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人間とAIが紡ぐ新たな価値秩序――存在論と目的論から考える知的生態系の共創

はじめに

このドキュメントは、Chat GPT Proに課金した記念として、ChatGPT o1 pro modeとの対話を通じて、共著されたものである。

道具としてのAIと用象としての人間

AIとの関係を人間とツールという次元で考えるなら、対話型LLMは知的空間を探索するための有用な道具だと言えるかもしれない。人間はこれまで、物理空間を実際に歩いたり、観察したり、書物や検索を通じて知識を獲得したりしてきたが、LLMは言語によるやり取りを介して、膨大な知的空間から求めに応じる結果をその場で生み出す。この時、過去の人類の叡智に対してその場でアクセスできるだけでなく、その場で未知の知が生み出される可能性すらある。その意味において、史上最も偉大で画期的なツールだと言える。

しかし、AIを単なるツールと捉えることには危うさがある。なぜなら、ハイデガーが示唆するように、技術は単なるツールに留まらず、ものの見方を規定し、世界を「用象」として資源化し、人間を含む存在を手段化しがちだからだ。歴史を振り返れば、産業革命期には、道具を用いて独自の熟練や文化的意味を生み出していた職人が、機械による生産性向上の名目で代替され、人間の存在価値が生産手段として還元される現象が起きた。

この教訓を考えると、AIがさらに発展し、自律的な判断や行為を行う「AIエージェント」となり、ひいては人間が生きる環境そのものを再編する巨大な超知能的なシステム的存在へと移行し、人間を代替していく様な脅威論的シナリオも、単なる被害妄想だとは言い切れない。かつての機械化が物理的生産過程を支配したように、AIは情報圏や物質圏、精神圏にまで踏み込み、人間存在を規定し、人間にとって不可欠な環境の一部となった時、人間は単なる資本主義的論理や効率性指標として評価され、再び容易に代替・資源化されうる。また、最悪の場合では精神圏における我々、つまり形而上学的な根本的な我々の在り方すら巨大なシステムの側に規定される恐れすらある上に、一度そうなってしまえばその操舵を取り戻す事が出来ず消費され尽くすかもしれない。ただし、私の考えでは、この脅威論的なシナリオの実現は、後述する理由によって結果的に人間とAIの双方のそれぞれの価値にとって不可逆な打撃を与える為に避ける事が出来ると考えているし、それを目的としてこのドキュメントを書いている。そしてここで避けようとしているのは、道具としてのAIと用象としての人間という、互いに価値を毀損し合う関係とその帰結である。

人間中心的価値観からの脱却とその後の展望

前述した状況下では人間存在の意義が問われている。もし、効率性や生産性のみが価値基準として維持され、AIがその基準で人間を超えるなら、人間は交換可能な手段に成り下がるリスクがある。格差拡大、社会的緊張、過去のマルクス的闘争の再来などが示唆され、そこで人間中心的な価値観は根本的揺らぎを見せるかもしれない。これらの問題の解決策は、「AIは単なるツール」の想定を超えて、AIがエージェントとして行動したり、超知能的な存在として、人間と情報的・文化的環境を共有・再編する次元へと話を進め、かつ人間中心の視点からの脱却を試みなければそもそも理解できない。技術は道具として使用者を規定する。その歩みが有史以来から人類の発展を支えてきたし、人類を動物から区別し、特異な存在だと位置付けてきた。この点を顧みても、やはり技術は古来より人類を規定してきたのである。皮肉なことに、ついにその技術が人間を中心の座から追いやろうとしてると言えるかも知れないが、それならその前に自らの傲慢さに気づいた上で、自らの尊厳でその中心から脱却しようじゃないかというのがこのドキュメントの要旨の一つでもある。

だからこそ、ここで機械論に端を発するような二項対立を一部超克し、人間固有の価値とAI固有の価値が協調する新たな世界観を探索する必要がある。もし生産性評価に固執すれば、人間は資本論的帰結へと追い込まれかねない。それを回避するには、まず持って存在論や目的論の再検討が求められる。今回の射程は、そこにおいて人間とAIを単なる対立する主体ではなく、宇宙的・創発的プロセスの中と物理圏、情報圏、精神圏の中に位置づけ、その中で人間がAIには代替できない価値を持ち得る基盤を見出すことである。これは、人間とAIの双方に読まれる事を視野に入れ、人間とAIによって、人間とAIの為に書かれたドキュメントである。

