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あらゆる女から男への暴力の根絶を目指して

前回の記事を投稿した後、関連記事に教育現場だの大学だのから性暴力を撲滅しようみたいな、おそらくフェミニズム側の記事だと思いますが、かなり踏み込んだことを言っている記事がたくさん出てきたので、やはりマスキュリズム側も、ここははっきりと明示しておくべきだなと思いました。

前回でも話しました「性犯罪に関する刑事法検討会」は、マスキュリズムも提言を出せたとはいえ、結局はフェミニズム主導で動いているものです。実際には、性犯罪にとどまらない、「あらゆる暴力の根絶」が視野に入れられているようです。

ならばマスキュリズムは、「あらゆる“女から男への”暴力の根絶」を目指すべきではないでしょうか。

女から男への暴力とは?

確かに、女から男への「性的な」暴力が取り締まれるようになったことは、大きな一歩です。しかし所詮は「一歩」にすぎません。マスキュリズムにおける前進としては、まだまだ小さいものです。

実際に、「女から男への暴力」の中で、性的な暴力が占める割合はかなり低いと思われます。どちらかといえば虐待や精神的DVに近いものだったり、あるいは女の思い通りにならなくて男から性暴力を受けたと虚偽の訴えをする、いわゆる冤罪行為のほうが多いでしょう。

当事者団体の存在は重要

まずはこうした「女から男への暴力」の当事者の、発言力をもっと高める必要がある。その意味で当事者団体が欲しいところです。

例えば、久米氏を始めとしたマスキュリズムも大いに注視している、母親単独親権の問題においては、「共同親権ネットワーク」という当事者団体がありました。現在この団体はいったん解散し、「共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会」に改組されています。このような団体が女から男への暴力の問題についても成立出来ないものかということです。

ちなみに久米泰介氏は、マスキュリズムの普及にはまずアカデミズム、学術研究の世界にマスキュリストを増やすことが重要だ、とたびたび説いているのですが、私にはあまり現実的であるとは思えません。そもそもまず、日本ではマスキュリズムの学術論文を通すことは不可能です。この思想の理解者が皆無なのですから。だからまず海外で研究を積む必要がどうしても出てきますが、今の日本のマスキュリストで、海外留学できるほどの資金がある人はそんなにいないでしょう(そもそも一般人にとってわけのわからない思想を学ぶためなのであれば、誰が留学資金を出すのでしょうか)、もちろん私もその一人です。それよりもまずは「当事者団体」です。こちらを作るほうがよほど少ない資金でできますから。

男性差別をなくす上で、マスキュリズムを本腰を入れて行い、日本社会のメディア、アカデミア、政治まで抜本的に変えていかなくてはならない。草の根では、マスキュリズムや男性の不利益を訴えている人たちは出ているし、これまでもいた。だが、これらはほとんど残っていかないだろう。例えば、ツイッターやnoteなどのメディアで男性差別を分析したり、男性が不利益を受ける社会構造を告発している人たちは、リーダー格になるとかなりの情報を持っていたり、かなり学問的な統計的分析が行われている。はっきりいってアカデミアのフェミニズムよりも科学的なものも多々ある。しかし、彼らは勝てていないし、これまでもそのような男性陣営のフェミニズム批判派は負けてきた。今はネットメディアなどで、マスキュリズムに近い思想やフェミニズム批判をしている人も、尊敬に値する一方、10年後にではそれらの研究・論考が形として残っているかは怪しい。ネットの文章などすぐに消えてしまう。
今のnoteでの論客たちが、少しでも大学に入っていれば、それらがいくらかでも論文として形に入っていれば、劇的に状況は良くなるだろう。マスコミも無視できなくなる。また男性差別を認めたくはないという勢力も一方的に男性差別の主張をはねつけることはできなくなる。そういう意味でアメリカのワレン・ファレルやカナダのポール・ネイサンソンたちは改革者である。
男性差別はあるのではないか?今大学で(またはメディアや政治で)提唱されているジェンダー観に強い批判を覚える人たちは、社会を変えたいなら、論文を書いてほしい。研究者になってほしい。その頭脳を情熱をアカデミアで発揮してほしい。日本の大学にやりにくさを感じるならば(男性差別の論文など到底通せもないという雰囲気を感じるならば)欧米の大学院がお勧めである。
日本・欧米どちらの大学院に行っても、当然マスキュリズムは現代社会ではまだまだ異端派である。妨害も無理解も多い。しかしこれは私の経験だが、英語で論文を書く大変さを差し引いても、英語圏の方がマスキュリズムの論文は通しやすいし味方は多いと感じる。最終的に日本でやるにしても留学して知識を吸収した方がいいと思う。

