人新世の「資本論」(斎藤幸平・著)

<著者>1987年(昭和62年)2月1日 - )は、日本の哲学者、経済思想史研究者。 専攻はヘーゲル哲学、ドイツ観念論、マルクス主義哲学、マルクス経済学。 大阪市立大学大学院経済学研究科・経済学部准教授。 博士(哲学)。

<本書の抜粋> 人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす!

<本書からの抜粋>

:第二次世界大戦後の経済活動の急成長とそれに伴う環境負荷の飛躍的増大は「大加速時代」と呼ばれる。”人(資本)新世”が破局へ向かっている。

:グローバル・サウス(グローバル化により被害を受ける領域並びに住民)とグローバル・ノース( 大量生産・大量消費) 資本主義の歴史を振り返れば、先進国における豊かな生活の裏側には、様々な悲劇が繰り返されてきた。グローバル・サウスの人々の生活条件の悪化は、資本主義の前提条件であり、南北の支配従属関係は平常運転だ。資本の論理は、犠牲が増えるほど大企業の収益が上がる。

:イマニュエル・ウォーラーステイン(1930-2019, Immanuel Wallerstein) の”世界システム論”では、資本主義は中核と周辺で構成されていて、周辺部の労働や資源、エネルギー、食糧が不等価交換により中核により掠奪される。資本主義のグローバル化が地球の隅々まで及び新たなフロンティアが消滅し利潤獲得のプロセスが限界に達し資本蓄積や経済成長が困難になり、また地球環境が危機的状態に陥っている。過剰発展と過小発展。

:スウェーデン人の環境活動家グレタ・トゥーベンの主張は、資本主義が経済成長を優先する限り気候変動を解決できない。冷戦体制の崩壊後のグローバル化と金融市場の規制緩和で生じた金儲けのチャンスにより、気候変動対策のための貴重な30年を無駄にした。

:人類が使用した化石燃料の約半分は冷戦が終結した1989年以降。二酸化炭素の年間排出量も、1989年冷戦体制崩壊時の250億㌧から約30年後の2017年は350億㌧まで増加(約30%増)ちなみに1945年第二次世界大戦終結時は50億㌧程度。

:19世紀半ばに外部性の創出と問題を分析したのがカール・マルクス。収奪と負荷の外部化・転嫁により問題解決の先送りをした。フロンティアがある状況で資本主義は止められなかった。特に冷戦体制崩壊後は資本主義が旧共産圏に廉価な労働力や市場を見出した。限界の所在は3種類。技術的転嫁(化学肥料など)、空間転嫁(海鳥の糞・グアノ)、時間的転嫁(将来を犠牲にして現世で繁栄) 

:可視化される危機として、魚介類や水などに混在しているプラスチックを毎週クレジットカード1枚分食べていたり、熱波や台風など気候変動。

:気候危機が人類に突き付けているのは、搾取主義と外部化に依拠した帝国的生活様式を抜本的に見直さなくてはならないという厳しい現実。

:グリーン・ニューディール、新たな緑のケインズ主義。トーマス・フリードマンが提唱するグリーン革命。気候変動を好機として資本主義が平常運転するための最後の砦=SDGs 国連のみならず世界銀行、IMF、OECDなど国際機関も掲げている緑の経済成長の追求。

:経済成長と環境負荷のデカップリングは現実的に極めて困難である。

:生産性の罠は、労働生産性向上により必要となる労働力が減り、一方で雇用を減らさない為に経済規模を拡張させようとする。これにより二酸化炭と排出量は結果的に増えてしまう。

:欧米で注目を集めている政治経済学者ケイト・ラワースの”ドーナツ経済” 地球の生態学的限界のなかで、どのレベルまで経済発展であれば人類全体の繁栄が可能かに答える。水・教育・所得など社会的な土台が十分でないと潜在能力を発揮できないから繁栄できない。一方で環境的な上限を超過すると環境破壊となる。

:食料について、今の総供給カロリーを1%増やすだけで八億五千万人の飢餓を救うことが出来る。電気が利用できていない13億人の人口に電力を供給しても二酸化炭素排出量は1%増加するのみ。1日1.25ドルで暮らす14億人の貧困を終わらせるには世界の所得のわずか0.2%を再配分すれば足りる。

:”脱成長”はGDPに必ずしも反映されない人々の繁栄や生活の質に重きを置く。量(成長)から質(発展)への転換。経済格差の収縮、社会保障の拡充、余暇の増大を重視する経済モデルへの転換。

