天才の頭の中を覗き見。 #4月課題図書:星野源『いのちの車窓から』【1カ月1冊生活】


4月は、星野源さんが2017年に出版されたエッセイ集『いのちの車窓から』を読みました。



星野源に浸る


本の放置癖よろしく、こちらも発売当初に買いました。

星野源さんの大ファンというわけではないのですが、本屋さんで偶然目について手に取ったのが、2017年のことでした。




2021年の今、星野源さんの曲をシャッフルで流しながら読みました。

この、耳からも目からも星野源さんを享受して「星野源に浸っている」感じになんだかおかしくなりながら。




『いのちの車窓から』というのは、開頭手術をして第二の人生を歩んでいる自分の体を機関車にたとえて、視力の悪い目をその車窓にたとえたタイトルです。

星野さんの目、車窓から見える光景が非常にリアリティの強い文章で書き連ねられていて、自分が目撃したことのように具体的に画が思い浮かぶエピソードばかりでした。



読み終えて、これは「なんかちょっと星野源、鼻につくなー」と思っている人におすすめのエッセイ集だなと思っています。

鼻につく理由と、こんなにたくさんの人が彼に熱狂する理由がわかる気がしました。


あと、ガッキーがめっちゃ好きになるので、新垣結衣さんファンの方にもご一読いただきたいところです(「新垣結衣という人」というエッセイがあります。ガッキーファンなら私なんかに勧められずとも既に読んでいるかと思いますが)。


「答え」の断片を見せてくれる天才


この本には、曲を題材にしているエッセイがいくつもあります。


アーティストはよく「この曲の歌詞の意味や、自分が何を思って書いたのか、何を伝えたいのかは聞いた人が考えることだから、作者が語るものではない」と言いますよね。


確かにそうなんだろうし、答えがないものに対して人間は考えるものだから、「答えを明らかにしない」という作品のあり方は頷けます。



とはいえ気になる。のが人間ってもんです。

何を思って書いたんだろう?何を伝えたいんだろう?


星野さんはその断片をこのエッセイに書いてくれています。

「断片」というのがミソですけど、これまで何の気無しに聞いていた彼の曲の見え方が変わって、この曲が生まれるまで(星野源という人間が一曲をつくりだすまで)を想像して涙が出てきたりしました。



同時に、本当に天才だと思いました

そんな経験、そんな思いから、こんな曲をつくれてしまうなんて。


しかも、それをこんなにリアリティのある文章で教えてくれる。

私自身が経験したことのように。



印象的だったフレーズ


この本は星野さんの等身大の言葉で、追体験ができてしまうような語り口調で日々の出来事が綴られています。

その中で、印象的だった「フレーズ」を7個、紹介します。


どういう意味だ?何が起きた?と思った方はぜひ、『いのちの車窓から』をポチってください。


「ヘビーな怒りエピソードほど面白く、笑えるように」
人が好きすぎる為に、執拗にコミュニケーションを取り、ウザがられた。いつの間にか、そのことを正当化するように「自分は人が好きではない」と嘘の設定を作り出し、黙るようになった。
数年前から、人見知りだと思うことをやめた。心の扉は、常に鍵を開けておくようにした。好きな人には好きだと伝えるようにした。ウザがられても、嫌われても、その人のことが好きなら、そう思うことをやめないようにした。
なにかしんどいときには、すべてが終わった「その直後」を思い浮かべる。
イマジネーションとナルシシズムは違う。どれだけ「イタい」と言われようと、「中二病」と馬鹿にされようと、そんなつまらない言葉には負けず、人はどんどん妄想すればいいと思う。現実を創る根本の大本は、想像力である。
寝静まった街を眺めながら、やはり深夜が好きであると実感する。その理由はなんだろうと思っていたが、ほんのり赤くなった東の彼方を見て、ふと胸がすくような感覚を覚え、その理由がわかった気がした。
いのちの車窓は、様々な方向にある。現実は一つだけれど、どの窓から世界を見るのかで命の行き先は変わっていくだろう。



文章のプロとは


星野さん曰く、「文章のプロ」とは、「ありのままを書くことができる人」と書かれています。


伝達欲というものが人間にはあり、その欲の中にはいろんな要素が含まれます。こと文章においては「これを伝えることによって、こう思われたい」という自己承認欲求に基づいたエゴやナルシシズムの過剰提供が生まれやすく、音楽もそうですが、表現や伝えたいという想いには不純物が付きまといます。それらと戦い、限りなく削ぎ落とすことは素人には難しく、プロ中のプロにしかできないことなんだと、いろんな本を読むようになった今、思うようになりました。


これ、すごくわかるんです。


読んでいて、著者のエゴやナルシシズムを必要以上に感じてしまう経験、ありませんか?

(そして、自分が書いた文章に対しても同じように感じてしまうことがあり、ちょっと悔しくなったりもします)


読者にそういったものを一切感じさせず、文章力を自分の欲望の発散のために使うのではなく、エゴやナルシシズムを削ぎ落とすために使うことができるようになりたいと思います。


星野さんの文章は、「不純物」が濾過されきっているところと、濾過中のところがあるような感じで、読んでいてすごくおもしろかったです。

星野源という生身の人間の日常と頭の中をそのまま覗き見してしまっているような。

完全に削ぎ落とすのも技術だけど、この微妙な塩梅を表現するのも技術だなと思います。




星野源さんのファンではない私から、星野源さんのファンではないあなたへの書評でした。

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