐き捨てる。何のために、お前の命を救ったと思っている。まだ先があるからと思えばこそ、温情を掛けたのではないか。
「そげなお前は、私学校の遣(や)い様(よ)に疑問を持たなかったのか」
宇都が冷ややかに訊ねた。この男が怒るのも無理はない。宇都は私学校のやり方に異を唱え、故郷を追われた。辺見十郎太は、私学校の教師陣の中でも特に過激派として知られていた。その辺見の言に踊らされた将来の義弟を、斬らなければならなかったのだから。
「出水を捨てていった人に、何がわかっとですか」
中原が吐き捨てるように言うと、宇都の顔色が変わった。宇都の痛い所をついたに違いない。
「そいに、川路殿の遣い様は卑劣だ。巡査を東京から送って、南洲先生の暗殺を図っちょったじゃねですか。己の立身出世の為に、人の情を利用して」
それは、剛介も思わないではなかった。警視隊の者は、福島や宮城、群馬、茨城には特別徴募の声が掛けられた。それらの者は、そのことからも、奥州の人間の感情を逆手に取ったのは、明らかだった。また、薩摩出身の巡査は、多くの者が郷士出身だった。それも、「郷士を牛馬と同じ様に扱って良い」とする、忸怩たる感情を逆手に取って川路は盛んに士気を煽った。確かに、その発想は悪鬼のようだ。だが、眼の前の若者が綺麗事の御託を並べているのにも、どこか腹立たしさと空々しさを感じる。戦が綺麗事だけで語れると思っているのか。
確かに我々は、官軍だ。だが、そういうお前はどうだ。綺麗事ばかりを並べ立てて、何を守ろうとしている。
「では、尋ねる。お前が守るべきものとは何だ」
剛介の問いに、中原は即座に答えた。
「南洲先生だ」
「それだけか」
思わず、中原を睨みつける。剛介の冷ややかな気配に押されたか、中原は黙った。
「多くの無辜の民を巻き込み、政府のやり方に異を唱える。それが正道のつもりか。従軍を拒む者に暴威を以て迫り、応じなければ斬殺したというではないか。妻子に危害を加えると脅したとも聞いている。それの、何処が天を敬う行いだという」
私学校は、そもそも鹿児島士族の手で、亡國を憂慮して作られた学校だった。本来は学問をするべきはずの学校が、専ら軍事教練に力を注ぎ、政府から警戒された。遂には、薩摩の者たちの軍事拠点とされるに至り、日本全国の士族に決起を呼びかけようとした。その矛盾に、どうして気づかない。亡國を防ぐための学校ならば、強兵の在り方だけでなく、いかにして民を守るかを教えるべきだったのではないか。それを怠ったからこそ、徒に力に托み、政府のやり方に異を唱える者が決起したのではないか。
不意に、疲れを感じた。結局、力に物を言わせ、この土地の民に迷惑を掛けているのは自分たちも同じだ。
「お前は、まだ若い」
剛介は、静かに言った。
「お前が学んだのは、力の使い方だけだったのか。それを今一度、考えてみることだ」
「でも」
まだグズグズと言う中原に、さらに畳み掛けた。
「命さえあれば、いくらでもやり直せる」
その言葉に、中原がはっと目を見開く。お前まで、自分や宇都のように手を汚す必要はない。そして、中原。我々の行いが正道かどうかは、後世の人間が決めることだ。
「でも、大勢の官軍の人間を斬ったし、ずっと賊と言われるだろう。そのような恥辱を受け続けるならば、死んだ方がましだ」
そう言うと、中原はうなだれた。
ああ、この少年も「賊」という蔑称で呼ばれることに耐えきれずに、ずっと薩軍の為に働き続けたのか。いや、出水の出ならば、宇都と同じ様に「郷士」であることに鬱屈した思いを持ち、その鬱屈を晴らさんと、私学校に身を投じたのかもしれない。周りの大人が戊辰の役でどれほど苦しめられたかも知らずに、喜び勇んで薩軍の徴募に応じたのだろう。だが、もうよせ。十分に戦ったではないか。
「お前の父母はどのような形であれ、お前が死ぬことを望んではいないと思うぞ」
剛介は、努めて口調を和らげた。それは、自分自身が二本松に帰って初めて理解したことでもあり、自分自身が子を持つ身となって知ったことでもある。そして、自分が中原の父母であったならば、やはり生きていてほしいと願うだろう。
恨みがましいような、それでいて助けを求めるような色が、中原の双眸に浮かんだ。
「大丈夫だ」
畳み掛けるように、剛介は請け合った。
「私も、公や恩師のためならば、命など惜しくないと思っていた時期もあった。だが、戊辰の戦いで『二本松の種子だからこそ生き延びねばならぬ』と言われ、今こうして生きている。生き延びたからこそ、この地に来た。薩摩の者同士の争いがどのようなものか、確かめる為に」
中原が、目を見開く。側にいた宇都や伊藤も、剛介の言葉に聞き入っていた。
「今では薩摩の者に助けられ、私も薩摩の者を救いたいと思う。本当は分かっているだろう。憎しみは、新たな憎しみしか生まないのだということを。その業に囚われた一番の犠牲者は、西南の地に暮らす者たちだ」
官軍も、多くの軍夫を使い、薩軍の残兵をあぶり出すために、民舎に火を掛けている。決して、官軍を名乗っているからといって、威張れたものではない。だからこそ、その醜悪さから目を背けてはならないし、相手が薩摩の者だからといって、もう憎む気にはなれない。薩摩の人間の過ちを一番よく分かっているのは、薩摩の人間なのだから。
「この先、お前が裁きを受けてどこへ遣られるかは、我々も分からない。だが、これ以上自分を責めるな。そして、もう人を傷つけるな。これ以上誰かを殺めれば、それだけお前の癒えぬ傷が増えていく。ここは生き延びて、次に繋げ」
剛介の言葉に、中原が一筋の涙を流した。
>「出水(4)」に続く
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