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手下を受動的→能動的に変える術
それは、外圧。外から圧力が高まれば、漫然と受動的に仕事をしていた手下は積極的に仕事に打ち込むようになります、たぶん。
「да!」しか言わない手下。専制主義者の不満は高まります。ゆえに、緊張造成を好む専制主義者たち。
そして、専制主義者の直感は国民の「нет!」を感じ取り、鳥肌が立ちます。「堕落した手下ではわたしは国民(の本心)に追い落とされる」と。
大国に好き勝手にされてしまう狭間の国々。大国の小役人の脅しに辟易しつつ受動的に動かざるを得ない。そこにも国民の「немає」が聞こえてくるのです。
旧ソ連諸国のそこかしこからきこえてくる「いいえ!」。どこからも「はい」と返事できる積極的な提案はない。西側諸国に対しても「いいえ」であり前宗主国にたいしても「いいえ」です。
国民が能動的になろうとすれば、専制主義の強圧に押しつぶされる。専制の定義の中身を若干シフトさせれば西側諸国にも当てはまるのです。
「Так!」と「да!」を使い分けながら、受動的に動かざるを得ない狭間の国々。本心を語れる日はいつくるのか。それまでの間、どうあっても生き延びなければならないと思うのです。