「一部の女にとって気に入らない」から表現規制することだって、立派な暴力です

ただ、やはり一つ懸念点になるのは、その当事者団体が、表現規制を進めることを提案することです。前回紹介したマスキュリズム側の提言も、いくらか男性性暴力被害者に対しての聞き取り調査が行われたうえで、(少年少女型ラブドール規制の論拠となる恐れをはらむ)性的同意年齢の引き上げが提案されていたわけですから、ありえないとは言い切れない話です。

ただ、あくまで私の勝手な思いとしては、表現規制運動には持ち込みたくない。マスキュリズムを追っている人で、そのような思いを持つ人は何人もいると思われます。そこで先手を打って、「一部の女性が、気に入らないもの(特に二次元的表現)に対して規制を要求することも、女からの暴力の一形態である」とはっきり言ってしまいましょう。

以前の記事で述べたように、三次元で巡り会った女に惨々なことをさせられて、二次元にしか愛を求められなくなったという男は(最近だとこういうのは女にも多くなりましたが)意外に多いものです。私のリアルで付き合いがある人にも何人かいます。そうした人々のコミュニティにまで乗り込んで、あえて彼らへのヘイトをまき散らすことは、それこそセカンドレイプそのものではないかと思います。

「冤罪行為」とは何か、なぜ「暴力」となるのか

ところでセカンドレイプといいますと、ネット上での性暴力の訴えに対して、「どうせでっち上げてるんだろう、冤罪だろう」といったような返信が、特にアンチフェミ側のアカウントから寄せられてくること(もちろんこれは男性の性暴力被害者の主張にも、フェミニズム側のアカウントから起きていました)についてよく呼ばれます。私もそのような行為については全く賛同できる立場ではありません。しかしこの言説が広まることによって、冤罪というもののメカニズムが間違って広まってしまうことも、大いに懸念すべきことです。

このnoteでは、人違いや第三者からの疑いの目という意味での「冤罪」と区別するため、基本的に「冤罪行為」という言葉を用います。そしてそれは次のように定義します。

「性暴力からの救済」以外の意図を持ち、その事実がないにもかかわらず性的暴行を受けたものとして示談または刑事ないし民事訴訟に訴えること

性暴力からの救済以外の意図というのは、例えば痴漢行為に対する示談と称して不特定多数の男からカツアゲを行うこと、派閥争いなどで知人を有利にするために対抗勢力の人から性的暴行を受けたことにすることなどがあげられます。いずれも今ではほとんど語られませんが冤罪事件として実際に起きたものです。

これが当然のことになってしまうと、単に男側の対応に女側が気に入らないというだけで、性暴力を受けたと主張することができるようになります。それは男が女の「お気持ち」に、完全に抗えなくなってしまうことを意味します。そうして社会の女性優遇は、加速度的ないし指数関数的に進むことになるでしょう。これはなんとしてでも避けなければならない。

だからこそ、「冤罪行為も女からの暴力の一形態である」ということは、きっぱりと言っておきたい。

具体的な対策を挙げるなら、警察や検察に、冤罪の可能性のある捜査について慎重を期させること、そして意図的にでっち上げたことが明白となった場合には、申告者に法による刑罰を科させることです。そして究極の対抗策は、やはり刑法にそれを明記させることでしょう。最終的にはそれを目指すことになるかもしれません。その場合、以下のような文案になるでしょうか。

刑法第百八十三条(案)
第百七十六条から前条までの罪に関して、第百七十二条の罪を犯した者は、三月以上の有期懲役に処する。ただし、第百七十三条による減軽は同様とするが、免除しない。

183条は、戦前の刑法において姦通罪を規定していたものであり、現在は空き条文になっています。ちなみに172条は虚偽告訴罪を規定したもので、次の173条はそれが減軽または免除される条件を規定しています。これらの規定により冤罪事件が刑事告訴されることはたまにあるのですが、特に性犯罪の場合、冤罪が発覚するのは当事者の秘密の暴露によるところが多く、173条の規定で無罪(刑の免除)となることも多いので、免除は禁止させる必要があると思います。

ちなみに、当たり前のことですが、性暴力に関する虚偽の申告は、必ずしも被害当事者によってなされるとは限りませんし、女から男への性犯罪についても発生する可能性はあります。そうしたものへの対策も勿論されなければなりません。

