アシェットデッセールと共に去りぬ
今年の夏は短かった。
それはつまり、我が愛するパティスリー『ブロンディール』のアシェットデッセール(あのアシェットデセール)の提供期間が短い事を意味する。
令和になって最初の夏はほろ苦い記憶が残る夏となった。
アシェットデッセールは還って来たのだが、ペッシェメルバが天候不順により突如の終了(=fin)となってしまった。
麗しのペッシェメルバ
麗しのペッシェメルバという言葉がある、ペッシェメルバは麗しいのだ。その麗しさとは、即ち桃の麗しさ。あぁ…なんて甘美なのだろう…甘くて美しいと書いて甘美、桃ほど甘美と呼ぶのが相応しい果実があるだろうか(いやない)。
桃に対する想い、その全てを受け止めてくれるのが、ブロンディールのペッシェメルバ。他のどの桃よりも、あのペッシェメルバの桃こそが私の求めるあの桃のイメージなのだ。まさに理想桃(=桃源郷)。素材選びには絶対に妥協しない藤原シェフの厳しいチェックをクリアし、藤原シェフの手によって甘美な魔法を掛けられた桃。例えば、印象派の絵画のように現実の世界をありのままの光で切り取るのではなく、自身のフィルターを通して感じた光を色彩へと落とし込み表現する、結果として私たちが普段見ている世界の想像の上に存在する印象となる。桃が印象派フィルターよろしく“藤原シェフフィルター”を通ったら、ペッシェメルバになるのかも知れない。そこには素材選びから始まり、どういう印象に仕上げたいのか、桃の持ち味を如何に活かし、如何に表現するのか、まさにシェフの腕が問われる。
季節が限られているからこそ追い求めてしまう、そんなペッシェメルバは追いかけても追いかけても掴めない夢まぼろしのような存在なのかも知れない。
アシェットデセールとの向き合い方
さて、アシェットデセールはペッシェメルバだけではない。
ヌガーグラッセ、ヴァシュラン、ディヴァイン、そしてウフアラネージュグラスロムレザン添え。ブロンディストにはもうお馴染みの面子である。
昨年その完成度の高さから話題となったショコラデセール「ロワイヤルショコラ75%」はなぜか欠番となった。(後々これは新たなショコラデセールへの布石だったと判る)
今年もアシェットデセールを追い求め、幾度となくブロンディールへと通う事に。提供期間が約1ヶ月強という短い時間の中で、如何にして記憶に刻み込むのか(デッセーるのか)が問われる。リピートする事も大切だが、味わう体験の質を高める事も重要だと思っている。
つまり、デセールとゆっくりと向き合い、対話をするように頂きたい。
朝か昼か夕か、中か外か
その為には、まず平日の昼下がりがベストと言える。お昼から夕方までの時間帯、店内も落ち着いているから気兼ねなく愉しめる。また、涼しい店内ではなく“敢えて”のテラス席がベターと言わせて頂きたい。店内は夏の暑さの為や人の為ではなくお菓子たちの為に冷房の温度がかなり低く設定されている。
店内のカウンターでゆっくり味わっていると、どうしても寒くなってくるのだ。(時間を掛けすぎなのかもしれないが)
外のテラス席では、その心配はなく、紅茶の温度も適度に保ちつつ、楽しめる。デセールのアイス(グラス)が溶けてしまうのでは?と言う考えも理解はしているつもりで、それに関しては寧ろ溶ける経過さえも愉しんでしまうおうではないか、と言う考えで行きたい。つまり、冷たいアイスは溶ける、溶けるアイスもまたアイス、溶けてこそ一体になれるのでは?と。一皿の中で、刻々と変化し、冷温の調和、融合、アイスは最後にはソースと形を変える。
デセールという自由度が高いフォーマットの中では、どの順番でどのように食べ進めてゆくのか、すべては受け手の自由に委ねられている。時間の経過による変化を愉しむ事こそが、実はデセールを最大限味わう為の秘訣なのかも知れない。そしてそれはテラス席を選ぶことで、混み合ってきたとしてもそこだけは優雅にマイペースに(暑いのでテラス席はあまり人気がない)過ごすことが出来、結果としてでセールとしっかり対話出来ると言うことに繋がっている。
結論、初夏〜秋に掛けてはテラス席もオススメしたい。
もちろん、アシェットデセールの見た目麗しい姿を目に心に舌にそして記憶に焼き付けるだけではなく、写真という記録に残したいという願望を持つ者にとっても、テラス席の自然光は最適だと言える。(店内の絞られた白熱灯下ではそのありのままの姿を写し出すのが難しい)
“いけず”はシェフからの贈り物
そうこうしているうちに、いよいよ夏の終わりが見えてきて、秋の足音が聞こえてきた頃、突如としてSNS上を賑わす知らせが届いた。
