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切抜14『そういう人になりたいぜ』

今年の夏は10月までと言わず、11月までその微熱を保ったまましぶとくこの騒がしい都会を覆った。その後は手のひらを返したように冬の寒さが吹き込んで、私の体をギュッと小さくさせた。

気がつけば2022年が終わりを迎えようとしていた。
毎年このぐらいの時期になると、「今年もあっという間に終わった。きっと来年はもっと早く感じるんだろうな」と、恒例行事のように誰かにこぼす。去年とはまた違った忙しさに飲まれて迎えた仕事納めの日、職場の人間にその言葉を向けた。へらへらとした顔で「どうせ来年も同じこと言ってるよね」と返してきて、軽く会釈をして翌日からの休みに心を踊らせながら会社を後にした。

2022年は、私にとって随分と前向きになれた大きな1年になった。前を向こうと思えたことの大体が負の出来事がきっかけだったが、今これを綴る私になるまでの必要な傷だったならまったく安いものと言えるだろう。
年初めは私から気持ちを打ち明けて、日ごろから忙しいと口にしていたクラスメイトに申し訳ないと思いながら交際を始めた。しかし、早い段階で相手の一挙手一投足に辟易し、そのうち今まで経験したことのないほどの相手のあまりに身勝手な言動に私からついに手を離した。
これまで誰かと交際をして自分から関係を絶ったのは、これが初めてだった。みるみる狭まっていく自分の心の感覚に反射的に防衛本能が働いて、ふと気が付いた時にはLINEのアカウントをブロックしていた。まだともにクラスメイトとして切磋琢磨し合う仲間であるのに、そんなのもお構いなしに私はボタンを押した。直後に信じられないくらい清々しい気持ちになったことを、あの時初めて味わった。「誰かを大事にするなら、まずは自分を大事にすること」とどこかで読んだことがあるが、私はここでやっと自分を大事にすることについてのスタートラインに立てた気がした。


5月某日、程なくしてそこに空いた隙間を埋めるように新しい出会いがあった。
人生で初めてぎっくり腰になり、仕事終わりに通える病院がないと涙ながらに激痛が走る腰を押さえながら慌てていたところ、希望の光を最寄り駅付近で見つけた。生涯世話になることはきっとないだろうと思っていた鍼灸院で、今の推しに出会った。最初はてっきりただの受付スタッフか、男性患者担当の子だろうと思っていた。しかし、施術室で着替えを済ませて声をかけたところで部屋にやってきたのは彼だった。特徴的な眉毛に大きくて素直な目に、まるい響きの優しい声、施術中にあちこちにぶつかったり躓いたりと鈍くさい部分、そして施術とは言えなんの説明も無しに手を取ってきた潔さ、何もかもが私のツボだった。治療のためにそれから何度か通い、行く度にいろんな言葉を交わした。知れば知るほど彼という人間は面白く、気が付けば恋を軽く超えるほどの愛着が心の中で生まれていた。
歳は私より7つ離れているということを知ったとき、一瞬自分の気持ちにブレーキが掛かった。そういえば私が年上の人間と会話をする時に一体どんな感覚で話していたのかと考えたり、これまで反面教師にしてきた人間たちの悪癖の数々を思い出した。私は、兄弟の中でも末っ子という立場で生まれ育ってきた手前、自分より年上の人たちからは良い部分と悪い部分を自然と選別していたことに気が付いた。彼は周りの人間たちをどう見ているか分からないが、彼から見た私自身が一人の"大人の人間"として見られているのであれば、彼にとって恥ずかしい大人ではなく、せめて少しでも尊敬できる人になりたいと思うようになった。
自分の利点はできるだけ利用して、自分で気づているダメな部分はできるだけ直して、たまに彼の良い部分を盗み、物にして、自分自身をブラッシュアップしていった。一段階、もう一段階、時の流れと共に自分で変われたと実感ができた頃に、一大決心のつもりでたまたま外で二人きりになったタイミングで彼を食事に誘ってみた。だが、新入社員ということもあり社内規則を徹底的に守る彼からは遠回しに断りの一言を告げられた。次の一週間では気まずい空気が間に流れたが、その次からはまた元のテンポ感で会話ができるようになっていた。

