「私好みの美人」をAIに描いてもらった
昨年末に、私がふだん使いしている Leonardo.Ai が私の好みを学習していることを記事にしました。それなら、「k.kameno風の美人を描いて」と頼んだら、私のストライクゾーンど真ん中の美人画を生成するのではないか? そう思い、それを確かめるために実験してみました。
12月の記事はこちらです:
1.実験の考え方
Leonardo.Aiに、”kamenoのスタイルで”と指示したプロンプトを与え、画像情報はいっさい与えずに画像生成させたとき、生成された画像のなかに私(kameno)が過去に Leonardo.Ai が生成したのとそっくりな画像があったら、それは、Leonardo.Aiが私(kameno)が好むスタイルを学習済みで画像生成に利用していることを意味する。そう考えて、実験してみました。
ところで、今回はじめて、Leonardo.Ai の Flow stateを使ってみました。これを使うと、一つのプロンプトに対して、映画風、アニメ風、絵画風…...など、様々なスタイルの画像が次々と生成されます。これを使えば、色々な種類の”kameno風”が見られるのでは...…と、期待したのです。
1.「私のスタイルの美人」とプロンプトした
プロンプトで、ズバリ「私のスタイルの美人」と指定しました。というより、それしか指定しませんでした。使ったのは、たった1行の、次のプロンプトです。
✖kameno✖✖✖✖✖ が、私のユーザーIDです。✖の部分は、noteに投稿するにあたって伏せ字にしました。
2.9グループの女性イラストが生成された
上のプロンプトを入れて「生成」をクリックすると、これでもか、これでもか、と次々に画像が出てきました。
見ていると、「アジア風」・「白人風」・「無国籍風」の3タイプの容貌があって、各タイプの容貌に統一感があります。
上の3タイプそれぞれの中に、「写真風」・「絵画風」・「アニメ風」があるので、画像全体が3×3=9グループに分けられる感じです。
3.過去画像とソックリの5つの画像
今回生成された画像で、過去に生成された画像とソックリだった5点を紹介します。過去画像と見比べやすいよう、左に過去画像、右に今回の画像を置きました。
1.アジア風×写真風
アジア風の今回画像(右)が無国籍風の過去画像(左)とよく似ています。容貌がうり二つとはいきませんが、雰囲気がそっくりだと思います。
ここで面白いのは、私が与えた、たった一行のシンプルなプロンプトをLeonardo.Aiが膨らませていたことです。右の画像に紐づいたプロンプトは、次のとおりです。
2.アジア風×絵画風
この組み合わせで、左の過去画像は私の手描きイラストです。Leonardo.Aiに送って色味調整したので Ai 側にデータが残っているのですが、色以外は何もいじっていません。手描きのままの顔の造作と表情をLeonardo.Ai が写し取って Ai絵画を生成している感じです。これには、感心しました。
ここでもプロンプトが膨らまされていました。
3.白人風×写真風
こちらは、新旧ともに白人風で、しかも、双子といってよいくらい容貌が似ています。Leonardo.Ai が記憶を頼りに過去画像を再生したかのようです。
ここでもプロンプトが改訂されていました。
4.白人風×アニメ風
右側の今回イラストは「可愛らしい」系の白人イラストですね。これに対して”そっくりさん”の過去画像(左)の方は、白人風というよりは無国籍風です。ですが、雰囲気はとてもよく似ていると思います。
右の画像に紐づいていたプロンプトは次のとおりです。
5.無国籍風×写真風
この右の画像を無国籍風とするのは、ちょっと苦しいのですが、強引に無国籍風に分類しました。左の過去画像は、はっきり無国籍風です。顔の輪郭と目鼻立ち、そして、なにより、穏やかで優しい目がそっくりです。
ここでも、プロンプトが次のように改訂されていました。
4.AIが特定個人のスタイルを学習できるのは、ちょっと恐い
今回の実験で、私は Leonardo.Ai を絵・イラストという趣味の仲間――それも、私より腕前がずっと上なのに偉ぶらずに付き合ってくれる気のおけない仲間――だと感じました。
しかし……です。もし、私がプロの画家、イラストレーター、写真家だったら、そういうのんきなことを言っていられるだろうか……とも、思いました。
プロの画家、イラストレーター、写真家(以下、クリエイターと総称します)がAIを利用していたとします。双方向でデータをやり取りしていた場合、AI側がそのクリエイター固有の作風を学習できるのではないでしょうか?
親AI派と反AI派の間の論戦で、親AI派が次のような主張をしているのを見かけたことがあります。
私は、AIは便利で重宝なものだと思っています。人間がなにごともAI任せになって思考停止することだけを心配しています。
しかし、それは、「AIが蓄積しているのが人類の集合知であるなら」という条件付きの話です。
AIが特定個人の「知」や「判断」を学習する—ー意地悪な言い方をすれば「抜き取る」――ようになったら、話は別です。それは著作権侵害だけでなく、基本的人権の侵害にまで及ぶ危険をはらんでいるように思えるのです。
私が臆病で被害妄想気味なだけかもしれません。そうであってくれればいいと思っています。それでも、今回の実験をしてみて、面白かっただけで済まない不穏な気分が芽生えたのも事実です。
一方でAIと楽しく遊びつつ、他方で人間とAI、社会とAIの付き合いかたについて考えていく必要がありそうです。
今回はここまでです。お付き合いいただき、ありがとうございました。