絵本・白峰アカネの冒険/14 アカネ、「もう一つの歴史」に驚く(その2)
『魔祓い巫女の歴史』が語るヤシマ国成立の歴史に驚いたアカネは、さらに驚愕の記述に出くわすことになる。それは、「魔獣」と「魔祓いの巫女」の関りの歴史だった。
前回はこちら:
1.魔獣はかつては「神獣」として畏れ敬われていた
『魔祓い巫女の歴史』を読み進めていたアカネの目は、「魔獣は、かつては『神獣』だった」という一文にくぎ付けになった。
魔獣が生息する白峰山は、岩でできた槍が大地から突き出たような険しい地形で水・緑とは無縁の世界だ。『魔祓い巫女の歴史』によると、ヤシマ暦の1200年代まで、ここは無人の地だったという。
白峰山の中腹から山頂にかけて全身を鮮やかな色の体毛でおおわれ人間より一回り大きい生き物が生息していることは、ふもとの人々に知られていた。人々は、人間を拒む険しい山岳地帯で命を育んでいるこの生き物を畏れ敬い「神獣」と呼んだ。
2.「巫女の素(もと)」の発見
ヤシマ暦1350年、現代にいたるまで続く魔獣と巫女の対立の端緒となる出来事が起きた。白峰山の五合目以上に分布するある種の岩石が「風の巫女」の能力に影響することがわかったのだ。
この岩石は、研磨すると赤・青・緑を基調とした美しい玉になり、これから首飾りを作ることができた。この岩石を砕きすり潰して粉末にすると巫女がまとう衣服の生地に練り込むことができた。
「風の巫女」がこの首輪と衣服を身に着けると、巫女の力が増強された。一般女性がこの首輪と衣服を身に着けると、その三分の一ほどに「風の巫女」の力が現れた。
「北の山国」は、この岩石を用いて「風の巫女」増員に着手した。「東野の国」に傭兵として派遣する巫女を増やして、より多くの食料と物資を「東野の国」から得ようとしたのだ。巫女の力を強め・引き出すこの岩石は「巫女の素(もと)」と呼ばれる、「北の山国」にとって最も重要な天然資源となった。
3.採掘場建設と抗争の勃発
「北の山国」は、白峰山の六合目に「巫女の素(もと)」採掘場をつくり、大量の「巫女の素」を掘り出すようになった。それまでは無人の地で「神獣」の楽園だったエリアである。
しかし、採掘のために山に入った人間を「神獣」が襲うことはなく、ただ遠巻きに作業を眺めているだけだった。
状況が変わったのは、採掘がはじまって1年が経ってからだった。「神獣」が採掘場を襲い始め、作業者に多くのケガ人が出るようになった。
「神獣」は「風の巫女」と同じく風を操る力を持ち、一般の人間ではこれに対抗できなかった。ふもとから「風の巫女」が呼び寄せられ採掘場を守って「神獣」と闘うことになった。
「神獣」と「風の巫女」の激しい攻防と採掘の拡大が並行して進み、この過程で「神獣」は「魔獣」、「風の巫女」は「魔祓いの巫女」と、その呼び名が変わっていった。
4.抗争の原因(仮説)
『魔払い巫女の歴史』は、「神獣」(のちに「魔獣」)と人間が争うようになった原因について、ひとつの仮説を提示していた。
それは、「巫女の素」は「神獣」のエネルギー源で、採掘作業で自分たちのエネルギー源が奪われることに危機感を抱いた「神獣」が採掘を止めさせるために採掘場を襲い始めたというものだった。
『魔祓い巫女の歴史』は、「神獣」は、「巫女の素」を直接食べていたのではなく、「巫女の素」から放出されるエネルギーを吸収して栄養源としていたのだろうと述べていた。そして、同じエネルギーが人間の女性に作用すると巫女の力が現れるのだろうと説いていた。
この説に、アカネには大いに納得した。「神獣」(のちに「魔獣」)が不毛の白峰山に生息できたのは「巫女の素」のエネルギ―を栄養源としていたからだろうし、同じエネルギーが巫女の力を発現させるから白峰山のふもとに「風の巫女」が現れたのだと考えられる。「神獣」と「風の巫女」がどちらも空気を操る力を持つことも、両者が利用しているエネルギーが同じものだという傍証になるのではないだろうか?
しかし……この仮説が正しいとすると、それは、「魔獣」が「魔祓いの巫女」を招いたのではなく、「魔祓いの巫女」が「魔獣」を招き寄せたことを意味する。そのことに気づいたアカネは愕然とするのだった。
(つづく)
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