:新しいマルクス・エンゲルス全集 MEGA(Marx-Engels-Gesamtausgabe) の刊行が進んでいる。資本論以外のマルクスの手書きノートを丹念に読み解き新しい光を当てようとする試み。晩年のマルクスの思想は生産力至上主義とヨーロッパ中心主義を捨てて非西欧・善資本主義から社会変革の可能性を学ぼうとした。つまり”脱成長コミュニズム”を構想する地点に達していた。

:イギリスの若手ジャーナリストのアーロン・バスター二は加速主義(資本主義の技術革新の先にあるコミュニズムにおいて完全に持続可能な経済成長が可能)の可能性を追求し、完全自動のラグジュアリーコミュニズムを提唱している。

:気候市民議会 - イギリスの環境運動「絶滅への叛逆」とフランスの「黄色いベスト運動」のよる民主的な政治への市民参加。

:資本による包摂が完成し、我々は技術や自律性を奪われ、商品と貨幣の力に頼ることなしには、生きる事すらできない。

:人間の労働は、構想と実行。社会全体が資本に包摂された結果、構想と実行の統一が解体された。資本によって生産性を上げるために、職人の技術や洞察力に依存しない体制、つまり職人が行っていた各工程の細分化により単純作業の集合体が職人より早く、良質のものをつくる。構想は資本により独占され、実行は労働者が資本の命令のまま行う。

:資本主義こそが希少性を生み出すシステム。世界で最も裕福な資本家26人は、貧困層38億人(世界人口の約半分)の総資産と同額の富を独占している。資本主義が欠乏を生んでいる。私財(private riches)の増大は、貨幣で測れる国富を増やすが、公富( public wealth)の減少が生じる、というローダデールのパラドックス。マルクスの用語では、富は使用価値で自然にある価値。一方で財産は貨幣で測られて、商品の価値の合計。これは市場経済でのみ存在。使用価値は価値を実現するための手段。資本主義での経済活動では価値は増殖しなければならない。使用価値のあり無償で潤沢だったコモンズ(例えば水)は商品化されることで希少な有償財に転化する。商品化により価値は増大するが、(水道の民営化により)人々の生活の質は低下し水の使用価値も毀損される。支払い能力の無い貧困世帯への給水は停止される。

:ラディカルな潤沢さが回復されると商品化された領域が減りGDPは減る。脱成長。消費主義や物質主義からの決別。貨幣に依存しない領域が拡大。自由時間が増え相互扶助への余裕が生まれる。

:価値と使用価値の優先順位 

:トマ・ピケティはリベラル左派。参加型社会主義(socialisme participatif) 、つまり新しい社会所有・教育・地と権力に依拠した新しい普遍主義的で平等主義的な未来像を描くことが可能。資本主義では民主主義は守れない。故に民主主義を守るには社会主義が必要で生産の現場の自治が不可欠。つまり自治管理(autogestion)と共同管理(cogestion)が重要。故に、官僚や専門家が意思決定権や情報独占をしている国家社会主義はダメ。あくまでも民主主義。

:現在で役立つ脱成長コミュニズムの柱(武器)は次の5点、①使用価値経済への転換(使用価値に重きを置いた経済に変換して大量生産・大量装置から脱却する)、②労働時間の短縮(労働時間を削除して生活の質を向上する)、③画一的な分業の廃止(多種多様な労働に従事できる生産現場の設計)、④生産過程の民主化(生産のプロセスの民主化を進めて経済を減速させる)、⑤エッセンシャル・ワークの重視(使用価値経済に転換し労働集約型のエッセンシャルワーク重視)

:将来世代への義務やあらゆる生命のつながり合いについての先住民の教えから学ぼうとする謙虚な姿勢を伴っていなくてはならない

: 資本主義の超克は明らかでグローバル・サウスへのまなざしが必要。相互扶助を取り戻す為に合理的でエコロジカルな年改革の動きを地方自治体から起こしている。フィアレス・シティのネットワークはグローバルな動き。市民の力の結集。フィリピンのピープルパワー革命やグルジアのバラ革命など3.5%ルールの人々が非暴力な方法で社会を変えた例もある。

<私の所感> 資本主義と言う枠組みのゲームの中で資本家として活躍している自分にとって資本主義を全否定することは難しいが資本主義の力は制限されて民主主義が刷新され脱炭素社会の実現がされるべきであることは賛成です。アフリカや東南アジアの貧困層の電化事業を通して資本主義と戦い、再生可能エネルギー事業を通して気候変動問題に取り組む姿勢は継続です。Fairless Cities特にバルセロナ市のマエストロに感銘しました。弊社では既に発電施設建設で同市に提案書を提出しています。実を結べば幸甚です。


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