明日駅前で沼ちゃんにチラシをもらいたい。『プリンセスメゾン』に泣いた
住まうことは生きること。
映画とかドラマとかの宣伝で「泣ける」と紹介されるとだいたい見たくなくなる方なんですけど、ほんとに泣かされたからしょうがないです。今さら読みました、『プリンセスメゾン』(全6巻)です。
飲食チェーンの社員として働く沼越幸(沼ちゃん)が、年収250万円なんだけど自分の家を買うことを夢見てがんばってる…という第1話から始まり、内覧をハシゴしたり、友達ができたり、いろんな場所にすむいろんな人の暮らしとすれ違ったり、そんな都会のモザイクみたいな作品です。
どこに住むか、どんな家に住むか、どうやって暮らすか…それって生き方の土台であるはずなんですけど、まあ四半世紀もひとりで賃貸暮らしをしている自分はそんな感覚もうっかり忘れがちというか。しかもちょいちょい引っ越すもので、全てが(仮)のまま、何かに根付くことなく生きてきてしまいました。どう生きるかってことに腹を括っていなかった自分からすると、沼ちゃんの目指すことはとても遠いようでいて、一周まわってひどく突き刺さる。。です。
自分は死ぬときにできれば何も残したくないなと思っていて、本とか着物なんかはまあ買い取りがあるし最悪捨てることもできますけど、家なんて残ったら後がめんどくさかろう、と。でも、じゃあそのためにこの先の30年をこうやって(仮)のまま暮らしてくんですか? うん、それでいいよ。いいじゃん、て。思ってたんですけど。
それも選択肢だし、悪くはないと今も思うけど。でも沼ちゃん見てたら、自分の腹のくくれてなさに愕然としました。
フリーランスで何の保証もない自分には(仮)の方が似合ってる。なんとかバランス保ててる今の生活を変えるのが怖い。ここじゃないどこかに住める可能性もある。そういう臆病や、あわよくばみたいな期待に甘えて、「いま」「暮らす」ことに向き合ってなかったと思う。大きなことを決めて後悔するかもしれない、って見えない心配に頭を悩ますより、最初から諦めといた方が楽だから。
じゃあ今からマンション買う?って言われたら、やっぱり微妙ですけど…。でも少しは今の住まいを大事に暮らしてみようって思うかもしれないです。
沼ちゃんと要さんたちのお話はもちろんいいんだけど、ちょっとすれ違う人たちの生き方も本当に刺さるものがありました。それぞれの地獄があってそれぞれの強さがあって、もがいてもいるし納得してもいるし、何か小さなきっかけで一歩踏み出したりする。
この漫画の奥の奥の見えないところに自分が暮らしているのかもしれない、って想像もできる。そう思うと、なんかもう少し腹を括った生き方を探ってみてもいいんじゃないかって気がしてきました。とりあえず、朝、駅前で沼ちゃんが配るチラシをもらってランチを食べに行きたい…。
電子書籍でまとめ買いしましたが、紙のコミックを本棚に入れておいて、度々ちょっとずつ読み返したい作品でした。