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【コラム】「正常性バイアス」を疑ってみる

(本文:2813字)

災害や防災の話題になると、必ずと言っていいほど「正常性バイアス」 という言葉を耳にする。

「正常性バイアス」(normalcy bias) とは、災害などの危険が迫ってきても、そのリスクを正しく感知できず、自分は大丈夫だと思い込んでしまう認知的なバイアスを指す言葉である。

30分のうちに避難を始めていれば犠牲者は大幅に減ったと考えられているが、震災後の調査では、多くの人が「自分のいる場所が安全だ」と思い込み、避難しないまま津波で亡くなったことがわかっている。

避難を妨げる「正常性バイアス」の罠|FNNプライム

教養・豆知識の一つとして、意味くらいは知っている人も多いのではないだろうか。

災害時に逃げ遅れた人々に対し、「彼らは、正常性バイアスのせいで正しいリスク認知をすることができず、逃げることができなかったのだ」という結論を下す。

そして、「私たちにも正常性バイアスがあるから、気を付けよう」という教訓を得る。

それが、災害関連のニュースの定番となっている。

しかし、私たちの心の中に本当に「正常性バイアス」なる偏向は存在するのだろうか。

すでに、「科学的に証明されてます」と言わんばかりに社会的地位を得ているこの概念を、今回は正面から疑ってみることにしよう。

火災時にもラーメンを食べ続ける客。彼らは「正常性バイアス」にかかっていたという声も (写真の引用元:文春オンライン)


そもそもだが、「バイアス」と言うからには、「バイアスのない正しい認知」が存在していなければならない。

そして、その「正しい認知」からズレるような傾向が認められて初めて、バイアスの存在を正当化することが可能になる。

では、「正常性バイアス」の存在はどのような形で正当化されているのか見ていこう。

学術界で「正常性バイアス」を提唱しているのは、災害社会学・災害心理学と呼ばれる分野である。

この言葉を最初に用いたのは、災害社会学者のマクラッキー (McLuckie, B.M., 1973) である。彼は災害に関する報告書の中で、自然災害において、人々は目前に危機が迫ってくるまではその危険を認めない傾向があり、彼はこれを normalcy bias と呼んだのである。(中略) このバイアスは、リスク認知の感度を下げるように機能することで不安やストレスを低減させるが、同時に、リスクの回避を妨げる役割をも果たしている。

広瀬・杉森 (2005) 「正常性バイアスの実験的検討」

正常性バイアスの存在を示す具体例としてよく挙げられるのが、東日本大震災とアメリカ同時多発テロだ。

 東日本大震災の死者・行方不明者約2万人のうち9割余が津波による犠牲者であるところ、生存被災者の約3割は津波が来ると気付いていても避難しなかった。その原因として「正常性バイアス」が指摘されている。

田中 (2015) 性犯罪の被害者の供述の信用性に関するあるべき経験則について ─防災心理学の知見の応用:正常性バイアスと凍り付き症候群─

 また、アメリカ国立標準技術研究所(National Institute of Standards and Technology(NIST)) が 2011年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の生存者900人に行ったインタビューの結果、飛行機衝突の衝撃後から避難開始まで平均約6分かかり、 人によっては 30分間も避難せず、およそ 1000人が コンピューターを消したり、身の回りのものを集めたり、知人に電話したりして逃げ遅れていた。 

同上

これらの例では、巨大な危機の直前にしても、人々がそれを察知できなかったことの原因として、「正常性バイアス」の存在を想定している。

定式化すると、正常性バイアスは、次の二つの事実をもとにしてその存在が主張されていると考えることができる。

  • 実際に危機が発生した

  • 現地にいた人々が事前にこの危機を察知できなかった

(補足:もちろん、この二つ以外の根拠が挙げられることもあるだろう。しかし、ここで重要なのは、ある事例において正常性バイアスが働いたかどうかが判断されるときには、この二つの事実が最も強力な判断材料となっているということだ)

