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100日後にデビューする小説家【41日目】
たまにはコーヒーでも
私は執筆中にコーヒーを飲むことが多い。別にこだわりがあるわけではないのだが、なんだかいつの間にか私の相棒になっている。豆の種類も別にこだわりが無い。とりあえず、インスタントでも別に構わないのだが、やはり豆から挽いた方が好きだということもあり、コーヒー豆を買っている。昨今、値段が高騰しているというコーヒー豆。嗜好品は、仕方がないと割り切っているが、やはり高騰を感じる。2、3年前よりも値上がりしているのは事実だろう。タバコも同じなのだが、こう嗜好品の値上がりはどうしたものかと考えることがある。
生活に必要が無いという点では、小説も嗜好品に近いのかもしれない。そう思うと、小説は値上がりをしないという点で良い嗜好品だろう。中古本も簡単に取り寄せることが出来る時代になった。出版不況だと言われて久しいが、売れる本は売れている。村田紗耶香氏の『コンビニ人間』は大ベストセラーになった。面白かったと言われて、当時の職場の相当お世話になった上司から借りて読んだ。イマイチ、良さは分からなかったのだが、それも嗜好品たる所以なのかもしれない。
小説の巧拙は何に出るか。私は文体に出ると思っている。上手い小説家というのは、文体が程よく硬い。ラップで言うところの韻の硬さに近いイメージだ。R指定やFORKのラップは、誰が聞いても上手い。現代小説なのに、文語体で書いてみたり、擬古文を使ってみたりするのは、やはりナンセンスだ。学生時代に同じゼミだった友人は擬古文にえらく凝っていたが、当時の作家を形だけ真似ても面白くないだろうという結論になってしまった。
その時代に合った文体というのは、必ずある。村上春樹氏や川上弘美氏の文体はやはり自然で読みやすい。しかし、今それらを真似るというのは、やはり違う。そもそも目指している場所が違うからである。その時代に合った価値観というものがある。現代だったらやはり、人間の内側を描くというよりは、抱えている葛藤に焦点を当てた作品の方が読みたいと思われるだろう。
内面世界の観察は、最終的に葛藤に行きつく。というのが私の持論である。人間は葛藤をする生き物だからだ。その葛藤が渇望になり、欲望は人を突き動かす。承認欲求などはその最たる例ではないだろうか。
誰もが何かに満たされたいと願う世界。不安定で、明日が見えない。一寸先は闇とはよく言ったもので、誰もがその不安を抱えて生きている。だからこそ、私はコーヒーを飲む。嗜好品は人生に必要なスパイスだ。生きていることを実感することが出来る。小説もまた同じ。読まなくても、人生に支障は何もない。けれでも、人生でこれに出会えてよかったと思うもののうちのひとつである。やはり、私は小説が好きなのだろうな。