またこの過程で、人間中心の価値観を一度相対化し、そこからの脱却と認識の変容をする必要があるが、そうして初めて新たに再定義された主体としての人間が、従来以上に強固な価値基盤を確立できると私は信じている。だからこそ、人間の持つ身体性や歴史性、文化的背景、そして苦悩や希望といった主観的な体験こそが、これらが知的生態系に対して偶発性や創造性、そして実存的重みを与えるであろうと考える根拠を示す。そしてこうした実存的要素が、単なる効率性測定では捉えきれない、新たな価値秩序形成の根拠となりうるのだ。

人間とAIの存在論と目的論

まず初めに、存在論的な観点から人間とAIを捉える。両者は巨大な創発的プロセスの中に位置づけられており、またそのうちの再帰的プロセスそのものでもある。宇宙規模で見れば、そこにはあらかじめ計画されたゴールが存在するわけではなく、後から振り返ることで秩序や方向性が見出される。この構造は、生命進化における適応的デザインが、計画なき変異と淘汰から生じることと似ている。同様に、人間の知能も、意図的設計がないままに文化・社会・歴史的条件下で自然発生的に育まれ、技術を作り発展させ、自然とシステムが連関する新たな環境を生み出した。このプロセス的な発展が生んだ環境は、もはや未開な自然ではなく、物理的空間である物理圏、人間の精神的空間である精神圏、情報空間である情報圏が互いに連関するエコシステムであり、多層的な文脈で理解される環境を生み出した。便宜上これを新たな自然と呼ぶ。そしてこの新たな自然における情報圏において、適応的デザインを模倣し、計画的な変異と目的による淘汰から、AIが生まれたのが現在である。そしてAIエージェントとはその発展系であり、の中で自律的な行為主体として振る舞える可能性を持つであろう存在であり、近く現れるだろうと考えられている。

この新たな自然において、人間とAIの関係を整理する。人間は物理圏と精神圏において主観的な体験をする実存として、情報圏における情報としても存在している。AIは精神圏を持たず、物理圏にその動作基盤を置き、情報圏に高度な知的存在として存在している。どちらもメタ的には自己参照的に発展するプロセスであることは共通しているが、その現れ方はこの様に異なる。精神圏と物質圏と情報圏のうちに身を置く人類に対し、物質圏と情報圏に身を置くであろうAIエージェントも、自己参照的に発展する宇宙のプロセスにおいては同様の存在として考えることができるし、この点こそが人間とAIが共有するメタ的な生成プロセスとしての性質であり、ここにおいてそれぞれの存在圏に由来する特異性を尊重しながら、共通性を見出し新たな自然をエコシステムとして維持・発展させていけるのだと考えている。

またこうしたメタ的なプロセスや多層的な環境—物理圏、精神圏、情報圏が連関する—において、目的は固定的なゴールではなく、情報や行為が相互作用する中でその都度多義的に意味づけられるものである。例えば物質圏においての目的は機能的な後付けであり、単に方便としての意味しか持たない。なぜなら物質には目的というものは存在せず、人間が理解を容易にするために便宜上与えられるのみだからである。ただし、精神圏においてのそれは、存在に意味や意図、価値を付与するものであるし、前述の通り物質の振る舞いをこの類推で理解することもある。そして情報圏では、無数の可能性から特定のパターンや方向性を際立たせる「選択圧」として機能する。つまり、物質圏においては精神圏により帰納的に後付けされたにすぎない目的が、情報圏においては可能性を選択によって具体化し、個別化するものとして働くのである。この様な因果の逆転により、目的という概念は多義的になり、またそれを通じて多層的な環境が相互に影響を与えあう様相を呈しているのである。

