ーやりたいことを仕事にするためにー
将来の夢は……無い。
それは大学に入っても変わらなかった。そんな私が、なぜ心の底からやりたいことを見つけ、仕事にできたのか、振り返ってみました。
進路に悩む学生さんがいたらぜひ読んで何かのヒントにしてください!
生い立ちと家庭の転機
山口県のとある市に私は生まれた。祖父は農家で市議会議員、父は地元の地方公務員。
田んぼで遊んだり旅行に行ったり、きっと「普通の」暮らしをしていた…と思う。
というのも、断片的にしかこの家での記憶はない。私が小学校3年の時に両親が離婚し、兄と私と母の3人はこの家を出たからだ。
そこからは借家暮らし。六畳二間のいわゆる文化住宅で布団を2枚敷くのが精一杯。小学6年生まで母と同じ布団で寝た。
経済的にも厳しかったはずだが(母は昼間働き夜は内職)、ありがたいことに食べることと、大好きなサッカーだけは不自由なくさせてもらった。
その頃の自分は、目立つとか人気者キャラでもなく、活発な集団の中にニコニコついていく大勢の中のひとり。
ぼんやりとした思いのまま大学進学
高校3年で部活を引退して通い始めた塾では、それまでの一夜漬けとは違い、知識をインプットする楽しさを感じ、まあまあ没頭。
金銭的にも私学は選択肢になく、漠然と「人と接する仕事がいいかな」と考え、大阪の公立大学の社会福祉学部に進学した。
ただ、入学時点でもはっきりとなりたい仕事はなく、人に聞かれると理由なく「公務員」と答えていた。
人生の転機〜ボランティアとの出会いと、 初めての 「アクション」 〜
大学の友人に誘われて参加した。終わったら「ありがとう」と感謝された。必要とされることが嬉しかった。この時からボランティアの楽しさにハマり、それからは大学の講義以外はアルバイトとボランティアに没頭した。
そんな大学2回生の秋。参加したボランティアイベント中に他大学の学生から言われたひとことが、私の人生の転機となる……
たしかに、自分はひとりであっちこっちで活動してる。でもひとりが不安な人は、一歩踏み出せずにボランティアの機会を逃してるかも…。
いろんな大学の学生が気軽にボランティア情報を得て、仲間と共に活動に参加できるボランティアグループ、ないかな…?
そう考えた私は、社会福祉協議会のボランティアセンターに行き、聞いてみた。今でこそ各大学内にボランティアセンターがある時代。だが、当時は20年前。そんなグループは、無かった。
なぜか、そう思った。だってそのグループがあれば誰かが救われるはずだから。誰かが喜んでくれるはずだから。
それまで人前に出たり、誰かを引っ張っていくキャラじゃなかった私が、新たな自分になった瞬間だった。
ボランティアグループを立ち上げ
活動先でたまたま出会ったデザイナーさんにPRチラシを作ってもらい、自分が活動に出向いた先で出会った人に片っ端から手渡した。
気がつけばグループメンバーは30人近く。大阪南部の近隣の福祉系大学だけでなく、高校生や奈良の史学部の大学生など、たくさんの人が参加してくれた。
場をつくる。人のつながりをつくる。
自分の踏み出した一歩、作ったグループによって、こんなにたくさんの人が喜んでくれるなんて…
私は、胸の奥深くまで沁みわたる、そんな喜びを噛みしめた。
想いをカタチに
福祉の魅力を若い子にも知ってもらおう、「障害=かわいそう」ではなく、"車イスのプロのすごい選手"と出会ってもらおう、と、グループとしての自主企画を考案。
ただ、学生の私たちには資金がなかったので、ソニーマーケティング(株)が主催する学生ボランティアファンド(2002年度)に応募。103件の応募の中から企画が審査を通り、なんと、金20万円也をいただいた!
門真市のプロ車イスバスケチームと交渉。門真市の小学生を招いて交流イベントを実施。たくさんの力を借り、成功させることができた!
後日、受賞団体による報告セレモニーの代表発表団体にも選ばれた。会場は品川プリンスホテル!CEOだかなんだか分からないけど、ソニーの外国人の偉い人の挨拶!
大学の屋上で夜通し飲んで歌ってワイワイやってた大学生たちが、突然大人たちのヨノナカに放りだされた…
でも、自分達らしく、ユニークに、楽しく発表!
報告後、数人の大人たちに話しかけられた。
「◯◯財団です。君たちの発表がとても魅力的だった。◯◯万円までなら支援できるから、次の企画が決まったら連絡して。」
社協のコミュニティワーカーになる。
そんな充実した大学生活にも終わりが迫っていた。就職、どうしよう…。
ふと振り返ると、自分たちの想いをカタチにする時に、常に支えになってくれる人たちがいた。
ボランティアグループを立ち上げた時。車イスバスケのイベントを企画した時。社会福祉協議会(略して社協)のコミュニティワーカーが、常に大学生の想いに寄り添い、そっと後押ししてくれた。実習や大学のゲストスピーカーでも優れたコミュニティワーカーと出会えた。
ー自分も、こんな仕事がしたいー
想いをカタチにし、人生を変えるきっかけを与えられるような、そんなやりがいある仕事がしたい!
こうして卒業後、私は社協に就職し、コミュニティワーカーになった。
就職後、理想とのギャップや大きなつまずきもあった。でも、想いをカタチにする喜びは、色褪せない。
あの時自分を支えてくれた人たちへの恩返し、そして新たに出会った人たちへの恩送りがまだ終わっていない。
だから、あの頃から20年経っても、情熱は尽きない。今日も、きっと明日も。
まとめ ー"やりたい"を仕事にするためにー
特にやりたい仕事もなく、夢もなかった大学生が、情熱を注いで生涯をかけられるような仕事に就けたのは、何がポイントだったんでしょうか?
改めて振り返ってみたので、もし悩んでいる人がいたら参考にしてください!