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空想旅行

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日常視点編集
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#空想旅行

季節の変わり目

「暑さ寒さも彼岸まで」と昔からよく言われていますが、今年はその言葉通りで東京もようやく暑さも落ち着いてきたように感じます。自分は先週末から長野県の上田市に滞在していたのですが、ここで「逆さ霧」という現象を初めて見ました。 これは市を代表する山の「太郎山」の稜線を越えて滝の水のように雲が溢れ出す光景なのですが、春と秋の限られた気象条件が揃わないと見られない光景のようです。「太郎山に逆さ霧がかかると寒くなるから霜に注意」といったことが言い伝えられ、天気や農作業の目安になっていた

人に動いてもらう

どんな仕事であってもこの「人に動いてもらう」ということを考えなくてはならないタイミングは働いていれば必ず来るものです。それは会社に雇われる側であっても誰か人を雇う場合も同じで、個人でやっていたとしてもプロジェクト単位で協力を募るために必要な事柄です。 週末に昨年発行したマガジンa quiet dayでインタビューさせてもらった犬飼眼鏡枠の犬飼さんと長野の東御市と長野市を拠点に家具のリペアを行なうPh. D. の荒井さんとトークイベントを行なってきました。トークイベントは盛況

対話する消費と生産

自分が大学生の頃に外資系の「ファスト」ファッションのH&MやFoever21などが日本にも進出し始めたように思う。最新のローカルトレンドをキャッチアップし、厳格な管理が行き届いた生産のもと、今という時代をファッションのチカラで提案し続けてきたように思う。当時はリーマンショックなどの経済的な打撃による株安、そこからの物価下落、不況といった社会背景によって、トレンドから逸脱していない且つ、低価格というポイントにおいては、ファストな生産と消費は時代に即した行動手段だったのだろう。し

風景との対話

みなさん東山魁夷という日本画家はご存知でしょうか。 戦後を代表する日本画家の一人として知られていて、皇族の御所などの宮中画家としても知られています。風景を題材に日本国内やヨーロッパを中心に旅をしながら作品を描くということをしています。戦前ドイツに留学をしていたこともあり、渋い日本の画家というよりは西洋と東洋の中庸の感じや色合いなどを持ち合わせおり、個人的にはとても好みの画家の一人でもあります。 この東山魁夷、画家としてだけでなく、その絵画を描く際の心情などを記した著書がいく

ローカルタウンの可能性

8月22日(土)に世田谷区の羽根木というエリア(最寄駅でいうと京王井の頭線の新代田駅)で開催された「羽根木マルシェ」というマルシェに出店者として参加させていただいた。普段はこういった企画を仕掛ける側だったり、どこかの書店と組んでポップアップを開催したりしているので、実は5年ほどa quiet dayの活動してきた中でこういった外部のイベントに出店することは実は初めてだったりする。「ファッション」、「インテリア」、「花」、「コーヒー」など暮らしにまつわるあらゆるジャンルのお店が

優しい夏の風景へ

最近は22時ごろには就寝し、翌朝5時30分ごろに起きる生活に切り替えた。長い梅雨がようやく明けたら、打って変わって猛暑が続く毎日。朝のフレッシュな時間で作業を進めるのも良いもんだということで完全に朝型人間になったのだ。 朝の日課はベランダに出て深呼吸をするのだが、猛暑の日々ではあるものの、この時間帯はまだ気温もそこまで高くなくて近くの森から爽やかな緑の空気が流れてくる。 お盆のこの時期ということも相まって、そんな空気を感じていると、優しい夏の風景へと誘われる。 幼少期の頃、毎

「美」の行方

今から100年前スペイン風邪が世界的に蔓延し、その後、世界恐慌へと進んでいってしまった。そして新型コロナウイルスが広がる今日、世の中は100年周期で回っていると思わざるを得ない状況となっている。 世界恐慌と時を同じくして1926年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動所謂「民藝運動」が起こり無名の職人の手から生み出された日常の生活道具「民藝(民衆的工芸)」にも、美術品に負けないくらいの「美」があるということを世の中に問うことで、美意識や物事の捉え方の

