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いつも頭に浮かぶのは。
いつも頭に浮かぶのは。
ギヨーム・アポリネールの詩『狩りの角笛』
行こう行こう
全ては過ぎてゆくのだから
僕らは何度も振り返るだろう
思い出は狩りの角笛
その音は風の間に間に
死に絶える
中学一年生の時に、学校帰りに本屋さんで買った、フランス名詩選の中の1ページだと記憶している。
素晴らしい詩がたくさん収められていたから、ページをめくるたびに感動し、日本語訳の隣りに描かれているフランス語に、どれだけ憧れを抱いたことか。
その中でも、狩りの角笛は特別思い入れが強い。
前に進んでいこう、と言っているのに、悲しい思い出をたくさん背負っている文章だなと、12歳の私は直感的に感じたのかもしれない。
そして忘れもしない。
私はこの詩を大切な人とのお別れの瞬間に暗唱した。
その記憶と共に、私にとって忘れ得ぬ詩となったことは、間違えない。
2021年も6月に入って10日が経過した。
昨日、パン🍞を届けに行った先の友人と話したことは「1年前と全然違うね」という話。道ゆく人たちが、ワクチン摂取が終わったよ、と立ち話する。それくらいになったのだな、と。世界中ではワクチンパスポートも始まり、場所によってはコロナ後の日常が戻りつつある。つまり、「先が見えてきた」ようだ。実際、イタリアの友人からの荷物は4日で到着し、台湾や香港、インドネシアの友人たちともプレゼントの贈り合いができるようになりそうだ。
世界は、動いては、いる。
時々思うのは、また飛行機に乗れる日が来るんだろうか。外国にいる友人たちと再び会うことができるだろうか。それは、一体いつなのか。
その「いつか」がやってきたら、「今」はどうなってしまうのか。この日常がなくなってしまうのは、悲しいのかな、と思ったり。
もうすっかり、パン屋🍞#あぷぷれ のNです‼️が定着している私。
あぷぷれは、横浜市鶴見からバスで20分くらいのところにある、小さい個人経営のパン屋🍞だ。
店主は、たった1人でお店を回している。毎朝3時頃に起床、常時50種類以上のパンを毎日焼き続ける、「職人」だ。
忙しすぎるためSNS更新する間などなく、あらゆることがアナログな、街のパン屋🍞「だった」。
私がここのInstagramの運用を始めたのは2021年の3月頃で、実はまだ3ヶ月ほどしか経過していない。
しかし、ありがたいことに妙蓮寺の本屋・生活綴方さんを始めとして、たくさんの方々に応援を受け、最近フォロワー数が400人を越えた。
本当にありがたい。時々お客様から「インスタ毎日楽しみに見てます^ ^」と嬉しいお言葉をいただく。こだわりの写真と投稿文章、世界観が読者に響いた‼️そう思えた時には感無量。本当にInstagramを始めて良かったな、と思う。
それと同時に、Instagramに文字数制限があることに気がついた。
大切なお知らせを優先的に投稿するため、最近のInstagram投稿ではお知らせ色が強くなりすぎているように感じる。
もっと、あぷぷれについてたくさん語りたい。私自身についても語りたい。
パン屋の1お客さんだった私が、コロナ禍でなぜパン🍞の接客係になったのか。専門学校を出たわけでもないのに、自発的にSNS担当兼パン🍞の行商役になったのか。どんな人たちと、ご近所の元幼稚園跡地を利用し、ワークショップやミニコンサートを企画しようとしているのか。
パン屋と本屋の新しい日常(店主曰'く「ぽん」)の中で出会った人たちについても。
これから、ここで気長に、語っていこうと思う。