ベトナムの多様性と統一性について㉙タインホア省について⑥山岳地帯ムオンラット県⑤
タインホア省の省都タインホア市からは、西に約300kmの距離を越え、ムオンラットのラオスとの国境地区に行き着く山岳地帯の貧困地区になる。
タインホア省の「最西端」の山岳地帯。
1989年、モン族 (主にプニ地区、ムオンラット地区) が、クアンソン地区に移住し、ムアスアンとシアノイとチェという 3 つのモン族の村が形成されたそうだ。
ラウ村とタン村の他の高地地区と同様に、クアンソン地区には、分断された地形、高い山、深い川、多くの根深い慣習があり、貧困からの脱却を妨げてきた。
ここ数年、政治体制全体の参加、改革を開拓したモン族の努力により、クアンソン地区のモン族の生活は劇的な変化を遂げてきた。
ムオンラット地区の最もへき地の村での言葉の難しさ、タインホアで多くの実用的で有意義な活動を行ってきている。
クアンソンモン族の村の変化の中で、少数民族のモン族の学生は、クアンソン地区の少数民族寄宿学校で勉強している。
クアンソン地区で、何世代にもわたるモン族の言葉を学習する旅は、多くの困難を経験してきた。
学生の通学の負担を軽減するため、本校の他に小校を建設すると同時に、地域の協力により通学を支援してきた。
52歳になったある男性は、森と山を通り抜けて、自分の難しい言葉の学習にたどり着いたことを忘れたことはなかったそうだ。
できれば、私が学校に通うまでの道のりを映画にして、私が今日までどれだけ苦労したかを子供たちに伝えたいと思っている。
モン族の彼の家族に、10人の兄弟がいるが、幼い頃から勉強熱心な少年だった。
家族は、小学校に行けるようにあらゆる努力をやり続けた。
家族は最初、プー ニー村 (ムオン ラット) に住んでいたが、その後、ソントゥイ地区(クアンソン) のシアノイ村に引っ越した。
子供の頃、彼はムオンラットで、一人で学校に通い、その後、10年生まで学校に通い続けた。
彼は、プーニ村からクアンホア地区まで 3日間、夜も、車に乗るために、歩かなければならなかった。
地域高校の学校 ベトバック高校(タイグエンの少数民族のための中央寄宿学校)。
三日三晩の散歩中、朝になる前に起きて一人でご飯とおにぎりを持って、森を越え、山を越え、道ばたの家の庭にマットを求めて寝たそうだ。
翌朝早く、道を行く。
学校への道はとても険しいが、彼にとって最も困難なことは、おそらく森を通り抜けたり、山を越えたりすることではなく、自分自身を克服することだった。
少数民族のための中央全寮制学校に行くために、学校に行く前に、誰かが、家で両親の面倒を見ることができるように、両親が苦労を重ね合った。
中央全寮制少数民族学校に在学中、実家から、両親の訃報を知らせる手紙が届いていたが、帰宅して知らせを受け取ると、連絡があったおかげで、両親の訃報に報いることが出来た。
当日は、道路や車両の通行が大変困難だった。
学校に通い続けるか、家で仕事をして家族の世話をするか、次兄が、小川の端から端まで木を切り倒し、一人で木の幹を歩いて危険がないか見て、暗くなったらなんとか、抜け出させてくれたことを思い出す。
学校に行けるようになった。
彼は、「私の家は、とても貧しく、何も持っていないので、一生懸命勉強しなければなりません」と誓い続けた。
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