川っぺりムコリッタを鑑賞して
7ヶ月ぶりの投稿は、noteを始めた当初は考えてもみなかった映画鑑賞の感想になりました!発信することで昨日の自分よりも前に進めた、と思って。
10月18日公開の映画「まる」に先駆けて
10月18日公開の映画「まる」は、堂本剛さんが主人公を演じるとあって、私は公開を楽しみにしている。公開を目前に、荻上直子監督の作品を、とAmazonプライムにある「川っぺりムコリッタ」を鑑賞。
近々でかもめ食堂を鑑賞したこと、「ムコリッタ」という言葉の響きがまあるくてやさしい感じがして、ほのぼのした映画だと勝手に想像していたら、面食らった。一言では表せないけれど、見た人が考えを巡らすことができる余白がたくさんある作品だった。感じたことを無造作に綴る。
主人公に対するはじめの印象
松山ケンイチさん演じる主人公の山田の部屋に、隣の部屋に住む島田が風呂を貸してくれと突然尋ねてきて、拒絶する描写がある。物語の序盤では山田がこの地に来た理由ははっきりとは描かれていないが、彼の言動からも職場の社長の言動からも、この地にくるまでに明るく話せるような出来事ではない何かがあるのだろうなと推測できる。人に心を開くことを拒んでいる人という印象だった。
食べることは生きること
山田がご飯を美味しそうに有難そうに食べる姿が印象的。白米と汁物だけでとても幸せそうな表情をする。穏やかな幸せというよりも生きていることを噛み締めているような姿が印象的だった。特に、隣人の島田が置いていってくれたきゅうりとトマトを食べる描写は、食べることは生きることなのだと強烈に感じた場面だった。
優しさのかたち
自分自身も向き合うことを避けて蓋をしてきた過去。愛おしい過去。幼き日の記憶、愛する人に愛された時間。それでも時折、この人の前でなら蓋を外してもいいかなと思ったりすることがあって、それで話す人、やっぱり話せない人がいる。蓋をしていたのに何かの拍子に溢れ出してしまった時に、手を差し伸べる優しさもあれば、後ろから見守る優しさもある。どちらもあなたのことを想っている。
亡き人との向き合い
大切な人や身近な人の死への向き合い方が、主人公の山田だけでなく他の登場人物を通しても描かれていたように感じる。隣人の島田の「どんな人だったとしても、いなかったことにしてはいけない」という言葉も印象的だった。その言葉には力強い意志が込められていた。この物語の中で彼の過去は語られなかったが、彼を強く表す言葉のように感じた。「亡くなった人の魂はどこへいくの?金魚のようにゆらゆらと空中を彷徨って、少しずつ上の方に昇っていく。」ー愛しい人の存在は、たとえ骨だけしか残らなくとも愛おしい。
笑っていいんだよ
自分の感情を言葉にしてこなかった主人公が、物語の終盤で答え合わせのように溢れる感情を吐露していく。自分は笑って生きてはならないという思いを持っていた主人公が、ハイツムコリッタの住人たちとの関わり合いの中で、ふとした時に笑っている自分に気づき、その事実に戸惑いながらも、自分に課した呪いは少しずつとけていく。ーそう、笑っていいんだよ。
そのままエンドロールに繋がる場面では、主人公の表情はとても穏やかにみえた。ハイツムコリッタの住人たちがさまざまな優しさのかたちで彼を受け止めてくれて、主人公も自分自身や過去と向き合うことができたのだと思う。
答えがある物語ではなくて、みた人それぞれが好きなように考えることのできる、余白のある作品でした。映画「まる」がますますたのしみです。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。