【第40回奥沢de江戸時代「日本外史」を著し大ベストセラーとなった頼山陽の生き方<9/29>】無事終了いたしました!

【第40回奥沢de江戸時代「日本外史」を著し大ベストセラーとなった頼山陽の生き方<9/29>】無事終了いたしました!
今日のテーマ:頼山陽の思想 「一君万民(いっくんばんみん)の理想」「天皇が主人である」と!是非日本人に知ってほしいザ 日本人のお一人ひとだと確信しております。
今回は幕末の勤皇思想の志士たちのバイブルとなり尊王攘夷運動の際に多大な影響を与え、幕末から明治にかけてもっとも人々に読まれた歴史書のひとつである『日本外史』を26年かけて完成させた 頼山陽(らいさんよう)の生き様をテーマにさせて頂きました。当時老中松平定信に高い評価 後に全国の藩校や寺子屋で読本(テキスト)として使用*「どのようにして日本の天皇が治めてきたか」という本なのです。
司馬遼太郎氏は、山陽の『日本外史』について、「この一書が幕末を動かしたとさえ言いたくなるほどである」と述べている(『この国のかたち』1、文芸春秋)。
完成したのは1826年、発売されたのは1829年のことです。頼山陽のダイナミックで独特な史観は、本当に心に響くものの見方考え方で幕末に尊王攘夷運動を率いた多くの志士たちのハートを射抜いたと思います。
一番大事なのは、頼山陽は『日本外史』を通じて、”本来は天皇家が主君であり武家はその臣下である、という目線を貫いています。
頼山陽は53歳の生涯を閉じますが、死の少し前、山陽は自らの肖像画に自賛文を書いた事がありました。
そこには「貧困ではあったけれど、いつも政治の事を考え、人民の幸福と国家の繁栄を願い、権力に屈する事無く自立して頑張り、人民の寒さや飢えを救う事だけ考えて、この手を動かして来たんや」と、自らの人生を記しました。
かれは酒を愛した 本当に自分らしさを追求した生きざまだったと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?