薄給の二本松藩

昨日に続いて、再び二本松ネタです。
昨日が落城の日だったもので、さすがに真面目に新作のための資料を整理しようと思い、再び山鹿流と向い合っていました。

ところでふと思いついて、二本松藩士の給料を計算してみました。
一応、中士~上士は、「石高」で給与計算がされます。
これを、現代のお米の価格に当てはめてみました。
計算方法は、昭和54年に歴史春秋社から発刊された「奥州二本松藩」(安斎宗司著)によるもので、米価を現代の価格に直したものです。

大体、今の米の相場は3,800円/10kgくらいでしょうか?
これを米の単位に換算すると、約7升。
@543円/升です。
これを、「直違の紋~」の登場人物に当てはめてみます。

武谷家(70石):9人扶持
彦十郎家(1400石):98人扶持
丹羽丹波様(3200石):192人扶持

ところで、二本松藩では扶持人数一人につき、1日5合の玄米が支給されていました。
それを、365日計算で当てはめると、次のような計算が成り立ちます。

武谷家≒9✕365✕5✕54(@543円を切り下げたもの)=893,520円
彦十郎家≒98✕365✕5✕54=79,657,900円
丹羽丹波≒192✕365✕5✕54=18,921,600円

これが、二本松藩士の年収です。

鳴海や丹波様はともかく、びっくりするくらい、収入が少ないですよね💦

まず、武谷家。「直違の紋~」の主人公である剛介の家ですが、辛うじて中士くらいの家柄でしょうか。
いや、バイトじゃ無いんですから💦
「直違の紋~」でも、剛介の父親の半左衛門様が、「手持ちが少なくなってきた」と訴える場面がありましたが、あれは誇張では無いです。

次に、彦十郎家(大谷鳴海)。
この人は、藩の中でも指折りの高給取りです^^;
大体、番頭や家老は大身の家柄でないと就任できないのですが、下記の表を見ていただいても、かなり上位に入っていることがわかるのではないでしょうか。

それでも、生活はきつきつだったはずです。
スピンオフでちらっと書きましたが、万延元年~文久元年にかけての富津在番が、彦十郎家の担当でした。
その費用は自前ですし、幕府からの手当は「下生り物」の税収のみ。ほんと、たまったものではありません。

そして丹波。
この人も、結構出張しているのですが、その費用はどうしていたんだろう^^;
そして、何気なく「贅沢」な様子が伝わってくるのがこの方で、そりゃあ、和左衛門がぴりぴりするわ~、三浦権太夫が切れるわ~と、思った次第です。

いや、武谷家なんてホント薄給で泣けてきますよ💦
(しかも、給料は遅配気味)

実はこの計算式、現代の米の単価の切り捨てがおかしいんじゃ……と感じたのですが、元ネタ(奥州二本松藩)の計算式そのままに、現代の価格を当てはめてみました。

そんなこんなで、今回は経済政策にも、多少目を向けてみようと考えています。
→結局は借金は踏み倒されて、幕末を迎えるのですけれどね^^;

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