人工卵子・人工子宮の早期実現のために、我々にできること
さて、今年も11月19日、国際男性デーを迎えました。詳しいことは最下段に譲りますが、私は問題解決の手段として「技術的解決」、とりわけ「人工卵子・人工子宮などの女性の妊娠を介さない次世代再生産の技術の確立」を全面的に推しています。
今回は、こうした技術の1日も早い確立・普及のために、我々や読者の皆さんに何ができるのか、ということを考えていきたいと思います。
株や投資信託を買う
まず考えられるのは、やはり関連する研究事業に対する投資でしょう。ではどうやって投資するのか。
一つは、関連する上場企業の株を買うことです。まああまり詳しい企業名はあえて挙げませんが(インサイダーになる可能性もある)、とりわけこれらの技術確立に大いに関わってきそうなのは、製薬会社と医療機器メーカーでしょう。
現状人工卵子は、iPS細胞の技術を応用させて生成することが可能性として濃厚です。また人工子宮については、人工卵子と同様に幹細胞から生成して体内に移植する方法と、完全に体外で胎児を育てる方法、ふたつのアプローチから研究が進められています。前者であれば製薬会社が、後者であれば医療機器メーカーが確実に関わってくると思われます。
更には、先端医療技術に関連するベンチャーなどに投資する投資信託・ファンドも様々な証券会社が取り扱っています。こちらはNISAやiDeCoといった制度も利用することができるでしょう。
ただ忘れて欲しくないのは、これは「お金に代えられない核心的利益」のための投資であるということです。つまり本当に株やファンドで投資するのなら、あまり相場の変動とかに関係なく、長い期間投資してもらいたいと思うところです。NISAも無期限になりましたしね。
先端医学を学ぶ
そしてもしこの記事を高校生が見ているなら。
いっそのこと、あなたがこうした技術確立をリードするというのもありなんじゃないでしょうか。
といっても医学というのは当たり前のことですが、今でも相当に受験戦争の激しい分野です。しかしやはりその技術を研究する人がいなければ技術革新なんてそもそも成り立ちません。その選択をする人がいるということだけでも、とても重要なことなんです。もしあなたやあなたの家にそれを研究しに行くだけの学力と財力があるのならば、ぜひ検討してみて欲しい。
かつて久米泰介氏は、「マスキュリズムを発展させるために興味ある高校生は文系に進め」と事あるごとに言っていました。しかし今や人文社会アカデミアはこの体たらく。将来的に立て直すことを見据えてもやはりまずは先端医学に行って技術確立を進め、「ただしさ」に対する完全な交渉力を得るべきでしょう。
表現の自由・学問の自由を守り抜く
そして最後に、こうした技術確立の土壌としての「自由主義」を守ることも非常に大切なことです。
こうした技術革新には必ずと言っていいほど「生命倫理を激しく逸脱している」・「女の産む能力が脅かされる」などといった強い反対運動が起こっています。00年代のES細胞なんかがいい例ですが、近年でも代理出産の技術に対する猛烈な反対運動が起きましたね。こうしたものをいかに跳ね返せるかということも重要な課題です。
その意味では「性表現の自由」をフェミニズムの攻撃から守り抜くことも、重要な前哨戦闘争の一つになっているのではないでしょうか(とはいえ、昨今のそれをめぐる一部問題については少々心を痛めるところがあります。が、今回話していることとは完全に無関係なので別記事で)。
幸い日本は(それこそオウムや統一教会が強いバッシングを受けていること、キリスト教・イスラム教信者が絶対的に少ないことに代表されるように)宗教伝統に基づいた「生命倫理」はそこまで浸透していません。政治的にも、昨今の統一教会周りの風潮もあり、ESの頃より格段に「生命倫理」を浸透させようとする勢力は弱体化しています(ただ、参政党の台頭などの新たなリスクも発生しています)。
つまり、こうした抵抗を突っぱねて、新たな次世代再生産のための技術を確立することは、全く夢物語ではない、ということです。我々が手を緩めなければ。
そろそろ次の段階へ進む時
最近はMGTOWを奨励する記事もようやっと増えてきました。これ自体は歓迎すべきことではあるのですが、やはり長期的な戦略にはならないと私は思います。
悟るnote氏の記事ではユニバース25実験について触れられていますが、良くも悪くもこの実験の結末は何回試行しても「繁殖をあきらめる個体の増加による絶滅」に終わってしまいました。
しかし今や時代的には、「フェミニズム」・「ジェンダー平等」を抜きにしても、あらゆることにその「持続可能性」が求められています。フェミニズムが「家父長制」ないし「旧来の性観念」のすぐれた部分を評価するようになったのも、そういうことと無関係ではないんですよ。
故に、このような流れに本気で抗うのならば、我々も「次世代再生産」に係る代替案が提示できなければならないでしょう。
そして何よりも、これらの技術の確立は「男女の命の格差」にもダイレクトに影響してくるでしょう。女性が「産む機械」ないし「共同体の子産み要員」である以上は、どうしても「女性の命の価値を傾斜的に重くする」・「社会支援のリソースを女性に傾斜的に配分する」ことが、非常に合理的であることは否めません。この点では伝統保守的なビジョンもリベラルな“少子化対策”も五十歩百歩であると私は思います。
ならば、医療技術革新によって女性を「産む機械」から解放するという発想は、マスキュリズム的にも一考に値するものではないでしょうか。女性が生物的に「産む機械」から解放されることによって、ようやく我々は「男女の命の格差」について、ゼロベースで議論できるようになるのではないでしょうか。
これも何度でも訴えるつもりですが、「選択肢を増やすこと」に対抗しうる手段は、「選択肢を増やすこと」だけなんです。「次世代再生産」のための選択肢も、やはり「女の妊娠を経るという一択」であってはならないと、そう考えます。