なんと、2019年の新作アシェットデセールが発表されたのだ。いつも通りとても控え目にひっそりと。その名も「フォンダンショコラ・コニャック風味のグラス添え」。まるで「これが欲しかったんだろう?」と言わんばかりに、ショコラ枠に降臨。
まさかの予想だにしない事態に、夜中にも関わらずSNS上がざわめき立った。ブロンディールの情報源は「公式Webサイトのinfo.」のみ、それ以上でもそれ以下でもないから、いつものように情報を取りに行かないと得ることは出来ない。
にも関わらず、たちまちのうちに情報が拡散していき、翌日の午前の部には新デセールを求める猛者たちでカウンターが溢れていたと言う。
ブロンディール というパティスリーを語る上で実に興味深い事である。
ブロンディストの存在
ブロンディールを定期パトロールをしているのが通称『BLONDIST』(ブロンディスト)。
いくブロンディールを愛し、何よりもブロンディールを優先し(ブロンディール・ファースト)、定期的にブロンディールに通い詰め、ブロンディールの素晴らしさを共有することに歓びを感じ、ブロンディールを暖かく見守り、ときにはブロンディールの中のヒトのように振る舞う人もいる。
私だ。
他にもブロンディストは沢山いる、それぞれがブロンディールへの忠誠心と愛を語り、【BLNW=ブロンディールネットワーク】とも言える繋がりで、各々が各々で誠に勝手ながらブロンディールを応援し支えている。
この支えると言う行為は、とても大切だと思っている。
いわゆる“推し”と言うもので、多くは個人店であるパティスリーが維持継続してゆく為には日常的には近隣地域の方々、定期的に通ってくれる固定のファンの二つの支え(贈答用使いは別として)大切だと思っている。
プラスして、どんな天候でも、どんな気候でも、どんな状況下でも、いかなる困難が発生しても徹底的に通い続けるファンが居る。気付くとお店に居る。
私だ。
私のようなブロンディストは常にブロンディールを推している。
暑苦しく感じられないかを常に心配しながらも推し続けている。
他のどんなパティスリーに行こうとも必ずホームグラウンドへと帰還する。
推して、通って、推して、通って、を繰り返していると、もっと推してもっと通いたくなったくるから不思議で、永遠なのではないかとさえ思えてくる。
いや、本当はどんなものにも永遠なんてものは約束されてはいない。
だからこそ、私たちブロンディストは、足繁く店舗へと通い詰め、可能な範囲で購入し味わい、絶頂し、感謝をして、更には共有する事で、つまり応援する事に大きな歓びを感じているのではないだろうか。
もう止まらなくなるので話を戻すと、
フォンダンショコラを求めてさらに複数回通う事になるのだが、そうこうしている内に夏も終わりを迎える時がやって来た。
フォンダンショコラはまさに夏から秋への橋渡しをするように、濃厚で大人に振ったデセール。ペッシェメルバの面影を映し出すような飴のヴェールが美しい。
一口づつ美味しいと味わいながら、季節は確実に移ろいでいるのだな、などと物思いにふけていると、間もなく迫ってくるであろうデセールの終わりを感じざるを得なかった。
そして、ついにその時がやってきた。
いや、やってきてしまったと表現するのが正しいだろうか。
「アシェットデセールFin.」
始まりがあれば、終わりもある
そう、始まりがあればまた終わりもある。
夏が往くから秋が来るというのは、デセールにおいてもまさにその通りで、
アシェットデセールが来るから夏がきて、アシェットデセールが征くから秋(栗)が来る。だから私たちは次の季節(モンブランセゾニエール)へと向かうことが出来る。
常に流れ続ける諸行無常のこの世界は、ことアシェットデセールにも当てはまるのだと、そう思えばすべてを受け入れられるのかも知れない。だからデセールの終わりは惜しんだとしても決して悲しくはない。
「もう行かなくちゃ、秋が来るから。」
などとL'Arc-en-Cielの名曲「夏の憂鬱」の一節を口にしては、次の季節へと足を向けはじめている。
最後に。
今年も素晴らしきアシェットデセールを提供して下さった藤原シェフをはじめ、ブロンディールに携わっていらっしゃる皆様、そして同盟のようにブロンディールを応援しているブロンディストの皆様、そしてアマイタマシイ界隈の皆様、素晴らしいう時間を共有して下さった事に感謝しつつ、幕を閉じたい。
来年もアシェットデッセーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーール!!に再開出来る事を願って。
Fin.
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