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「幸せの総量」の増やし方

「幸せはいつも自分の心が決める」
どこかで聞いた事があるようなキャッチーな言葉だけど、まさにそうだとも思う。
「あなたは今、幸せですか?」と聞かれてなんと答えるだろうか。
もちろん「YES」の人もいるだろうし、「NO」の人もいると思う。

では「どうやったら幸せになれますか?」と聞かれたらなんと答えるだろうか。
なかなか、はっきりとした答えは出せないだろうし、そんなの人それぞれだろうと答える人も多いと思う。
これ自体は当然の事で、「これをやれば間違いなく幸せになれる」なんて事はないからだ。(知らないだけであるかもしれないけど)

更に具体度を増していこうと思う。
「今からあなたに1500円あげます!」と言われて幸せだと感じますか?
大人の場合、大抵の人が嬉しいけど、幸せとは思わないだろう。
(せいぜい豪華なランチが食べれてラッキーと思うぐらい)
つまりは豊かな国に生まれ育った我々は1500円で出来る事ぐらいでは幸せにはなれないという事だと思う。

一度、話を戻して、
「幸せの総量」の増やし方の話なんだけど、総量というのは、「幸せだと思っている人の人数」を増やせば増やすほど総量も多くなっていくんじゃないかと思っている。(当たり前といえば当たり前なんだけど)
そこで先ほどの1500円の話になるんだけど、日本人に渡しても幸せだと感じる人が少ないなら、海外のまだ発展していない国々に渡したらどうだろうということ。
事実はわからないけど、綺麗な水を飲めるとか、一日三食食べれるだけで幸せだと思ってくれる人たちがまだまだいるんじゃないだろうか。
そんな人たちにこの1500円が行き届いてくれたら「幸せの総量」が増えるんじゃないかと思う(単純ではあるけれど)

つまり言いたい事は何かというと、日本人一人ひとりがまだ発展していない国々に向けて寄付をしていったら世の中の「幸せの総量」は増えるんじゃないかという事。

豊かな国に生まれた我々は「恵まれている事」と「幸せである事」は必ずしも一致してこないが、我々が知らないだけで、我々が普通と思っている事で幸せを感じる人たちは少なからずいる。

幸福度ランキングからも見てわかるように「豊かさ」や「恵まれている」といった事が幸せの指標となるなら都道府県別の幸福度ランキングは東京が一番にならないとおかしいんだけど、確か上位は福井かどこかだったはず。
だから今の私たちが幸せになる指標は恐らくお金じゃない。
という事は、お金を物資に変えて、それが発展していない国に届けるようにしてもなんら自分たちの幸せには影響しないという事。
だから寄付をしていく事は誰にとっても可能であるという事だと思う。

少し最近の話をしていくと、
2021.3.11で東日本大震災から10年を迎えた。
そこでYahooやLINEで「3.11」と検索すると、「検索数*10円」をその両社が寄付をするというものがあったのは知っている人も思う。
この取り組みを行った両社はとても素晴らしいものだと思うんだけど、検索をしている人たちに目を向けるとどうだろうか。
検索をするだけで自分は特に何の痛みも追わずに、その画像をストーリーにあげて、良い行いをしたと酔いしれている人たちに見えたように思う。
災害の事を本当に思うなら自分で1000円ぐらいの義援金でも送った方がよっぽど被災地の為にはなるはず。
その考えにならないのが寄付文化がない日本ならではたとも思う。

では、なぜ日本には寄付文化がないのだろうか。
推測での話にはなるが、日本では「お金の話」というのは汚いものだとかタブー視されている傾向にあるように思う。
未だに稼いでいる人は裏で悪い事をやっているイメージを持っている人も多いだろうし。
それで、当たり前だけどお金の話をしないという事は、当然寄付の話もできないという事。
教育課程でお金や寄付の話をしないなら寄付をする人なんて出てくるはずがないだろう。

日本の雇用者数は5000万人以上いる。(ってググったら書いてあった)
ひとり1000円寄付すると500億になる。
普通じゃイメージのつかない金額が簡単に現実味を帯びる。
その金額がまだ恵まれていない地域に循環する事で世の中がどれだけよくなるだろうか。

その為に、今はまだ小額でしか出来てないがこれからも寄付活動を継続していこうと思う。
幸せのハードルを上げるといつか今の自分さえも見失う。

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