ところで、この文を書いている途中で、こんな報道がありました。

杉田水脈議員が何らかの会議で「女はいくらでもうそをつく」と発言し、これが通信社にスクープされ、フェミニスト団体が「性暴力被害者の気持ちを踏みにじるものだ、セカンドレイプだ」と抗議している、ということのようです。このような批判が起こる背景として、性暴力にまず「冤罪」と疑ってかかる人が増えたということはあるのでしょう。繰り返し述べますが、このような状況はさすがに私も懸念すべきことであると思います。しかし、最初から「冤罪など存在しない」とみなすことによって、何が起こるのかは、先に言った通りです。

冤罪行為への対策は、すべての性暴力の訴えに対して冤罪と疑ってかかることではありません。そもそも我々は冤罪行為を「性暴力の一形態」として捉えるべきだと主張しているのであり、すべての性暴力を冤罪として捉えるのはむしろ、本末転倒です。

杉田氏はどうやら、性暴力に対する相談事業を民間委託ではなく警察が直接、改組ではなく新設部署として行うべきという提案をしていて、その中で上の発言があったものと思われます。民間(つまりラディカルフェミニスト団体)では虚偽の申告も誇張されて警察や検察に報告されてしまう恐れがあり、公正な刑事訴訟に響くということなのでしょう。また冤罪でないとしても、警察の管轄下にあれば事実関係を調査するのに時間がかかりませんでしょうし、よりスピーディな解決が期待できます。

さらに男性の性暴力被害の見地から言っても、この相談事業を警察に行わせるという案は支持すべきものです。というのも、民間といっても所詮はフェミニズム団体。男性への性暴力までカバーすることは全く期待できません。この相談事業を男性への性暴力にも拡張させることは、もう少し先の話になるでしょうが(すでに述べている通りこちら側は当事者団体さえできていない状況です)、その時点で事業をフェミニズム団体に握られているならば、非常に不利になってしまいます。

もっとも、警察は腐っているからどうせ突っぱねてくる、だから信用できないとかいう反論も出てくることでしょう。しかし、そうした被害の声が突っぱねられないようにフェミニストさんたちがやっているのが刑法性犯罪改正だったのではないでしょうか。

というか、これは冤罪行為でも同じでした。今後紹介するであろう重要な痴漢冤罪事件「原田事件」および「平井事件」以降、冤罪の可能性のあるケースについては警察もかなり慎重な捜査をするようになったと聞きます。

…と、ここまで書きましたが、この時点ではまだフェミニズム側の再反論記事を読んでいませんでした。実際には、警察でも民間でも相談事業はすでに行われているようです。ただ、今後の刑法改正によって性暴力や性犯罪の定義が「暴行や脅迫によるもの」から「当事者の同意に背くもの」に変更されれば、被害者支援や相談事業にも変更が必要になってくることは明らかであり、また同じような議論をしなければならないだろうということで、そのまま残しておきます。

ミソジニストなら、ミソジニーを貫け

さてここまで、女から男への暴力について述べてきましたが、その上で言及しておきたいのが、他のアンチフェミ論客、もちろんマスキュリストも含めてですが、そういう人たちの「ミソジニー」のレベルの低さです。

「女叩きする人って女に何されたの?」
「なにもされなかったんや…」

こんなコピペがありますが、我々は何もされなかったなどということはありません。…と、そうはいっても、なかなか信じてもらえないんですよ。それはフェミニズムからではなく、アンチフェミからもです。実際ニコニコの掲示板では、むしろ大多数の男は、「何かされたい」のだ、と反論されました。それはすなわち、彼らのミソジニーが「フェミニズムが女の地位を向上させたせいで俺たちがモテなくなってしまった(正確には女が配られなくなってしまった)、だからフェミが憎い」という思想でしかないということを示しています。

しかし、単に女が配られた、女に恵まれたからと言って、問題が解決するわけではありません。我々は女を得られたら即座にミソジニーから離れ、「フェミニズム側」に寝返ってしまった男を何人も見てきました。もちろん彼らも、一時期沸いた「男性の性暴力被害者」のアカウントを、執拗に攻撃していたのです。

保守派(性役割保守派)というのはそもそも女性中心主義(ガイノセントリズム)である点ではフェミニズムと変わらず、本質的に女に甘く弱いため、永遠にフェミニズムと本気で戦わない。フェミニズムとジェンダーロール保守派は一見対立しているように見えて、どちらも実は女のことしか考えておらず、男性の人権は一切みないという点では一緒である。

結局、フェミニズムに真っ向から対抗するためには、「女に何かされた人々」で集まらなければならないのです。単にモテないというだけで女を蔑視ないし憎悪している輩は、はっきり言ってお呼びではありません。