絵本・白峰アカネの冒険/13アカネ、「もう一つの歴史」に驚く(その1)
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1 発禁本『魔祓い巫女の歴史』は、「もう一つの歴史」を記していた
その日の夜、アカネは自室で『魔祓い巫女の歴史』を開いた。そこでは、アカネが知っているものとは全く異なる、「もう一つの歴史」が語られていた。アカネは、初め、それをでっちあげのフィクションだろうと思った。
しかし、そこに描かれた状況と人々の動きにはウソと言って片付けられない現実味があり、気がつくと、ページをめくる手がとまらなくなっていた。
2 そもそも国の成り立ちが違っている
ヤシマ国は大洋に囲まれた島国で、歴史のはじまりから一貫してヤシマ王家の支配下にある。そして、「魔祓いの巫女」も、また、歴史のはじまりからずっと、ヤシマ国を魔獣の害から守ってきた。
これが、アカネが巫女養成課程で習った歴史だった。
『魔祓い巫女の歴史』が語るヤシマ国の成り立ちは、これとは全く異なる。この本によると、ヤシマ国領土争いの末に生まれた征服王朝だった。
その昔、ヤシマ国は「北の山国」・「西の山国」・「東野の国(ヒガシノのクニ)」の3王国に分かれていた。当時、ヤシマというのは、この3王国が立地している島の名であり、特定の王国の名ではなかった。
「北の山国」の国土は白峰山を筆頭に高山が連なる山岳地帯、「西の山国」の国土は乾いた山地と砂漠で、どちらも農耕に適さず、山間での狩猟と放牧に依存する貧しい国だった。
「東野の国」は農耕に適した肥沃な国土を有し、農業を基盤に豊かな国を築いていた。
3 「魔払いの巫女」の祖先は傭兵だった
「西の山国」は、狩猟と放牧では十分な食糧と物資を確保できず、不足分を「東野の国」からの略奪で補った。毎年、収穫の季節になると、「西の山国」の厳しい自然に鍛えられた戦士たちが「東野の国」の国境地帯を襲い、大量の食糧・物資を奪い、自国に持ち帰っていた。
貧しさは「北の山国」も同じだったが、「北の山国」は「東野の国」からの略奪ではなく「東野の国」との取引で食糧・物資を得ていた。
白峰山のふもとでは、女性の三十人に一人ほどが空気を自在に操る力を持ち、「風の巫女」と呼ばれ、おもに狩猟に従事していた。『魔祓い巫女の歴史』によると、この「風の巫女」がアカネたち「魔祓いの巫女」の祖先である。
「北の山国」は、「風の巫女」を傭兵として「東野の国」に派遣し、それと引き換えに食糧・物資の提供を受けていた。「風の巫女」たちは「西の山国」に対する防衛の第一線に投入された。
しかし、「風の巫女」と「東野の国」の兵力を併せても「西の山国」との長い国境線を守り切ることができず、毎年のように「東野の国」の国境地帯は略奪の被害にあうのだった。
4.「風の巫女」が白峰山に幽閉された
今をさかのぼること約400年、ヤシマ暦の1400年台に入って、「東野の国」の兵力は大幅に増強されることになる。「北の山国」から傭兵として派遣される「風の巫女」の数が十倍に増えたのだ。
ヤシマ暦の1450年、ついに、「東野の国」は、「風の巫女」たちを先頭に「西の山国」に攻め込んだ。5年にわたる激戦の末、「西の山国」は滅び、その全土が「東野の国」の手におちた。
この直後、「東野の国」が国内に温存していた精鋭部隊が「北の山国」に攻め込んだ。部隊は3日間にわたって国境に近い村々を蹂躙し、住民多数を人質にとって「東野の国」に引き揚げていった。
「東野の国」は、「北の山国」の国王に、人質の命と引き換えに退位するよう迫った。国王は傭兵の派遣こそ行っていたが、それは食糧と物資を確保するため止むなく行っていたことであり、本来は平和的で争いを好まない性格だった。王は、「東野の国」の要求に応じた。
「東野の国」軍に従軍していた「風の巫女」たちも、人質の安全と引き換えに全員が白峰山に集合し「東野の国」軍の監視下に入ることを要求された。「風の巫女」たちは、この要求に従った。
「北の山国」に残っていた「風の巫女」たちも白峰山に集められ、こうして「風の巫女」は「東野の国」軍によって白峰山に幽閉されることとなった。今から300年前、ヤシマ暦1455年のことである。
ここまでの内容だけでも、アカネにとっては足元の地面が抜けるような驚きだったが、さらにアカネを驚かせることが、「魔祓いの巫女」と魔獣の関係について記されていた。
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