絶賛5月病の私とあなたに向けて。 #3月課題図書:pha『しないことリスト』【1カ月1冊生活】


はい。5月にして、3月の課題図書をご紹介してまいります。



世の中には「しなきゃいけないこと」が山ほどあります。

この本は、「それって本当にしなきゃいけないのかな?」と一つ一つ検討していき、もう少し力を抜いて生きていくことを目指しています。


この本を手に取った人(私含め)、そしてちょっと読んでみたいと思った人には、きっとストレスフルな日常があるんじゃないでしょうか。

そんな私たちに寄り添いながらも、「えっ、これもしなくていいことなの?」とちょっとびっくりさせられる一冊でした。



「それは本当に自分に必要なのか」


なぜしないといけないかが、自分でよくわからないことは、もうやめよう。まわりに理解されなくても、自分で実感の持てることや、自分のしたいことだけをやっていこう

筆者は就職してから一向に「好きになれない」仕事を我慢する日々の中で、これを何十年も続けていくのは無理だと思ったそうです。

それを機に会社を辞め、「しなきゃいけないこと」に追いかけられずに生きている筆者が、心に余裕を持って生きるためにはどうしたらいいのか?を説明してくれています。


それは、次のような考え方、評価基準を自分の中に持つこと。

①他人や世間の評価で行動を決めるのではなく、自分なりの価値観を持つこと

②他人や世間のペースに無理に付いていこうとせず、自分のペースを把握すること


目の前にある「しなきゃいけないこと」は、本当に「自分がしなきゃいけないのか?」とひとつひとつ考え直す癖が必要、ということですね。


この本で筆者は、「しない」と決めた36のことを4つのカテゴリに分けてシェアしてくれています。


所有しない


人間の注意資源は有限です。

たくさんのものを持てば持つほど、ひとつひとつに対しての扱いは疎かになっていく。

一人の人が有効に活用できるものの数には限りがあります。


必要以上に所有しないで、管理コストを浪費せず、必要なときに借りることを筆者は推奨しています。


とはいっても私という人間には物欲があってだな、、、と思いながら読みましたが、「頭の中だけで考えない」「過去に固執しない」といった「自分の中の所有物を減らす」ことについても書かれていて、そこは本当に、今すぐにでも手放していきたい所存です。



