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「関数ドミノ」というカウンセリング舞台を観た話。

イキウメの「関数ドミノ」を観てきました。

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初のイキウメ、そしてタイトルだけは何度も聞いたことがある「関数ドミノ」。すごく楽しみにしていました。

めっちゃくちゃ面白かった!何度も再演されるのも頷けます。

結論から言うと、これはある男のドミノ幻想にまつわる研究結果報告会であり、私自身のカウンセリングでもありました。

※以下、ネタバレありますのでご注意ください。


ドミノ幻想とは

ある特定の人物を中心に世界は回っているという考えのこと。その人物が願ったことは叶うと言われている。まるで、少し触れただけで簡単に倒れて進んでいくドミノのように、願っただけでその通りに事が進んでいく。そして、その力を持たない”その他大勢”はドミノの願いが叶うよう動かされる、駒のような存在だ。
なお、この力は期間限定であり、ランダムに宿るらしい。いつ、だれがその力を持つのかは誰にも分からない。本人にさえも、分からない。

奇妙な事故が起き、目撃者などの関係者が再調査の為集められた。そのうちの一人、真壁(安井順平)は「事故はドミノの力を持った人による奇跡だったんじゃないか」と唱える。そして調べていくうちに、ある人物がその力を持っているんじゃないかと疑いの目が向けられるように。ドミノを信じている男と、運命に惑わされる人々の行きつく先は?


ドミノ幻想という言葉は初めて聞きました。最初こそ半信半疑でしたが、真壁の話を聞いていくうちに本当にあるんじゃないかと思うようになるんです。説得力や圧がすごいと言いますか。世界には神に選ばれた人がいて、その人の願った通りに世界は回っているんじゃないかと。もしそれが本当なら、なんて理不尽なんだろうと。

・・・と書きましたが、実際にこの理論が存在しているかは実は曖昧なんです。検索してもこの舞台に関すること以外では引っ掛からないんですよ。それでも、この理論はあるんじゃないかと信じてしまう。まさしく真壁のように。そう信じることで、これまで自分に起きた理不尽でショックだった出来事はそいつの仕業だと当てはめて「自己防衛」することが出来るから。これは私のせいじゃないと。


理不尽の原因

真壁は自分の身に起こる理不尽な出来事、思い通りにならない現在、それらをドミノのせいだと信じていた。自分以外の誰かが力を発動させているせいで、俺はその願いを叶えるための駒となっているのだと。自分の願い以上にドミノの願いが世界では重要視されているのだから。自分の身に起こる理不尽な出来事も、やりたいことを上手く出来ない世の中も、全て、そいつのせいだ。

それならば、もし、自分がドミノだったのなら。その願いは果たして叶うのか。

世の理不尽さを訴える真壁のことを、完全に愚かだとは思えない私がいたんです。私だってそうだから。自分を責めることもあるけど、どうしようもなくて、周りや環境のせいにしてしまう時もある。自分にとってマイナスな出来事をドミノの先にいる誰かのせいにしてしまうことがある。見えない力で私が好き勝手に引っ張られているんだ。だから上手くいかないんだって。
だからなのかな、劇中の真壁に親近感を覚えながらも同時に嫌悪感も覚えたのは。


信じる対象

真壁は、逆にここまでドミノの存在を信じられるのに、どうしてそれを自分に当てはめることが出来ないんだろう。周りのせいだ、環境のせいだと曖昧なものは信じられるのに、どうして一番近くにいる自分のことを信じることが出来ないんだろう。自分を信じるとはどういうことなのか。

天気予報なんかがいい例かもしれない。テレビで今日は晴れると言ってたけど雨が降ってきた。天気予報を信じたのに!と都合が悪くなったらそちらを悪にすることが出来る。自分は悪くないと逃げられる。信じるという選択をしたのは自分なのに、信じた相手・媒体を盾にすることができる。そうすることで自分を守れるから。


自分を信じるのってこわいです。天気予報のように形があるものとは違い、自分の中だけにある姿形のないものを具象化させて信じるのだから。自分を守る盾も剣も自分で生み出したものだから。それに、握っているのかすら分からない手綱を握ることは、ただそういう振りをしているだけって滑稽に見られてしまうかもしれない。そんな恥ずかしさもわかる。

それでも。
自分以外のものではなく、自分自身を信じて動いた先には、自分以外のものを信じて得られた結果以上のなにかが得られるはずだと。そんな希望を信じてみたくなった。
自分を信じる。そうすればだれもがスーパーマンとして立つことが出来るんじゃないか。いや、スーパーマンじゃなくてもいい。なりたい自分に向かっていける。そんな力強いメッセージを感じました。


"信じる"を間違えないように。

そんな舞台の最後、真壁は客席に向かってこう言います。

「どうか、みなさんは間違えないように」

この台詞からは釘を刺されたようなヒリヒリした痛みを感じました。
まるで舞台から「私たちはあなたを信じてこの舞台を上演しているのだから、"信じること"を間違えるなよ」と言われたかのよう。それまでは真壁に自分を重ねながらも、彼の結果報告会を聞きに来た一観客であった私が、急に舞台に上げられたような緊張感が一気に押し寄せてきました。そうして最後にもう一度、信じるとは一体なんなのか、深みが増すのです。
このラストシーン、すごくゾクゾクとして物語が一気に引き締まって良かったなぁ。

誰もが一度は悩んでしまう”自分を信じること”の難しさ。そんな普遍的なテーマをSFっぽく描いていてすごく面白かったです。噂で聞いたけど、以前再演した際は別バージョンのエンディングだったとか。それも気になる…!


皆様とてもお芝居に引き込ませる力があって素敵でした…中でも看護師役の太田緑ロランスさんが次第にドミノ幻想の力を信じるようになり、ドミノを持つと疑われている人物に対して「心から願ってください」と懇願するシーンが恐くて印象的でした。聖母のように優しく見えるからこそこわい。
また、真壁たちとは違う意見を持つ精神科医・小野ゆり子さんも舞台上でのバランスがすごく良かった。私の近くにもこんな人がいてくれたら良いなと思う安心感。

ただ、この事故そのものがもしかしたら真壁のつくった妄想であり、関係者も実は真壁のカウンセリングの為に集められたのかなとも思うんですよね。その辺りどうなんだろう。



舞台の冒頭、真壁は「信じることが下手になった」と言います。
ハッとしました。これだ、私はまさしくこれだと。
きっと昔の方がもっとシンプルに、より強く信じることが出来たんじゃないかと。

年齢を重ねたからこそ色々考えすぎてしまって上手く信じることが出来なくなったきているのかもしれない。

だけど、だからこそ。私は舞台と言う名のカウンセリングを通して、信じる私のことを信じてみたい。そう思うのです。



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