絵ごころ

小さい頃から絵を描くのにとても抵抗があった。描き始めてしまえば自分で言うのもなんだけど、最終的には何となく様になる感じではあったものの、描き始めの何もない白紙の画用紙を眺めていると、完成までの程遠い道のりを想像したり、自分の不用意な一手によって美しい無垢の白地を汚してしまっては、という思いから、パレットで色を作っては試し紙に色を塗って、ああでもない、こうでもないと色作りのせいにして一向に進めることができなかった。 中学生の頃、美術か何かの授業の冬休みの宿題で「富士山」の絵を

僕らのメディア論

ここ数日、昔一緒に働いていた方やかつての仲間が連絡をくれたり、道すがら交差点で文字通り交差する瞬間に「あっ!久しぶり!」なんていう再会があった。こういうことは時々起こる。数年前にはノルウェーのヴェルゲンというヨーロッパでも一、二を争う降雨日数(雨が激しく降るというよりは、シトシト霧雨が降る感じだ)を誇る街で立ち上げたNorwegian Rainのファウンダー兼デザイナーT -MICHAELと、西新宿の駅で新宿方面の電車に乗り込んだ時にバッタリと会ったりと、出会う人との物理的距

スロウな生き方

世界的なパンデミックの影響で、色々な物事や場面で今までのやり方が通用しなくなってきている。 自粛期間で自宅から仕事をしていたにも関わらず、自粛期間が終わった途端に、暗黙のルールがごとく、会社に出社しなくてはいけなくなりモヤモヤしている人もいるそうだ。こういったことは、知ってしまったり、気づいてしまったら、その前に戻ることは出来ないのではないだろう。 自分の経験から語ると会社員から個人事業主になって仕事をしていると、もう二度と会社員は出来ないだろうなと感じることととても似ている

をもかげ

言葉にはそれを使うシチュエーションと紐づいた言葉がある。面影という言葉もその類の一つだ。 実家に帰って思い出のアルバムをめくりながら、数十年ぶりに友人と再会したタイミングなどに、今と見比べながら「面影がありますね。」といった感じにだ。 字面を見ても面白い。「面」という字と「影」という字が組み合わされて表と裏のような、相反するけれどお互いが影響し合う関係性を感じ取ることができる。 「面」はストレートに「おもて」つまり顔を意味し、一方、「影」は本来「何かに光が当たり、遮られる部

知らないという、可能性

 いくつかの前のコラムで真実はどこにあるのかといった内容について書いたが、真実なのかはさておき、確かな「熱量」の源泉は人の中にあるのだろう。先日雑誌の「BRUTUS」の初代編集長・石川次郎さんをゲストに迎えたトークイベントを拝聴した。今年で創刊40周年を迎える「BRUTUS」を立ち上げた頃の話やその前段で携わっていた「POPEYE」の海外取材の話は圧巻だった。  その当時の1970年代から80年代は、もちろんインターネットやSNSなどはなく、海外取材の前に決まっていたことは

夢は見ているか。

最近は夢をよく見ている気がする。 梅雨特有のムシムシした感じや季節の変わり目で体が変化しているからなのだろうか、明け方になると急に目が覚めてしまい、まだ起きるには早いと目を瞑るのだけれど、うつらうつらするだけで深い眠りにはつけない。そんな時に夢をよく見る。 高校時代に戻りサッカーボールを追いかけていたかと思えば、会社員時代の営業先に向かっている電車の車窓から流れる街並みを目で追っていたりしている夢だ。よく夢は現実世界の出来事を整理していると言われるけれど、過去にタイムスリッ

自分の人生を生きるということ

人間が一生の間に打つ心拍数は「23億回」だそうです。Webなどでも色々なことを回数で考えてみるなんて記事をたまに見かけます。自分でもオリンピックやサッカーW杯が開催された時に、あと何回オリンピックが見られるかなといったような、意味のあるようで無い計算をしたりします。そういった経験がある人は多いのではないでしょうか。とにかく、限られた時間の中での行為を数字に落として考えてみるということは、心拍数という途方もない数から意外とそんなに見ることができないんじゃ無いかと思ってしまう定期