—「頭の中だけで考えない」


身の回りをスッキリさせるためには、頭の中を整理する必要があります。

具体的にいうと、アウトプットするということ。

紙に書き出したり、人に話したりすることで、「認知のゆがみ」をなるべく取り除けたら、もっとシンプルに生きることができるはず、です。


【認知のゆがみの10パターン】

①全か無かの考え
:少し失敗しただけで「もう全部がダメになってしまった」と考えてしまう

②極度の一般化
:一回良くないことがあっただけで「いつもこうだ」と考えてしまう

③心のフィルター
:良い面も悪い面もあるはずなのに悪い面しか目に入らなくなってしまう

④マイナス思考
:褒められても「これはまぐれだ」とか「褒めているやつは何もわかってない」とかマイナスにとらえてしまう

⑤論理の飛躍
:他人の行動などを根拠なく悪いほうに関連付けて考えてしまう

⑥過大評価と過小評価
:自分の欠点や失敗を実際以上に大きく考え、自分の良い点や成功を実際以上に小さく考えてしまう

⑦感情的な決め付け
:「不安に思うから失敗するに違いない」など感情ですべてを決めつけてしまう

⑧〜すべき思考
:「〜すべきだ」「〜すべきでない」と原理原則で考えて自分や他人にイライラしてしまう

⑨レッテル貼り
:「自分はダメ人間だ」などとレッテルを貼って決め付けてしまう

⑩誤った自己責任化
:何かトラブルが起こったときに「自分が全部悪い」と考えてしまう



—「過去に固執しない」


コンコルドの誤謬ってご存知ですか。


イギリスとフランスが莫大な予算をかけて開発していた「コンコルド」という旅客機は、完成前にして既に、将来収益化が望めないことがわかっていました。

でも、開発者側は、これまでにかけた予算や労力を無駄にしたくない一心で開発を続行し、結局商業化に失敗してしまったという話。


ここから得られるのは、失敗に気づいたら、「あ、ごめん、やっぱ間違ってたわ」とわりと早く訂正したほうが傷は浅いという教訓です。

自分の間違いを認めてやり直す勇気を持つことで、それがまわりまわって自分自身の首を絞めている紐をゆるめることにつながるのでしょうね。



努力しない


有能な怠け者は指揮官にせよ。有能な働き者は参謀にせよ。無能な怠け者にはルーチンワークをやらせろ。無能な働き者には一切責任を与えるな。

という言葉があるそうです。


有能な働き者よりも、有能な怠け者のほうが、他人に任せたり、些細なことを気にせずに大きな決断をすることができる。

無能な働き者は、じっとしていればいいときでも余計なことをして事態を悪化させる。

ということで。


なんかちょっと、今までの自分は無能な働き者になりつつあったのではないかと反省しました。

いつも勤勉に働いて偉いように見えるけど、「本当にその仕事が必要なのか」とちゃんと考えてみると、実はやらなくてもいいようなことをじっとしていられないからやっているだけのことだったりすると。


仕事をするために人生があるわけではなくて、人生を充実させる手段の一つに仕事があるだけなのだから、無条件に努力をするということは別に偉くないし、がんばりすぎて心や体に負担をかける必要はない、と筆者は言ってくれています。


—「大きく見せない」


ついつい自分を大きく見せようとしてしまうのが人間の性であると思います。


私も最近になってようやく気づいたのですが、自分を大きく見せておかないほうが、周囲から反感や妬みを持たれなくて済むので、結果自分にとって一番楽なんです。

特に、競い合いや軋轢が苦手な私の性格においては、そういうピリっとした空気が生まれないことがすごく大事。


筆者は「自分を下に見せることは、相手をリラックスさせるための気遣いみたいなもの」とも書いています。うんうん、たしかに。


競い合いが苦手な私も、ときにどうしてもマウントを取りたくなってしまう気分のこともありますが、そんなときは

誰にとってもその人自身が世界の中心だし、自分自身の価値観が絶対的な基準であるのは当然のことだ。だから、(中略)他人の評価なんてどうでもいい自分が自分自身の世界の中でそれなりに自己評価できるかどうかが重要だ。自分をわざわざ大きく見せることをしなくても、自然な自信を持てるような状態を目指していこう。

と言い聞かせるようにしています。



—「自分でしない」


これは私にとって衝撃的な一言でした。


自分のことは自分で後始末までやる。

自分のことで他人様に迷惑をかけない。

と、いう「ポリシー」でやってきたから。


そもそも人には向き不向きがあるのだから、自分が苦手なことはそれが得意な人に分担したほうがよいというのです。

うーん。おっしゃるとおり。。



それと、筆者は私の盲点を指摘してくれています。


人は結構何かを頼まれたがっている。

大体みんな、よっぽど余裕がないとき以外は、誰かに声をかけてもらいたかったり、頼りにされたがっていたりするものだ。と。


これもおっしゃるとおりで、私だって何か頼りにされたり助けを求められたら、「私を頼ってくれたこと」がうれしいし、自分にできることはなんでもしてあげたいと思います。


もちろん、低姿勢でお願いしたり、きちんとお礼をしたり、自分が頼まれたときは引き受けるようにしたり、という礼儀は必要だけど、「何がなんでも自分でやらねば」という呪縛は一刻も早く解く必要がありそうです。


—「イヤなことをしない」


「仕事というのは、イヤなつらいことを歯を食いしばって、ひたすら耐えてがんばってこそ成果を残せるのだ!」みたいなことを言う人(中略)は、その人自身が「つらいことに耐えてがんばる」というのが好きなだけで、単に個人の性癖だ。


性癖なんだそうです。

そういう人と一緒に働いて、そういう人の背中を見て、そういう人の話を聞いて、仕事ってそんなものだと思い込んでいただけで、別にそれは真実ではなく癖の話。


仕事というのは前述のとおり、人生を充実させる手段のうちのひとつでしかないのだし、それを成功させている人というのは「つらいことを耐え抜いた人」ではなく「自分の適性を見つけてそれを極めた人」なのだと。


人生にはうまくいくタイミングとうまくいかないタイミングが、「イヤなことを耐えているかどうか」に関係なく誰にでもある。

だから、自分に向いていること、好きなことをひたすら極め続けていけば、いつの間にか「向いていること」「好きなこと」が何かに昇華して、誰かにつながっていく。


…なんか背中を押された気がしませんか?