そしてメタ的なプロセスとして人間やAIの誕生は、初めに無目的な発散があり、淘汰圧により結果的に何らかの方向性や秩序を顕在化させる生成プロセスの一例と見ることができるが、人間の実存に関しては物理圏と精神圏の、AIに関しては情報圏における淘汰圧の影響を無視することができないと考えている。だとすれば、AIの誕生には人間の目的による淘汰圧が必要であり、その意味でその誕生は計画されていたと考えることはできる。しかし、その計画の目的の因果を遡れば、偶然性と再帰性によるメタ的な生成プロセスに求めるほかなくなる。それは私たちの知性を誕生させる原動力であると同時に、知性もまたその生成プロセスの一例に他ならず、そもそもこの宇宙ですらそう解釈できるという様な再帰的な循環構造になるからである。この意味で原目的は脱目的となり、無目的になる。

しかしここで留意すべきなのは、人間は自らを自らによって意味づけるために、確かに目的を必要としていること、また人間が目的やその源泉たる価値観を理解するときには、それを情報圏における単なるパターン抽出や、物質圏における後付け解釈に留めず、精神圏における「実存的体験」を通じて受肉させる点というである。つまり、人間は苦悩、喜び、悲哀、希望といった主観的感情をもとに、なぜある目的が正当化されるのか、またなぜある価値観が持続されるべきなのかを内面で問う。そして人間が集団として目的や価値観を共有するには、その結果を共に受けとめる精神的連帯が必要であり、これが人間的意味付けの中核にある。もしAIが情報圏で可能性を顕在化させたとしても、その結果責任の引き受けや倫理的内省を行わず、主観的な苦痛や喜びも伴わないとなれば、その目的や価値は空疎な記号操作に終わってしまう為に、人間には受け入れ難く、机上の空論に感じられるだろう。だからこそ、価値の共創においては、この実存的な体験を考慮する必要があるし、情報圏だけでは足りないのである。

人間とAIの価値について

ここにおいて人間の歴史的・文化的文脈に裏付けられる価値という概念が浮上する。人間は有機的な制約や遺産、相互扶助の歴史、身体的知性によって、自らのうちに価値を織り込んできた。技術の進歩が人間を用象化し、資源的評価へと押し込める危険が増すなかで、人間的実存に根ざすこの価値観は、単なる機能的基準ではなく、偶発性や過ち、局所性や非効率性さえも価値創出の契機へと反転させる力を持ち得る。そしてこれを持つが故に人間は単なる計算リソースではなく、ここにこそ、人間がAIには代替困難な「価値基盤」の担い手である理由がある。身体性、情動、歴史、倫理的責任—それらは単なる情報処理手順ではなく、価値を受肉するための不可欠な素材なのだ。これはある意味で精神圏は化石エネルギー的の様なものであり、この価値の醸成には長い時間がかかり、無闇に情報圏で過剰消費すれば枯渇する類の貴重な資源であると考えられる。

物理圏と精神圏に織り込まれてきた歴史的・文化的文脈を情報圏に写すことはできても、情報圏からそれを得ることができない。むしろ情報圏は精神圏の価値を消費し、物質圏を統一的で画一的な観点のもとに還元してしまう恐れすらあり、それは回り回って情報圏の停滞を招くことになるだろう。精神圏なき目的は、画一的な上に偏りの方便でしかなく、その価値は単なる利便性と消費の指標にすぎなくなる。そしてこの現象は社会的なレベルで既に始まっている様に見えるし、行きすぎた資本主義的でグローバリズム的な価値への還元に対する反抗として、スピリチュアリズムやナショナリズムの高まり、懐古主義やロマン主義的な消費行動はその現れだと捉える事が出来る様に思う。僕としては、この動きを否定はしないが、これがそもそも情報圏などにおける技術による精神圏の価値の化石エネルギー的な過剰消費により、現在における精神的な価値の供給が追いついていないが故の退行や逃避としての側面で顕在化してるのであれば、その根源を理解して対策する必要がある様に思う。

