ドラクエ7とは何だったのか?

⚠️注意 : ドラクエシリーズのネタバレを含みます。4,5,6,7未プレイの方はお気を付けて

一つ前の記事で「天空シリーズ制覇するか〜」と言いながら、最後のDQ6を終える前にDQ7を終えました。

この理由はDQ6を終えてから話すとして、結構6に関しては苦戦しています。(個人的に7より問題作かも)

というわけで6の話は置いておいて、7について久々にやって思った感想をまとめておきたいと思います。(プレイ時間70時間強でシリーズ最長 → 流石)

まず、DQ7と言えば鬱ストーリー
しかし、正直そんなに酷いものばかりではないかなという感じではあります(当社比)
鬱なものも何度も多くみていると、「そんなの普通だろ」感が漂ってますからね。
しかし、それは現在DQ以外のコンテンツの過激化の影響もあるのかなと少し感じました。
当時としては酷いとされていつつも、それがスタンダートとなっている今、世界はどちらの方向に行くのでしょうね….?(人は幸せだと不幸なものを見たくなる理論があるように世界は幸せな方向に進んでいるのでしょう。ゆえにもっと酷いことになっていく可能性も….)

他に気になった点と言えば、DQ7と言えば幻のEDが存在すると言われています。
これは多くの方面で「キーファ = オルゴデミーラ説」として流れているわけですが、あのシナリオ上では「ありえない」と言うしかないわけですけれども、それを想定して作っていて軌道変更したのだろうなとやっていて思いました。

参考 ↓

個人的にDQ7は天空シリーズと繋がりがあると思っていて、それは7で使われているマップが4の第6章で裏ボスのエッグラ&チキーラの場所に行くまでのマップとして使われている点やエッグラ&チキーラが鳥vs卵の話をしていることから、エッグラ&チキーラ = 創造主であり、「DQ7は天空シリーズより前の世界線なのでは?」と疑問として持っています。
つまり、エッグラ&チキーラ誕生 → 7 → 6(デュランは倒したので、この順であることは知ってます) → 4 → 5になるのかなとか想像しています。

しかし、一つ気になるのはDQ7において、「神さま」が出てくるのに、それより前の存在がいるっておかしくないかという点です。(7の中において、神が世界を作ったという話は覚えがない….)

また、この動画を見て感じたことは「DQ7」と「DQ12」が若干似てね?ってことです。
DQ7で出来なかったことをやるためのナンバリング
それがDQ12という機会になるのかなと

私の頭の中を具体化してくれている記事↓

ここで述べられていることに加え、DQ12もかなり制作が遅れているということでシナリオなどで大きな負担があるのでは?と
7の時に大変なことになった経験から発売時期など情報を制限している節が見られる気がしています。(7の当時を経験していないので、断定はできませんが….)

まぁ、全て憶測の域を出ませんが、今ある情報で可能性としては検討するに値するのかなと個人的には感じています。
未完のドラクエとも言われる7で出来なかったことを12という遺作で成し遂げる。これはどれだけ時間がかかろうともやり遂げるという意志を制作期間から感じている日々です。

DQ7をやっていて思ったことは、そのくらいです。
個人的には「キーファ=オルゴデミーラ」にしてくれていた方がストーリーとして、線が通っていたので良いと感じており、単体作品では「最高傑作」とすることができたかもしれないポテンシャルがあっただけに残念でした。(ドロドロストーリーや石板システムは嫌いでもないし、結構敵が強かったり、縛りや頭を使う要素が多いため、RPGとして完成度は◎)
それでも結果がこれであるのは変えられないので、私はその無念をDQ12で晴らしてくれると信じて次作を待ちます。

この感想は思い出補正が存在するのでしょうか。昔は5,7,8,9をやったことがあるだけで、何が一番最初であるかも分からないために、思い出補正を特定することは難しいですが、それでも7は結構好きな部類に入りますね(それゆえに最後の流れを綺麗にして天下を取って欲しかった)

