夢は見ているか。
最近は夢をよく見ている気がする。
梅雨特有のムシムシした感じや季節の変わり目で体が変化しているからなのだろうか、明け方になると急に目が覚めてしまい、まだ起きるには早いと目を瞑るのだけれど、うつらうつらするだけで深い眠りにはつけない。そんな時に夢をよく見る。
高校時代に戻りサッカーボールを追いかけていたかと思えば、会社員時代の営業先に向かっている電車の車窓から流れる街並みを目で追っていたりしている夢だ。よく夢は現実世界の出来事を整理していると言われるけれど、過去にタイムスリップしている夢の場合はどんな意味があるのだろうか。
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タイムスリップといえば、自粛期間に行きたかった銀座にある森岡書店で開催されている伊藤暠さんの写真展に行った。1964年という東京五輪の時代の銀座を舞台に、写真をライフワークで撮り続けた写真家の展示だ。写真家として活動していたのはわずか10年ほどで、のちに益子に移住し陶芸家として活躍したそう。そんな伊藤暠さんをキュレーションし、一冊の写真集として作り上げたのが森岡書店の店主・森岡督行さん。森岡さんとは以前レクチャーでゲスト講師をお願いさせていただいたり、共通の知人がたくさんいたりする仲で、よく考えてみると節目にご一緒することがとても多い。そしてご一緒した際は、いつも巧みな話術で森岡ワールドに誘われる。
今回の展示会も会場でなんとなく、ぼんやりと作品を見ながら再会の挨拶もそこそこ、「まあちょっとゆっくり座って話しますか!」ということになり、1964年当時の古地図と展示の写真を見比べながら、「ここは今のGINZA SIXの向かいのビルでね」、なんて始まるものだから、あっという間に1964年の銀座を森岡さんと一緒に練り歩くようなタイムスリップ的な感覚に陥ってしまった。その写真たちを見ていてふと気がついたことが、時代は違うが、そこにいる日本人の表情が今のそれと何も変わっておらず、そんな変わっていなさ加減が日本人として繋がっている安心感を感じることができた。
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SF作家はストーリーを描く際に我田引水のように、自分が描き出したい未来を描くのではなく、未来という“共有地” をどう描くかということを軸に考えているそうだ。過去の積み重ねが現在に影響を与えているのと同じように、未来をどう見るか、設定しているかによって今現在をどう生きるかということが大切になってくる。つまり、ある未来を規程した時に、それと現在とのギャップをどう認識し解釈していくかという思考が生まれ、そこに変革のエンジンも生まれてくるのではないのかという考え方だ。変化が大きいご時世柄、自分が通ってきて慣れ親しんだ過去に目を向けてその来るべき変化の差分によって不安な気になってしまうのだけれど、視点を未来に変えてみるだけでポジティブな歯車が回っていきそうな予感がする。
22世紀はどんな時代になっているのだろうか。1964年の日本人が未来を夢描いていたような眼差しで考えてみたいものだ。
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