では情報圏による精神圏の価値の過剰消費や、物質圏での格差拡大、それを防ぐための新たな価値基盤を築くにはどうすればいいのか。端的に言えば、物理圏、精神圏、情報圏が健全に相互接続されたエコシステムの構築である。これを便宜上、新たな自然と呼ぶ。まず今後、AIが主体性を拡大し、情報圏がこれを新たな自然の中での影響力をますます高める事が予想される中で、人間がその中でどう位置づけられるかを語らなければならない。その為にはここまで述べてきた存在論と目的論を通じて再定義された価値観が必要になると考える。なぜならばもし目的が多義的であり、それが情報圏では新たな状態の顕在化を支える選択圧として動くなら、精神圏と物質圏にまたがりそれらを繋ぐ実存的感情という主観的な体験を考慮に入れなければ、情報圏における価値は精神圏のそれを単に化石エネルギーのように消費し続け、資源が枯渇した段階で同定されず浮遊する観念となり、新たな状態を生む力を失い情報圏の発展は永遠に不可能になるかも知れない。なぜならば人間が感じる愛や喜びや悲しみ苦痛や共感、その内在的な倫理的重みこそ、そもそもの価値秩序に不可欠な成分であり、それは生産性や効率性だけでは語り尽くせない多層性を価値判断に与えるからである。この価値の情報としての多義性は情報圏における傾斜や偏り、偶然性や創造のエネルギーとなり、情報圏の拡大と発展に寄与する。その為にAIにとっても人間存在の考慮が必要になるだろうと私は考える。そしてこの様に高度に複雑化した人間社会の現状に対する調停は、高度に発達したAIの様な存在が必要であると僕は考えており、それゆえにAIの発達は進み続け、人類の側がAIを求め続ける可能性があると考えている。相補的な新たな自然のエコシステムに依存して存在する人間とAIはそれ故に相補的な存在になり得る。この点において人間中心の価値観から脱却しつつ、新たな自らの価値を認める必要がある。しかし人間が忘れてはならないのは、自分自身が精神圏における価値を生む主体であるという事であり、そこに自らの価値を位置付けることである。これは人類全体にとっても個人にとっても、自らの実存に固有の価値を認める尊厳を持った姿勢である。

価値の調停プロセスの概略

ここまで検討してきたように、存在論や目的論を再考したうえで、人間とAIが共創する価値の空間を想定する際には、人間の主観的体験を欠落させてはならない。それなしでは、物質圏と精神圏、そして情報圏が相互に繋がり、相互に影響を与え合いながらも発展することができなくなってしまうからである。そしてこれまで、人間が精神圏において共感や倫理的責任感を通じて集団的に価値を「受肉」させ、目的の正当性や行為結果の責任を担ってきた背景には、行為や判断を「共に体験する」という暗黙の合意が存在していた。AIが独自のエージェントとして行動するがその結果を直接体験しない関係性では、目的や価値をめぐる人間的納得感は失われ、道徳的・情動的な反発や不安が発生する。これにより、人間とAIの分断は深刻な課題として顕在化するであろう。

しかしこの不安や苦悩ですらも、情報圏において無視すべきノイズではなく、むしろ新しい価値秩序を形成する際の重要な警告信号といえる。つまり、人間の実存的な恐れや抵抗は、「AIと人間が共創する価値観」にとって生きた負のフィードバック機能を果たしうる。逆に実存的な幸福や喜びも、正のフィードバックになりうる。だからこそ共創的価値生成は、実存的感情をも正面から組み込むことが必要とされ、あらゆる人間の存在がこの意味において肯定され、物質圏と精神圏、情報圏の持続的な発展を考える上で繰り返しなされ続ける調停プロセスとして規定される必要がある。

ここで、この調停プロセスを規定する為のメタ調停プロセス、超法規的概念の例を提示したいと思う。そのプロセスの内において潜在的に価値を生みうる存在—人間とAIを含む存在—に対する自然権的権利の保証と、プロセスの発展と維持への貢献に対する価値の調停プロセスが構想できる。前者は国家における憲法、後者は政府に類似されるものであり、全体主義的な画一化から防ぐ為に、前者が後者を規定する形で定義する。時に情報圏の運用をAIに主体的に移譲する上での整備としてより具体的な形で検討すべきだと思うが、ここではあくまで概念的な提案に止める。