—「一箇所にとどまらない」


この章では、経営コンサルタントの大前研一さんの言葉が紹介されています。

人間が変わる方法は3つしかない。
1番目は時間配分を変える
2番目は住む場所を変える
3番目はつきあう人を変える
この3つの要素でしか人間は変わらない。
最も無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。


耳が痛いのですが、「決意を新たに」しがちな人間です、はい。


人は、自分の精神(内側)ではなく、目に見えるものや住んでいる場所、関わる人たちの影響を受けて、何かを考えたり行動したりしているのだそうです。

だから、ガラリと環境が変わる転職や引っ越しを今すぐ実行するのが難しいなら、小旅行でもいいから視界をガラリと変えてみるところから始めてみると、見えるものが変わり、自分自身が変わっていくのだそうです。


ていうか「難しい」なんて言わず、転職にも、もっと気軽にトライしていいのかもしれないですね。

なんかすごく高いハードルを感じていたけど(私は)。


最近周りで転職する人が多く、「転職=一念発起」イメージが崩壊しつつあるのです。


別に一箇所にとどまっている必要なんてないし、自分の残された時間を何にどう使うかは自分で決める必要がある(今同じチームで働いているあの人やこの人に、私の人生を有意義にする責任なんてハナからない)。

自分が転職することに対してちょっと懸念に思っていることがあったとしても、自分が今所属している組織からいなくなったって、自分が思っている以上にスムーズに何事もなく「仕事」は回っていくんですよね。



こうやって決意を新たにしていないで、行動してしまいましょう。


自分のせいにしない


社会学という学問では、人間の行動を社会の影響から考察していきます。

つまり、「人間は環境に規定される」ものであって、個人の努力ではどうしようもないことだってたくさんある、と筆者はいいます。


何から何まで自責思考でいるのではなく、「自己責任は50%、自分ではどうしようもないことが50%」と認識してみるだけで、自分自身が楽になるし、まわりの人にも優しくなれる。


この「不寛容社会」を生き抜くには、この「50:50」思考が重要なのかもしれません。


—「自分の実力にしない」


「自己責任は50%、自分ではどうしようもないことが50%」だから、何か成功したときも、何か失敗したときも、環境要因が必ずある。


成功したときは、たまたまうまくいってありがたい。失敗したときは、たまたま運が悪かったのでしかたない。

こう思っておくだけで、成功したときに驕ることもなく周りに感謝できるし、失敗したときに自分だけを責め立ててしまうことも避けられます。


成功も失敗もどちらでもないこともすべて、「自分の実力・行動だけで到達した結果ではない」のです。


—「感情を殺さない」


もう大人なんだから、こんな自分本意な感情は外に出してはいけない、と思っていませんか。


人間というものは感情必須の生き物です。

全員、非合理的な感情を持っています。

もし感情が苦しくなってしまったときは、どんなにみっともなくても、無茶苦茶に放出してみたっていい


筆者は「床に仰向けに寝転んで手足をバタバタさせたり、髪の毛を両手でかきむしったりしながら『ウォーッ、俺はもうダメだッ、どうすればいいんだッ』と何回も口に出す、という行為」をよくやっているのだそうです。

私のおすすめ放出方法もご紹介しておきます。


悲劇の主人公号泣シーンごっこ

お風呂で泣きながら、声を出さずに自分の置かれている状況を説明台詞で口パクします。絶対に誰にも見られたくない。

自分以外非公開SNSでエッセイストごっこ

自分の身にどんなことが起きて、それに対して自分はどんな感情を抱いているのか、エッセイ風に投稿します。エッセイ風に、というのがポイントで、趣のある言い回しができたりすると悦に入ることができます。

とにかく走る

好きな音楽を聞きながら走るようにしています。今はランニング中もマスクやフェイスガード着用が必須なので、口パク大熱唱をしても誰にも気付かれません。

母に電話

これは母の負担が大きいので奥の手にしていますが、自分がどれだけ辛いのか、とうとうと電話で解説します。時に泣きながら。



弱音や愚痴は、聞いてくれる相手にも負担をかけることにはなるので、そのあたりも考慮しながら自分なりの放出方法を見つけておくといいですよね。


—「絶望しない」


「もう死ぬしかない」「死にたい」と思ってしまうこと、ありませんか?