9月下旬、彼が接客で英語が必要になってしまったと話を聞いた。学生時代、まともに勉強をしていなかったから一から勉強をしていると説明してきたが、どこからさらっているのかを尋ねてみたところ、「中学英語から」と返ってきた。ただえさえ毎日仕事に追われている中で初歩的なところから勉強をしていたら最悪その間にお客さんが離れてしまう、と余計な心配をした私は、およそ10日の時間をかけて英語が達者な知人の知恵を借りながら自分の知識も踏まえて、彼のために接客フレーズやそれに必要な単語、日本語で同じ言葉でも英単語だとこのように言い分けるといった応用コラムを用意した1冊のノートを作った。これを用意するために英語の参考書を2冊ほど買ったり、電子辞書を引いて大事な部分は自分の手帳にメモを取り、書き込む情報を厳選して色ペンやマーカーを交互に使って、現役の学生さながらの見やすいノート作りに仕事の休憩時間やスキマ時間、帰ってきてから寝るまでのあらゆる時間を使って仕上げた。
後日、彼にノートを渡したら大層喜んでもらえた。その翌週には渡したノートの感想を伝えられた。彼は実際に仕事でフレーズを使ってみて、自分の言葉が相手に伝わったことをとても喜んでいた。外国語の勉強できっと誰もが一番良かったと思う瞬間は、自分が習得した知識が通用した瞬間だろう。私もまた自分の知識が彼の役に立てたことが何よりも一番嬉しかった。
そう思う一方で、過去に勉強していたことを今の年齢になって改めて勉強することの楽しさに気づいた。元々語学勉強は好きな方だったため、新しいことを覚えたり過去の記憶を振り返ったりしていた時間がとても充実していて楽しくて仕方なかった。このまま勢いで英語関連の資格を取ってもいいかなという夢もそのうちよぎるようになった。そんな話を彼にした時、明るい声色で「それいいですね!すみそさんならできますよ!」と返ってきた。なんて前向きな言葉なんだろうと呆気に取られた。これまでこういう事の大体は身の回りの人に無謀だと一蹴されることが多かったし、同じような言葉を受ける前に少し苦しい顔をしながら言われることが殆どだったため、こんなに迷いなく明るい言葉をもらうとは想像していなかった。
私の日陰に光が差した、明確な瞬間だった。私は朝陽のような彼のことを益々好きになっていった。

通りすがる人たちが少しずつ長袖を着るようになった頃、季節の歩みについて言葉を交わした。彼はウィンタースポーツを毎年シーズンオフが訪れるまで楽しんでいるそうで、施術中私が目元にタオルをかけられている状態からでも分かるほどの明るい声でそれについて熱く語っていた。時折、舌足らずな説明でとんでもないニュアンスで私に伝わってしまったことを慌てて直して話す声がコロコロとしていて、それが愛しくてしょうがなかった。
家族、兄弟、最近なかなか都合がつきにくい友人と、行く人は様々だった。彼は特にスノーボードを嗜むそうで、はじめは怖かったものの、気づいたら「楽しい」が怖いという感情より勝るようになって以来ずっと滑り続けていると話した。私の背中や腰に鍼を打ちながら好きなことについて嬉々として語る彼の話は、毎週濁った水の溜まった水槽の中で足掻くような日々で疲弊している私の心にいつも沁みた。

「すみそさん、なんだかお疲れですか?」施術後にいつももらうハーブティーを啜っている私にある日声をかけてきた。独りで過ごす実家の母親のこと、関係が上手くいっていないという兄夫婦のこと、一年後はおろか明日まで不透明な自分の将来のこと、他人の小言に無駄に神経をすり減らしてしまう仕事のこと、卒業まで時間が少ない養成所のこと、その日はすべてがしわ寄せになっていた。なんとなくその面を悟られたくないと思い目を合わせないように「大丈夫ですよ」と言い放ったものの、なんとなく気になってふと顔を上げた時に彼の顔が映りこんだ。彼の眉間には少ししわが寄っていて、「でも、元気なさそうに見えます」と心配してきた。少し前まで明るい話をしていたはずなのに、不安そうな表情をさせてしまったことに心がチクりと痛んだ。「じゃあ来週には元気になるんで!」とその日は苦し紛れに返して店を出た。帰り道、あの表情を思い出す度に「次に会う時は絶対に元気な状態で会ってやる」と心の中できつく呪文をかけるように唱え続けた。

"そんな歌を歌ってしまう僕を見ても 君は笑ってるぜ 
 そうだその笑顔を好きになったんだ"
"ねぇ神様 僕の神様は そうだ君の笑顔なんだ"
仕事帰りにたまたまシャッフル再生で聴いていたamazarashiのプレイリストから流れてきた「そういう人になりたいぜ」のその歌詞に耳が止まった。電気が走るみたいに彼の顔が頭に映った。
たまに私のくだらない冗談やだらしのない失敗話を、たまに軽く心配をしながらも笑って聞いてくれたり、根拠はなくてもなんの躊躇いもなく「大丈夫ですよ」とフォローをしてくれる彼の素直な言葉に私は救われていたんだなと気づいた。これまでのやり取りの中で垣間見た彼の笑顔を1つ1つゆっくりと思い出しているうちに胸の内がじんわりと温かくなり、まだ駆け出しの冬の夜風が額を掠めていく中で目頭にこもる熱に満ち満ちた幸福を感じた。
寒さが急に厳しくなった日、詳細こそ話さなかったが施術中に最近つらいことがあったと軽くこぼした時にいつもの笑顔で「大丈夫ですよ、なんとかなりますよ」と声をかけられ、緊張の糸が途切れたのを感じた瞬間にたった一粒だけ涙がタオルの下で落ちた。
「ああ、彼はなんてあたたかいんだろうな。」
さっきまで沈みきっていた心が軽くなった。自分でも分かるほど落ち込んでいた私の顔も次第にほころんでいった。彼の陽だまりのような声と言葉はいつだって私にとって効果絶大だった。

