音楽遍歴のはなし その2
前回から1ヶ月以上経ってしまったが、そこはご愛嬌ということで…
浪人時代
高校を卒業し、晴れて……浪人生になった。学校の定期考査ですら前日までまともに勉強しないほど勉強嫌いの自分が、付け焼き刃のような受験勉強をしたところで失敗するのは明白だった。
予備校生活でも相変わらずウォークマンで音楽を流しながら通学・自習をしていた。しかし、偏ったジャンルから脱却するかのごとく、いきものがかりやJUDY AND MARY、THE BLUE HEATS、筋肉少女帯など聴いていた。
この時期、今まで熱中していた吹奏楽と程よい距離感を保つことができた。一歩離れたからこそ感じることが多く、当時の自分なりに今後の音楽との付き合い方を少しでも考えられる良い機会になった。
大学時代
新たなジャンルに挑戦!ということで、軽音サークルに入部。ここでトロンボーンへ鞍替えし、ビッグバンドやジャズコンボで時にはゆるく、時には真剣に活動していた。
ここで受けた影響も大きく、今でもカウント・ベイシー楽団(注1)やジャズテイストのインストバンドの曲はちょこちょこ聴いている。あと、高校時代と打って変わって、吹奏楽コンクール(注2)などの大会の雰囲気がいつしか苦手と感じるようになった。
ある日、吹奏楽つながりの友達の誘いで、地元のアマチュア奏者が集う演奏会に参加することに…。高校時代からひそかに尊敬していた指揮者の先生(友達の恩師)のもとで、年齢もバックグラウンドも異なる方々と演奏することは刺激を受けることばかり。
今までで一番「演奏していて楽しい」、「今度も必ず参加したい」という気持ちになるほどエキサイトした。(その後、奏者として参加できなかったため、ステージマネージャーとして2年間参加したり、当時のパートメンバーとの定期的な集まりに参加することに…)
社会人になって
大学卒業後まもなく就職し、社会人バンドに入ろうと思ったが、シフト勤務かつ平日休み…という環境からいつの間にか演奏することから遠ざかってしまった。
「いつかまた楽器を吹きたい」と思っていたら、世間はコロナ禍に陥って状況が一変したり、「いつかまたあの人と演奏したい」と思っていたら、その人が病でこの世を去られてしまったり…と「『いつか』は無い」ということを痛感し、今、今後のライフスタイルを含めて模索している。
(注1)カウント・ベイシー楽団…アメリカのジャズピアニストであるカウント・ベイシーが率いたビッグバンド。ビッグバンド経験者であれば、このバンドのナンバーは必ず演奏したことがあるといっても過言ではない。
(注2)吹奏楽コンクール…ここでは、朝日新聞社主催の「全日本吹奏楽コンクール」を示す。
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