私は結構あります。年に3〜4回はある。


でも、そういうときの自分の思考回路というのは、一時的な気分の落ち込みで視界が狭くなり、退路が見えなくなってしまっているだけであって、そんな狭い視野のなかで「死ぬしかない」と焦って勢いで死んでしまってはいけません。

腹痛のように気持ち・感情にも波があるのは当然で、頭ではわかっていてもいざ負の波が押し寄せると「絶望」や「死」を考えてしまいますが、必ず、絶対に時間の経過がこの「感情の波」に気付かせてくれるのです。寄せてきた波は必ず返っていきます。絶対に。


絶望したときは、いったん命以外のすべてを捨てて、ひたすら逃げてみよう。


無責任でもいいし、自堕落でも怠け者でもいい、精神が弱いと誰に思われたっていい、精神年齢が実年齢より低く思えたっていい、周りはみんな逃げずに耐えていることだとしても私は逃げたっていい。

とりあえず、命以外のものはどうでもいいから逃げてみましょう。

ということです。


うーん、これ、頭ではわかっているし、自分以外の誰かに向けてならすらすらと伝えられるんだけど、いざ自分が当事者になると心がこれを理解するのがなかなか難しいんですよね。

「きれいごと言いやがって!あんたは大丈夫だったのかもしれないけど、こっちの状況は本当に『死ぬしかない』んだよ」って本気で思ってしまいます。



そうしたら、とりあえず最後の晩餐にでも自分の一番好きな食べ物を好きなだけ食べましょう。最後の晩餐なんだから、ダイエットなんて気にしなくて大丈夫。できれば温かいものがいいですね。でも、冷たいものが食べたいならそれも全然オッケー。

そして、最後に自分の身体に最高の幸福を与えるべく、湯船(温泉、銭湯などなおよし)に浸かりましょう。そして、マッサージなんかも受けてみましょう。今までありがとう、自分の身体。

極め付けに、自分の大好きなコンテンツで脳までも幸福状態に持っていってあげて、そのまま人間の三大欲求といわれる万人共通の幸福時間「睡眠」をこれでもかというほど享受してください。



期待しない


今、生きづらさを感じているとしたら、それは何かにすごく期待を寄せているからではないですか?


期待をすべて捨ててしまっては、前向きな感情も起きなくなってしまうので、そこまで捨て切る必要はないですが、少しだけ諦めや受容を取り入れて、「世界は人間の期待通りに動くわけじゃない」と認識してみましょう。


そうすると、今より少し楽に生きることができるかも。というお話です。


「こうでなくてはいけない」とか「こうなるはずがない」といった思い込みにこだわるのをやめよう。



—「最後まで我慢しない」


これ、本当に衝撃でした。


あ、最後まで我慢しなくていいんだ。っていう。


読書も、飲み会も、イベントも、映画も、「なんかビミョー」と思ったら、早めに抜け出しちゃっていいんだそうです。目から鱗。


前述の「過去に固執しない」と同じで、自分が過去にした判断や費やしたエネルギーが無駄だったと認める「損切り」で被害を最小限にすることが、人生においては結構大事みたいです。


—「議論しない」


私、議論好きなたちだと思うんです。

ドラマとか音楽とか実体験とか、いろいろな題材でお互いの意見を言い合って聞き合いたい。


でも、筆者は言います。

議論が得意な人は優れているというよりも、単に議論というスポーツに勝つことが好きなだけ
やたらと自分の意見を押し付けようとしてくる人は、単に議論というスポーツが好きな人か、もしくは自分の意見に自信がない人、それかストレスが溜まっている人だ。



むむっ。


図星のような、そうでないような。


議論が好きな自分が「優れている」と思っているわけではないし、「勝ちたい」と思っているわけでもなくて、ただ自分の考えていることを言語化して伝えたくて、同じものごとに対して相手はどう考えているのか知りたいんです。


ただ、後者の「自分の意見を押し付けようとしてくる人」というのは、筆者の言うとおりだと思います。

そんな人が周りにいて、その押し付けてくる意見が腑に落ちないときは「ああ、自分の意見とは少し違うけど、そうかもしれないですね、気持ちはわかりますよ」くらいの立ち位置でいるのがいい。


相手に自分の意見をわかってもらおうという期待も、相手の意見をわかってあげないとというこだわりも、捨ててしまってもいいはずですよね。


「するべきこと」「したいこと」リスト


さてさて、ここまで、筆者がまとめた「しないことリスト」の中から、私が「しない」と決めたい(決めた、とまで言い切れないのが私の弱いところでもあるのですが)4つのカテゴリ、11の「しないこと」を紹介してみました。


最後に筆者は、この本には「するべきこと」や「したいこと」が一つも書いていないことに触れています。


それは、自分だけの「するべきこと」「したいこと」をリストアップしていく必要があるからです。

誰かが誰かに対して、「これをするべき」「これをしたほうがいい」「これ、したいでしょ?」なんて決めつける権利はない。



自分だけの「するべきこと・したいことリスト」を作り上げて、それをひとつひとつやっていく、という人生にしたいものですね。




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