『Before Sunrise』の魔法をかけました、初恋の相手に。
Before Sunrise(邦題:恋人までの距離)とは
1995年上映。監督はリチャード・リンクレイター。脚本はリチャード・リンクレイターとキム・クリザン。主演はイーサン・ホークとジュリー・デルピー。
あらすじは、Filmarksから引用。
魔法のセリフ
パチパチと破裂音がしそうなほどに燃えさかる想いで胸が痛い。だけど、そよ風のような気軽さで、スマートに想いを伝えたい。そのほうが、きっと彼女はわかってくれる。
21歳のぼくには、こう思えて仕方のない相手がいた。あの夜、ぼくはジェシーの言葉の力を借りた。
これは、ウィーンで停車した食堂車で、ジェシーがセリーヌを誘い出す場面のセリフだ。
そして、これとほとんど同じセリフを、21歳のぼくは、勝気で誇り高き田舎の女子大生に向かって言った。最後に、おまけの一言として、「俺と付き合ってみないか」と添えた。
田舎のビジネスホテルのロビー
雪国のビジネスホテルのロビーは、暗闇に溶け込みそうなグランドピアノカバーが存在感を放つほど、人影がなく静かだった。地域の中年男女たちが忘年会を開きそうな割烹で食事を済ませたぼくたちは、近くのコンビニで買ったご当地の味付きのポテトチップスと安い缶ビールを持って、雪深い歩道を通って、このロビーに入っていた。
彼女はあと数日で21年を迎える人生の全てを、この街で過ごしていた。顔立ちは、女優で言うと安達祐実に似ていて、当時のぼくには志田未来のように見えた。色白で丸顔、睫毛がはっきり上を向いた二重の眼をもつ。
ここからは、現在形の文末にすることで、臨場感を演出する。ちなみにこの説明が格好悪いのは分かっている。
彼女のお母さんのお迎えの時刻が迫っている。ぼくは、当時京都の大学に通う大学生。京都からこのホテルまでやってきたのはもちろん彼女に会うためであり、バレンタインデーの贈り物を受け取るためであり、彼女へのサプライズのプレゼント(プリザーブドフラワーだった気がする)を贈るためであり、そして、チャンスがあるのならば愛を伝えるためだ。セリフは頭に浮かんでいる。
きっかけは3週間前のLINEだった。バレンタインデーを控えた2月の上旬、「今年チョコをあげる相手はいるの?」と尋ねたところ「いないですよぉ」と返ってきたので、「ぼくも今年はもらえるあてがないや」と、打ち明けた。
「あげようか?笑」
「嬉しい、受け取りに行くわ笑」
ぼくは友達との旅行で半ば無理矢理、行き先を彼女の住む雪国に指定した。それから、一番好きな恋愛映画の、そう、1年前の冬に見た『Before Sunrise』のセリフを、魔法の呪文だと思って覚え込んだ。
「これからヘンなことを言うけど、聞いてくれる?」。もちろん同意を得られる。ぼくは続ける。
冒頭のジェシーのセリフを、自分なりの日本語、関西の口調に乗せて伝える。
「昔出会った男、つまり俺やね、あいつは退屈な男やった、と分かる。それで、その旦那さんを選んだことに納得する。どう?俺と付き合わへん?」
彼女は小さくゆっくりと頷き、吹き出し笑いをする前触れであるかのように、静かで神妙な表情で聞いていた。彼女もアルコールが薄れてきたのか、少し紅潮していた頬は薄いオレンジ色に変わってきている。冷静にこの男の話を吟味しようと、眠くなりかけた眼を見開いている。
スベったかもしれない。ただ、ジェシーとセリーヌのように、これから散策が始まるわけではない。
スベったとしたって、取り返すというよりは、別々の寝床で眠ったあとに、確かな答えを聞かなければ。
「今日は返事してくれなくていいよ。明日の朝、もう1回考えてみてほしい。大事な決断かもしれないから」
緊張を隠し切れてはいないだろうが、表面的には冷静にフォローする言葉で、彼女への気遣いを示す。
手応えはある。さすがは珠玉の恋愛映画の、ナンパの決め台詞。極東の言葉に置き換えて、髪のセットすらまともにできないこのぼくが使っても、彼女の真剣な表情を引き出せている。
ただ、性急に結論を出してもらうのでは、むしろぼくの自信や魅力が伝わらないじゃないか。
慌てない、慌てない。ぼくだって酔っている。アルコールは飛んでいても、Before Sunriseのようなカップル像に酔っている。
ありがとう、ジェシー、セリーヌ。2人のような素敵な時間を過ごせるかは分からないけれど、少しだけ近づけている気がするよ。
5ヶ月後
雪国のロビーで別れてから、5ヶ月経った真夏、ぼくたちは2度目のお別れをした。
目立ったケンカをしたわけでも、どちらかが愛想をつかしたわけでもない。そうだ、そのはずだ。
Before Sunriseがぼくに、ぼくのセリフを通じて彼女に、かけてくれた魔法は、夏の暑さのせいで解けてしまった。もちろん、夏の暑さなんて言い訳なのだけれど。
5年後
彼女は、25年を過ごした雪国の街で、おそらく同じ街で出会った紳士と、同じ苗字に変えて、同じ屋根の下に暮らしている。ぼくは事後報告でそれを知った。結婚式の様子を、1日で消える画像投稿で二度見したが、保存する気にはならなかった。
21歳のときに力を借りた魔法を、もう使うことはないだろう。
今となってはぼくは、あのときの美しい彼女の表情よりも、Before Sunriseのストーリーを、恋愛の文脈に限定されない思弁的なセリフの1つ1つを愛している。
2024年冬。リバイバル上映の企画で、Before Sunriseを映画館で鑑賞した。人生で5回目の鑑賞。ただ、映画館は初めてだ。不思議と身体は前のめりになり、切ないシーンでは視界が滲んだ。
これでいいし、これがいい。彼女も、ぼくも、今は別の物語を生きている。
言葉の魔法を使うのって、どきどきするんだな。
君は、どんな映画が好きですか。
尋ねる予定はない。
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