というわけで、ダラダラ言っていても仕方ないので天空シリーズ制覇するために、さっさと6を終わらせようと思います。

追記: 
「DQ7とDQ12で同じことをやるということはないけれど、似たものになる」という立場を取っていましたが、DQ7が旧約聖書に基づいているならば、DQ12は新約聖書で有名なキリストとユダの物語を踏襲する形になるのではないかと思っています。
サブタイは「選ばれし運命の炎」となっていましたが、キリスト(ドラクエの世界での竜)に選ばれた12人の弟子のことを指しているのかなと。
でも、それってドラクエにしては人数多すぎないか?という感じですよね。
一人裏切る(ユダ)としても、計11人のパーティになってしまう。この中から聖書の内容に基づいて減っていくということも….?
新約聖書ではキリストが死んで生き返って、また死んでという形になっていたと思いますが、その辺を踏襲しているかどうかは見ものだと考えてます。
そう考えると、DQ12はDQ7よりも鬱的に酷いことになるかもしれないかなと感じています。キリストはどんな仕打ちを受けても人を愛そう的な思想の持ち主であり、DQ11のテオのように「恨んではいけない」ということを全面に押し出すようなストーリーになると考えるからです。しかし、人は襲ってくるので、悲劇の連続になるだろうなと。
また、新約聖書に関しては現代の宗教的な側面も強く、この辺はしっかりとしたシナリオの対応が必要になるのでは?と思っており、これが発売に年月をかけている原因なのかなとも推察しています。
海外に対して売れなければ、利益は元を取れないのが現実ですから、海外への配慮という面は徹底しないといけないと思いますしね
あと、最後になりますが、タイトルの「DQ7とは何だったのか?」という問いに関する答えは「天空シリーズの聖書」と答えるのがピッタリなのかなと。
あと、12に関して、11→3→1→2→7→12→6→4→5とかの流れを作るためのナンバリングでもあって欲しいなとか思っていたりします

追追記:
前で「選ばれし運命の炎=キリストの弟子達」と言いましたが、もしかしたらその通りかもしれませんが、「選ぶ」のは「竜ではなく勇者である」という解釈の方が正確であると考え直しました。これは巷で噂になっている歴代ナンバリングのT=剣になっているにも関わらず、12ではなっていないことから、勇者は死んだ世界線であるかもしれません。
参考↓

これはキリストが死んだことと合致しますし、新約聖書的には「弟子を選んだのはキリスト=仲間は勇者が選ぶ」という図式になるのかなと(もしかしたらDQでハーレム軍団を結成することも夢ではないのでは….?←驚愕の推測により期待が鳴り止まない)
てっきり竜に定められているような4の世界観を想像していましたが、仲間になるならないが大きく左右するという点で、6に近いものを感じます(主は6でドランゴとアモスを仲間にせずにラスボスまで来ました → これについては後日話します)。
そう考えると、最大パーティは11人となり、そこからは減点方式で仲間にならないキャラが多く存在するという可能性も否めません。しかし、そこは天邪鬼野郎のことを堀井さんも考えているでしょうから、最低限の人数になったとしても、キャラ的な側面では不自由はそこまでないのではないかと感じています。特に、最新の11と過去の6などを比べてみると難易度にかなり差があります(当社比)。そういう意味で、天邪鬼な昔ながらのプレイヤーは鬼のような縛りプレイを強いられ(自己選択の結果)、いい子ちゃんは11のように快適プレイができるというゲームシステムになるのでは?と勝手に予測していたりします。
ゲームの難易度がシナリオ選択によって変化するというのは太鼓の達人の譜面においてよく出来ていれば上の譜面に格上げされるやつに似ていてすごく好きです(伝われ)。
そういうことも頭で想定内に入れて、買ってすぐにありのままでプレイしてみたいなと思っています。
あと、ロトシリーズとの繋がりに関してですが、正直わかりません。これまで想像していた論と噛み合わないですね。
11→3→1→2がロトシリーズ(ローシュ=ロト)であり、天空シリーズ(イレブン=ロト)は11→7→6→4→5と繋がっているのでしょうか?
どちらにせよ。7を絡めるのが難しいという話になってしまいますね。それ自体が間違いなのか、はたまたDQ12がその疑問を解消してくれるのか。
悶々としながら、良い形に収まることを期待しながら12を待とうと思います。

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