年の終わりが見え始めた頃、私はひとつだけある決心をした。
これまでやり取りをしてきた中で、私は彼のことが好きだということを言葉にせずともあらゆる方法で伝えてきた。きっと彼は気づいていたかもしれないが、それでもお構いなしにいつでも同じ調子で話しかけてくれた。地元のお土産、年間行事のために拵えたお菓子、職場でもらった頂き物の高級りんご、渡したほとんどの食べ物はほかのスタッフ誰一人に分け与えることなく全て一人で持ち帰って食べたと、そしてどれも「おいしかったです!」と都度報告を受けることがとても嬉しかった。でも、そういう気持ちにずっと甘えているわけにはいかない。本来は身体を治すことが目的で通っているのに、この気持ちがあっては引き際がいよいよ分からなくなる、一方で月によってひりつく懐事情の心配もあったため、そろそろ決着をつけようと、ひとつのけじめとして私は彼に連絡先を渡そうと決めた。
そう思ってからまずは恐ろしいまでの文章量のラブレターでも綴ろうかと思ったが怖がられてしまっては元も子もないため、当たり障りのないメッセージを一度別の紙に用意して、自分で描いたイラストに小さいメッセージ枠とLINEのQRコードを貼り付けてポストカードにプリントアウトした。
「先生、5月から年末まで大変お世話になりました。およそ7か月の間、先生にはいろんな部分でたくさん救われました。本当にありがとうございました。来年もお世話になりますので、宜しくお願いします!そして、よかったら友達になってください。…よいお年を!」
言いたいことを極最小限に縮めて書いたのがこれかと少し自分にがっかりしたが、自分で最低限のメッセージ枠を用意した手前、これ以上の文句は言えなかった。「でも、これでいい」と腹を括り、ポストカードを一度透明のOPP袋で包み、周りから見られないように封筒にしまい、翌日施術終わりに「年末のご挨拶です」と言って渡した。

もしこれで何の反応もなければそれまでとして、私は年明けまで彼の答えを信じて待つことにした。
手渡してから5日が過ぎた。未だに友達追加の通知は来ない。

それはそうと、上で綴らなかった彼との会話たちの中で何度も彼をすごいと思ったことや、彼の純粋な言葉に不意打ちで殴られたり、私の痛がる反応に楽しそうに笑う彼につられ笑いをしたり、彼の考えに感心したり、その殆どの施術時間は笑顔で帰ることが多かった。私はそんなすべての時間がどれも大切で、これから先もこの時間のことを一つ一つ宝物を見つめるように思い出すのだろうと思った。
だから、もしこの後彼が何の反応もないままで居たとしても、きっと彼なりに思うことがあってそうしたのだろうと、彼は彼の思っていることをしっかりと貫くつもりでそうしたのだろうと信じることにした。
仮に本当にそうだったとして、私が20前半の頃には持てなかったその強さが今の時点で彼に備わっているということにまた強く惹かれかけてしまっている私が居る。が、ここは目を背けることにしよう。


春に「自分のことは自分でちゃんと守ろう」という意志がしっかりと芽生え、5月から気になる人に振り向いて欲しい一心で動き回ったり、今年は自分の気持ちに向き合いながらそれなりに成長できた1年だった。良い歳した大人が一体何恥ずかしいことをしているんだと笑うだろう。でも、たった1人との出会いが、そこに尊敬や恋慕の想いが火種となって私を突き動かし今に辿り着けたなら、これほど幸福なことはないのではないだろうか。
これまで過程は考えずに感情一直線で動いていた自分が、石橋を叩きながら恋に溺れ暴れる気持ちと腹を据えて向き合うことなんて、今までにあっただろうか。物事を慎重に見て何が必要で不必要であるかについて、もうあと2年で30歳という年齢の節目を迎える自分がこれから築いていきたい大人像について、それを考えるきっかけを与えてくれたのが彼であったということが、何よりも幸せに思えた。
「他人は自分を映す鏡」とはよく言ったもので、鏡に映ったものが彼というひとりの人間であったことが、私は本当に、本当に嬉しかった。


ああ、今日からどう生きてこう。

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