法然上人1~京都検定1級公開問題~
今年度、法然が開宗した浄土宗は850年を迎えます。
今年12月の京都検定1級の公開問題は法然上人。
法然、浄土宗、また浄土宗寺院について学んだことも書いていきます。
生い立ちと出家
法燃上人、正式名法然房源空。諱 源空 幼名 勢至丸
長承2年(1133)4月7日 美作国(現岡山県)久米の押領使・漆間時国と母・秦氏君清刀自の子として生まれる。
出家には諸説あり。
『四十八巻伝』より
保延7年(1141)9歳 父が夜討ちを受け殺害される。菩提寺の僧・観覚のすすめにより、比叡山へ
天養2年(1145)比叡山延暦寺に登り、源空に師事した。
久安3年(1147)皇円の下で得度、天台主座行玄を戒師として授戒。
久安6年(1150)比叡山黒谷別所に移り、叡空を師として修行。
戒律を護持する生活を送る。
「智慧第一の法然房」称される。
保元元年(1156)清涼寺に7日間参篭
この頃京都は保元の乱の真っ只中。法然は衆生救済について深く考える。
その後、醍醐寺(伏見区)→奈良へ法相宗。三論宗、華厳宗の学僧らと談義した。
一方、
『法然上人伝記』(醍醐寺本)「別伝記」によると
久安9年(1147)15歳 父と観覚に対して「比叡山に登って修行したい」と伝え、父の死は修行中に知ったという。
弟子の弁長著の47『徹選択本願念仏集』にも
法然が「自分は世人(身内)の死別とはさしたる因縁もなく、法爾法然と道心を発したので師(叡空)から法然の号を授けられた」と伝え聞いたと記されている。
法然は8歳で法然房という房号をもらい、源空は師である、
源空と叡空から1字ずつもらったいう。
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