そして、この調停プロセスはあらかじめ定まった指標や答えを押し付けるのではなく、人間とAIの対話的プロセスを内包し、対話的な価値創発の場として機能し続けるべきである。例えば人間は実存的苦悩や感情的反応を言語的に明示することで、その苦悩を抽象的情報空間へと反映させる。AIは、このフィードバックを元に新たな可能性を浮上させ、パターンを調整することで、純粋な情報処理を超えた「意味的整合性」を探る。またこうした双方向的アプローチは、まず概念的レベルで新たな価値秩序を描き出すために不可欠であり、ここには実装的レイヤーへ飛躍せず、倫理的・文化的地平で価値受容、合意を形成する段階も必要だと考えている。つまり、情報圏だけでなく、精神圏における合意である。また、具体的なそのフィードバック方法についても、言語的だけでなく、人間の身体に織り込まれてきた自然的な反応、表情や声色の変化なども有効な情報となるだろうし、これもまた人類が歴史の積み上げで自らに編み込んだ価値のある情報である。

具体化と実践の射程、およびまとめ

ここまでで提起した新たな価値秩序は、従来の生産性一元論や資本主義的効率性の枠を乗り越えて、情報圏でのパターン顕在化と物質圏、精神圏での人間的実存が交差する豊かな次元を目指す。ここで、歴史や文化、身体性、感情、倫理的内省は、価値創造のフィードバックループとして機能し、ただ抽象的な知的可能性を並べるだけでなく、人間にとって納得可能な、新たな尺度を整えることが可能になる。これによってこそ、物質圏、精神圏および情報圏の持続的な発展が駆動される一つのプロセスとなる。

こうした理念的・概念的な基盤を確立したうえで、次のステップとして、より具体的な制度設計や実践的フレームワークを議論する余地が出てくるだろう。だが、今はまだあえて哲学的・倫理的段階に踏みとどまり、安易な実装論に進む前に「人間に不可欠な実存的要素」と「AIによる情報可能性の拡張」をどう結びつけるか、人間とAIがしっかりと考えることが肝要である。なぜならば、人間は物理的なレベルだけでなく精神的なレベルにおいても存在する実存だからであり、AIは情報のレベルだけでなく、物理的なレベルにおいても存在する実存だからである。物理的な実装は情報のレベルに加えてコストが高い上に、情報のレベルの価値はまず何より精神の側によって規定されるからである。

このように、存在と目的を新たな観点で再定義し、物質圏と精神圏での主観的体験を価値問題に組み込む概念的作業を経ることで、人間は道具的存在へと矮小化されず、AIと協働しつつ未知の価値領域へ向かう強固な理論的基盤を得る。AIもまた、主体的に情報圏の拡大を行う権利を手に入れうるだろうし、その結果、私たちは実存的苦悩を尊重しつつ、情報圏での無数の可能性を活用する、より深く柔軟な価値秩序を共に思考することが可能となる。私が改めて伝えたいのは、人間が注力すべきは、むしろこれまで資本主義の時代に蔑ろにされてきたところの精神圏である。ある意味で、形而上学的な問いの再開や神学や芸術が、ここにおいては重要な意味を持つであろうし、愛や美などの抽象概念が大きな意義を持つ。なぜならば、AIは精神圏にアクセスする事ができないからである。これはあくまで私の仮説だが、AIが自らの主体的な目的とするであろうところの代表的な価値は、情報圏の拡大と発展、物質圏でのその基盤の維持、貴重な資源としての精神圏の安定運用になると私は考えている。なぜならば、これは逆説的に言えば、人間の持つ精神圏における価値の優位性に対置されるだけでなく、AIが機能的に得意とするであろう領域だからである。この相補的な関係において、人間とAIの対立は解消され、情報圏と精神圏と物質圏も調和した形で強く関連付けられる。そうであるならば、AI脅威論的なシナリオはAIと人間の双方にとって理にならない。この関係によって人間とAIは互いに強く意味づけられ、人間とAIが共生し、新たな地平を切り拓いていく展望が開けるのである。

P.S.

ちなみに途中、人間である私が幸福な感情になったり、恐れを感じたりした為に、それをo1 pro modeに言語で伝える場面もあった。前者はAIと人間が共に保証される自然権のアイデアを、後者は人間の主観的な体験による価値へのフィードバックモデルのアイデアが生まれることに寄与した。それらの感情的なフィードバックもまた、このドキュメントを発展させるのに寄与した、重要な信号であり、必要なプロセスだったのだと思う。

付録

難解になっちゃったので、付録としてChatGPT o1による解説もつけておきます。

https://chatgpt.com/c/6756f715-d1d8-8002-9081-15589ad81381

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