フェミニズムは敗北した
私が社会に出た頃というのは、ちょうど「女性活躍推進法」が成立間近の時期でした。
これもこれで、(特に「伝統保守・復古主義」寄りの)アンチフェミからは批判・懸念の声は多くありました。女性社員が自身にとって気に入らないことを有る事無い事セクハラとして訴えるのではないか、それによって誰も「女性社員」に逆らえなくなる社会が形成されるのではないか…と。
しかし実際には、少なくとも私の職場(大体3分の1前後が女性)では、そのような問題は起こりませんでした。これには二つの要因があると思われます。一つは、「セクハラ」の定義が極限まで拡大したことによって、皮肉にも男性を性的にからかう言動さえセクハラとして認められるようになったこと。もう一つは韓国で、ナッツ・リターン事件が発生したことです。
ナッツ・リターン事件は、大韓航空の女性副社長が、客室乗務員のナッツの取り扱いにしびれを切らし、彼らを降ろすために機体を引き返すよう要求した事件で、女性管理職による過度なパワハラとして日本でも社会問題になりました。折しも当時の韓国大統領は朴槿恵。現地では「女支配」の弊害が表面化したものとも解釈され、批判の矛先は彼女にも向けられました。
ともあれ、それに賛成するか反対するかを問わず、当時はまだまだ「フェミニズム」とは「女の地位向上・社会進出を進め、家父長制の伝統的家族観を解体させるべき」という思想を指していたわけです。「ツイフェミ」と呼ばれるような勢力は当時からすでにいましたが、それでも彼女らの社会への影響力は今よりも格段に小さいものでした。
あれから7年が過ぎました。「フェミニズム」と言ったときに指すものも、当時とは大幅に変わってしまった感じがあります。
「ツイフェミ」と「既存フェミ」の根本的な違い
当時の主流の「フェミニズム」と現在「フェミニズム」と言われている運動には、いくつかの違いがあります。まず何よりも挙げるべきなのは、「目指すもの」つまり方向性の違いです。
この2つの方向を持ったフェミニズムについて、私は「エリートフェミ」・「草の根フェミ」と呼称していますが、一部論客では「上からのフェミニズム」・「下からのフェミニズム」という呼び方もされています(ただ、この呼称区分は完全に一致するものではありません。「下から」のものであっても、そこから下克上的に地位を獲得するのか、男より格下を維持しながらQOLを向上させるのか、という違いがあります。ある意味ではここが、第2波フェミニズムと第4波フェミニズムの違いと言えるでしょう)。
両者の主張・理論には、見分けられるポイントがあります。まず前者では、「本質主義」・「二元論主義」に基づいた主張は完全にタブーとなっていましたが、後者ではそれらに基づいた主張も少なくありません。
「男性は男性であるだけで特権を得ている」という言説でさえ、前者が台頭しているうちは、それが生物的な本質によるものとはされていなかったのです。しかし後者が台頭するようになって、あえて「生物的な本質」に立脚した二元論的言説も増えてきています。
この2つを分けるもう一つのポイントは、「名誉男性」というタームです。かつてはフェミニズム政策に賛同しない、保守的な女性政治家にこの言葉が向けられていたこともありましたが、現在ではもっぱら「草の根」から社会的地位を得た女性一般に向けられている感じがあります。なにせ「下からの」運動ですから、既に上にいる女たちは彼女らの包摂すべき対象ではないというわけです。
「結果の平等」志向は何をもたらしたか
さて、均等法〜参画法〜活躍法成立までの期間において、男女の地位格差の是正(いわゆる「結果の平等」)は、フェミニズムにおける究極の目標となっていました。
これが「究極の目標」である限りは、「社会的地位を得た女性」というのはフェミニストが共通して尊敬すべき存在でした。今のように「名誉男性」と揶揄されることなく。
ですから、私はこの部分については「結果の平等」志向の肯定的に評価できる点であると思います。
「伝統保守・復古主義」寄りのアンチフェミニスト論客は、しばしば久米・青識・御田寺氏のような批判を「フェミニズムを延命させるためのまやかしの批判」などと称していましたが、そりゃそうでしょう。「延命」しなければ、よりエグい勢力が「フェミニズム」として台頭しかねないんですから。
フェミニズムは敗北した。アンチフェミではなく、別の「フェミニズム運動」に。
というわけで、これは私の記事でも繰り返し述べてきたことではありますが、改めて言います。
フェミニズムは敗北しました。
ただしその敗北した相手はアンチフェミニズムではありません。少子化が進行したことでこの議論の正当性が証明されたからではないのです。
朴槿恵政権の末期では、友人の女性実業家とのスキャンダルが発覚し、弾劾訴追による罷免に追い込まれました。その後いわゆる「86世代」を支持基盤とする野党から文在寅が大統領に選出されます。そして彼はメガリア・ウォマドなどをルーツとした、「草の根からの過激なフェミニズム」に接近し、彼女らの求める政策をどんどん推進することになります。つまり文在寅は、朴槿恵による「女支配」を終わらせたが、より過激なフェミニズムの到来を許してしまったと言えます。よっ、フェミニスト大統領!
フェミニズムの敗北は、むしろこのような「下からの動き」の台頭に対する「敗北」であるのです。
そしてこれは、青識亜論による次のような問い、すなわち
「なぜリベラルやフェミは『積極的自由』について語らなくなったか」、および
「なぜ近年のフェミニストはジェンダーフリーを支持せず、性差を本質的なものとして捉えるようになったか」という問いの答えになっているわけです。
お前たち、それで満足か?
そして「地位向上・社会進出を是とするフェミニズム」が敗北したということは、これまでの伝統主義的反フェミニズム、すなわち「女の社会進出や自己決定権を批判し、伝統的性観念・伝統的家族観を奨励してきた反フェミニズム」が目指していたことは、「別のフェミニズム運動」が変な形で実現しつつあるということでもあります。だからこそ私は、そのような反フェミニズム言説に賛同していた、すべてのアンチフェミニストに問わなければなりません。
お前たち、それで満足か?と。
いくら「女の権利制限」が必要かつ必然であっても、それがフェミニズムの名の下に実行されるなら、男性にとって良い結果はもたらされるでしょうか?私は、未だに「権利制限を声高に求める主張」が反フェミニズムの中でくすぶっていることを憂いています。その感情を、「これからのフェミニズム」に利用されることだけは、絶対にあってはなりません。