R18作品より 「変態性とは?」
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こんちゃ、あびとぱです。
今回は「作品を描く時のコツ」で手を動かしていて良いなと思ったものを纏めておきたいと思います。(個人用)
具体例として挙げるのはR18指定の同人エロ漫画「玩具少女 無限絶頂に哭く」という作品です。ネタバレ含むので、読みたい人は DL site や FANZAでポチって最高の気分になってから読んでください。
では、いきましょう。
【 玩具少女 無限絶頂に哭く 】
最近読んだエロ漫画の中で最高に素晴らしい出来を感じた「作品」。
それはただエロいことを追求しているだけの「商品」とは全く異なるもの。
この作品を読んだ感想は以下のものです。
「この作品 = 狂気的な「変態性」を持っている」
内容としては、男 = 神, 女 = 道具という環境で女の子を電マで永遠にクリ責めするというシンプルなもの。しかし、その執拗さは度を越しています。
もう嫌だと泣き叫んでも、男共は女の子がもっと狂った未来を見たいとして、手を止めません。多くの人は多分ドン引きするような内容です。(私は好みですが….)
イキ狂わせ、精神崩壊に至るまで余すことなくリアルに描き抜いているという点で「作品の完成度」は素晴らしいものであり、見習いたい点でした。
【 変態性とは? 】
では、この作品からどのように変態性というものを掴めば良いか?というのが疑問として浮かんできます。
変態性と言えば、諫山創先生も上記のように述べています。
簡単にまとめると「変態性 = 社会に知られたら生きていけないこと、願望や一般社会で許されないこと」であると主張しています。
これは納得できるところで、今回サンプルで取り上げさせてもらった「玩具少女」はこの要件を満たしています。
この作品の変態性 = 女の子の道具化を徹底的にやる ということが該当しています。
ここから少し抽象化してあげると以下のようなことが言えます。
「変態性 = 人に許されない, 忌避されることを徹底的にやり込む姿勢」
この姿勢を貫き通すことで、作者の変態性全開の消費型の「商品」ではなく、人の記憶に刻まれるような「作品」になるのではないかと感じました。
つまり、「作品」を作る上で、作者の何らかの変態性は絶対に必要であり、それを鮮明に浮かび上がらせる構図とブレーキなる妥協を絶対に許さずに進み続ける姿勢こそが作者には要求されるのではないかと感じました。
今回の玩具少女では「女の子を虐め抜きたい が変態的命題 → 女の子を虐めるために男が神, 女が道具という学園を舞台にする」みたいな感覚で、その舞台で徹底的に虐め抜く様が変態性という点で最高でした。
そして、その変態性はどこから来るのかと考えた時、「人から許されない事柄」や「忌避されること」が重要であると言えます。
つまり、人として飛び越えないとしている暗黙の了解を意図的に飛び越える。それが創作では必要と言っても良いです。
今回のサンプルでは「女の子は道具じゃない」という人権的な側面に配慮する方面への宣戦布告的な内容であり、一般大衆に受け入れられるものではないことは確かですが、それを踏み越えることで(つまり、女を無理やり道具化することで)作品としてアンチテーゼのような形となり、素晴らしいと評価するものになっていると感じます。(勿論、この内容が正義などとは思っていません)
【 追記 改良ver 】
変態性についての記事を書いたところ、少しモヤモヤしたものが残り、再度考え、変態性について捉え直してみました。
私が変態だと感じた作品は以下のものです。
上記の「White blossom」はストリングスとユニゾンが変態的で傑作ですし、「Etoile」のキャラデザは変態のこだわりのソレです。(美しすぎ)
これらが「変態性 = 人に許されない, 忌避されることを徹底的にやり込む姿勢」という先の定義に当てはまるとは思えませんでした。
なので、こちらの作品を加味した上での変態性について考えたところ、
「変態性 = 常識外のことを徹底的にやり込むこと or その姿勢」
を指すのではないか。と結論としては至りました。
そして、そのテクニックとして何かを「過剰」にするだとか行動などの「異質性」を確保するだとかが存在すると考えられます。
では、それをハックするためには「常識外の一手」というのが必要不可欠であり、それを実現させるために「ラテラルシンキング(水平思考)」などの技術が必要になるという話になるということなのでしょう。
また、常識を破る = 常識を知っている必要があるということも意味します。
様々なことをインプットして勉強するということを忘れずに。
【 まとめ 】
今回はエロ漫画よりスゲーってなった作品から「変態性」というものを考えてみました。
消費型の「商品」ではなく、人の記憶に残る「作品」を作るためには変態性が不可欠であり、それが芸術に通じると感じさえしました。
そして、変態性とは「一般的に許されないことや忌避されることを徹底的にやり込むこと」であると主張しました。
そして、そのために「許されないこと」と「忌避されること」を探そうという結論になりました。
その二つを犯してはいけないことを認めつつ、犯すことにより「作品」としての価値が生まれるのではないかと感じた所存です。
また、タブーを犯すのならば人をドン引きさせるほど徹底的に行うこと。
それはキャラを虐める行為であり、どうしたらもっと虐められるかと考えることに近いかもしれませんが、それによって物語を通して真実が見えてくるのではないかと感じます。
そういう意味で、本当の意味で頭のネジがぶっ飛んだ変態でないとキャラを虐め抜いて作品を作っていくということは難しいとも言えるかもしれません。
【追記 まとめ】
先のまとめでは、キャラを虐め抜くということに対して「こだわり」を持った人間に対する狭い領域での話をしていました。
【追記 改良ver】の章でお話しさせてもらった通り、【まとめ】の章も拡張すると以下のようなまとめの流れになると考えられます。
・消費型の「商品」ではなく、人の記憶に残る「作品」を作るためには変態性が不可欠であり、それが芸術に通じる可能性が高い。
・様々な変態性を考慮して抽象化すると、変態性とは「常識外のことを徹底的にやり込むこと or その姿勢」であると主張しました。
・「常識外」のことに手をつけるために「ラテラルシンキング(水平思考)」を使うことで「常識外の一手」を繰り出すことができると考えられます。
・また、「常識外」を扱うのならば、「常識」をインストールした上で、そこから離れるという必要があると考えられます。
今回は私の性癖(主人公虐)で変態性を語りすぎました。
今後も自分が変化してしまった後でも使える理論にまで拡張して創作活動をできる限り再現性あるものに昇華させていきたいと思います。
モノを考えるためにエロ漫画然り、音楽然り、ゲーム然りで多様なインプットを心がけていきたいですね。