しかし、この二つの事実は、バイアスが存在する証拠にはならない。

事後を生きる私たちにとっては、東日本大震災の大津波も、アメリカ同時多発テロのビル崩壊も、必ず起こる出来事である。

そんな私たちから見れば、いつまでも避難せず逃げ遅れた人々は、大きな判断ミスを犯しているように見えなくもない。

しかし、(当然のことだが)当時現場にいた人々にとっては、このような危機は起こるかもしれないし、起こらないかもしれない出来事である。

彼らは、危機の発生より前段階で得られる判断材料から、健全なリスクの認知の範囲内で行動した結果、逃げ遅れたのだという見方は十分可能だろう。

予測の仕方が正しいということと、実際に予測が当たることは、全く別物である。

もし、バイアスが働いたのであると主張するのであれば、危機が発生するかどうか分からない状況下においての、「正しいリスク認知」とはどのようなものであるかを示さなければいけない。

そしてその「正しいリスク認知」は、「実際に危機が発生したかどうか」ということを根拠にしてはいけないのだ。

しかし、残念ながら、正常性バイアスの存在を支える根拠のほとんどは、事後的な結果論に基づいている。

同様の視点から正常性バイアス研究の問題点を指摘したのは、矢守 (2009) である。

矢守は、すでに発生した災害に対する事後的な調査を根拠に「正常性バイアス」が働いていると結論づける研究事例をいくつか挙げた上で、次のように述べる。

ここで筆者が指摘したいことは、避難が遅れた、あるいは、避難しなかったという住民のふるまいに対して、論理的かつ時間的に先行する形で、当事者が事態を楽観的に認知すること、あるいは、当事者が自らの危険性を過小評価することーーこれらの心理的なプロセスが介在したと考えることは、一つの解釈としてはありえるものの、そこには重大な疑問も存在するということである。疑問のカギは、「正常化の偏見」 (引用者注: 正常性バイアスのこと) の存在を示す根拠の多くが、上記の 2 つの研究がそうであったように、事後調査の結果に基づいているという点にある。

矢守克也 (2009) 「再論ー正常化の偏見」

「正常性バイアス」は、今や一般社会で広く知られる言葉となった。

しかしこの言葉は、「過去のある出来事は予測可能であった」と事後的に断定し、それを予測できなかった人々を非難する手段として使われてしまっている。

これは、後知恵以外の何物でもない。

「結局、人間のバイアスが原因で逃げられなかったのだ」と思っているうちは何も解決しない。

災害発生時、被災者がどのような情報を知りえ、どのような判断材料のもとでリスクを認知したのか。それを正確に理解して初めて、これからの防災計画に役立てることが可能になる。

そのためには、後知恵的な評価が入り込まないように努力するべきではないだろうか。


2024年6月8日 東京
栗橋きたん


どうも栗橋です!

最後まで読んでくださりありがとうございました

今回は初めて、1文ごとの改行というものをやってみました

学校ではパラグラフ・ライティング(or リーディング)の訓練をやらされてたので、段落が存在しない文の書き方というのはかなり難しいです

どちらのほうが読みやすいのかしばらく実験してみようと思います

ぜひこちらの記事もご覧ください

こういった真面目な記事だけでなく、笑える記事とかも書いてみたいと思ってます

まだまだ読者も少ないので、ぜひフォローお願いします

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【引用文献】

  • 仙台放送「避難を妨げる「正常性バイアス」の罠 東日本大震災 9割以上が「溺死」【宮城発】」FNNプライムオンライン〈https://www.fnn.jp/articles/-/143881〉(2024年6月9日最終閲覧)

  • 広瀬弘忠・杉森伸吉 (2005)「正常性バイアスの実験的検討」『東京女子大学心理学紀要』(1) , pp.81-86

  • 田中嘉寿子 (2015) 「性犯罪の被害者の供述の信用性に関するあるべき経験則について ─防災心理学の知見の応用:正常性バイアスと凍り付き症候群─」『 甲南法務研究』第11号, pp.57-70

  • 矢守克也 (2009) 「再論ー正常化の偏見」『実験社会学研究』48巻2号, pp.137-149

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