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虎に翼について思うことを書き散らしました

(9月26日と27日にまたがって書きました)

『虎に翼』があと一話で終わってしまう。今日の回のOP前を昼にもう一回見て、オープニングを見ていたら、なんだか寂しくポロポロ涙が出てきてしまった(今も泣きながら書いてる)。

お仕事でもたくさんコラムを書かせていただいたのだけど、なるべく自分の感情を排して書いているので、noteには自分の話も絡めながら、作品のことを残しておきたい。

そもそも、私が『虎に翼』をしっかり見ようと思ったきっかけは脚本家だった。2023年3月に適応障害になってボロボロだった私を支えてくれたアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の脚本家・吉田恵里香さんが書くなら、ちゃんと見なきゃと思って見始めた。

ぼざろは原作もあるし、正直『虎に翼』と内容的に重なる部分はほとんどない。ただ、各話のドラマ性を際立たせる構成や、キャラクターの根底を理解した上での脚色がとても上手で、アニメを見て初めて脚本の良さを感じた。

きっと、独特の尺感の朝ドラでもドラマ性の高い構成、キャラクターの人生が見える群像劇を書いてくれるはずと期待した。そして『虎に翼』はその期待にこれ以上ないほどに応えてくれた。週ごとの論点がはっきりしていて、木曜金曜の回にぐわっと感情を動かしてくる。どこがポイントになるのかが、はっきりしているから展開がはやい。主人公以外のキャラクターがそれぞれの価値観や事情のもと悩みながら生きて、成長して、互いに影響し合っていく。正直これだけで朝ドラとしての満足度はめちゃくちゃ高かった。

あと、主人公の家族に主人公の夢を阻んだり、邪魔する人を作らなかったことも良かった。ドラマ性を高めるために、主人公に対する壁はどうしても必要だから仕方ないとはいえ、朝ドラは主人公の親や兄弟による壁が多すぎる。思えば虎に翼は、主人公が対立する相手というのがほとんどいなくて、価値観が違うから最初はぶつかるけど、対話の中で解決していくことが多かった。

じゃあ全編を通して、主人公にとっての壁は何かと言えば、当時の社会構造そのもの。26週あったからできたことだし、逆にいえば26週すべてにおいて明確に壁となる人物を作らなかったことは本当にすごいことだと思う。社会派ドラマの多くは、社会的な常識に囚われた人物を敵として描いて、社会問題を表現するのに対して、虎に翼にはそういった人物がいなかった。いたとしても対話で解決していく。敵は人ではなく、真に平等になっていない社会や追いついていない法だということを描き続けていた。

正直、その狙いが全話でうまくいっていたかは微妙なところではあると思う。やはり週によっては推進力が足りない、推進力はあるが分かりにくいと感じる週はあった。週を跨いでの敵や解決しない問題などがないから、ドラマ全体の縦軸が見えにくいし、時間をかけて盛り上がる、伏線回収的な展開はほぼなかった。ただ、この明確な壁となる人物を描かない、敵は目には見えない社会構造と、そこから生まれてしまう常識にある、誰しもその壁に阻まれているということをやり遂げた志の高さ、覚悟が決まってる感が脚本にも演出にも感じられるのが、私は本当に好きだった。

この覚悟が決まってる感は、ぼざろコンプリートブックの吉田さんのインタビューでも感じられたので、もう吉田さんがそういう人なんだと思う。

弁護士、裁判官を扱うだけでなく憲法、特に14条を軸にして(史実通りに描こうとすると年代ごとの判例や三淵さんの功績からして避けられない部分もあったとは思うけど)、今もなお議論される観点も含めて逃げずに書き切ったことも、ただただかっこよかった。そもそも憲法14条を軸にしたドラマ、なおかつ令和の時代にやるドラマとして、セクシャルマイノリティや選択的夫婦別姓を扱わないことはむしろ不自然で。批判を恐れずに、今の問題、議論から逃げなかったことがやはり素晴らしい。これについても覚悟が決まってると言いたい。

吉田さんが大好きな人として、作劇と人間として好きな部分についてダラダラ書いてしまったので、ちょっと私の話をしたい。

私が育った家は、見方によればマイノリティに属する家庭だった。虎に翼の登場人物たちのように社会的な不利益を被ったわけではないけど、幼心に「みんなに知られたらいじめられるかも」という怯えがずっとあった。そういう状況にある家庭のなかでは恵まれた環境だったし、親から私へのコミュニケーションに問題を感じたこともない。ただ、忘れられないのが、中学生の一番辛かった時期に友達から「悩みなさそう」と言われたこと。「え、悩みしかないですけど?」と思った。

この経験から思ったのは、みんなマジョリティであり、マイノリティだということだった。光を当てる角度が変われば、みんなマイノリティになるし、マジョリティになる。だからこそ私は必要以上に相手のマイノリティな部分に寄り添うとか理解するとか思うのはやめようと思った。だって誰にもどこかにマイノリティな部分はあるから。

寄り添わない、理解しようとはしないけど、その辛さを想像できる人でいたいと思っている。だから誰かに社会的な常識を押し付けたり、その人の境遇や感情を否定したりしたくない、相手が打ち明けない限り、そこには言及しないし、もし常識に囚われて苦しんでる人がいたら、あなたはあなたのままでいいよ、好きに生きてよという気持ちでコミュニケーションを取りたいと思って生きてきた。すごく難しいんだけど。

誰しもマイノリティな側面があるということは、大小はあれど生きづらさを感じる場面が必ずあるということ。社会的に透明にされているかは別として、人と違うな、生きづらいなと思った経験が誰にでもあるはず。虎に翼は、この大小問わない生きづらさを地獄と表現してくれた。

普通、自分が生きている世界を地獄だなんて言いたくない。だから自分が晒されている差別的状況とか、ん?って思う言葉とかを見て見ぬ振りしてる人は多いと思う。私もそう。思い返せば、これはどういう意味?と思う言葉、それこそ穂高先生みたいに悪気なく枠に当てはめようとしてくる言葉を飲み込んだことがあった気がする。

虎に翼は、そういうほんの少しの違和感に対して、疑問をぶつけていい、なんなら怒っていいと言ってくれた。怒り方の種類はあれど、疑問を投げかけていい、怒っていい、逃げずに対話で解決しようとしていいというメッセージに、怒ってよかったんだ、傷つけられたことに見て見ぬ振りをして自分で自分を守ってたんだと思えて、私はとても救われた。本当にありがとう。

そして、虎に翼は今の私のことも救ってくれた。気を抜くと、何者かでいないといけない、社会で評価される人間でいなくちゃ、そのために努力しなきゃいけないって思ってしまう。でもこのドラマはそんなこと思わなくていい!と声高らかに教えてくれた。

生まれた時から私は私で、誰になんと言われようと特別。同じようにみんな平等に特別。その意識のなかで、ありたい自分でいられるように、選択を繰り返して生きていけばいい。そんな当たり前を忘れそうになった時、心の指針になるようなドラマだった。もう一回言う!ありがとう!


心に寅子やよねさん、女子部のみんな、自分の考えを大切に生き抜いたみんなを住まわせて、弱気になりそうな時に思い出したい。

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ふるさわりょうこ
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