「推す人」に向けた文章術かと思ったら、「推される側」にもおすすめできる本だった『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない 自分の言葉でつくるオタク文章術』
最近、オタクが書く「イベントレポ」を見かける機会が減った気がする――。そう感じるのは、僕だけだろうか。
もちろん、SNSではありとあらゆるジャンルのオタクが日頃から自由気ままに呟いているし、アニメやオンラインライブの実況だって盛り上がっている。イベントの多い週末になれば、言葉にならないオタクの無数の絶叫がいつだってタイムラインをどんぶらこと流れている。それは間違いない。
しかし一方で、イベント終了後、その心地よい濁流が過ぎ去った後はどうだろう。ぽつりぽつりと感想を書いたnoteがボトルメッセージのように流れてくることはあるものの、その瓶の総量は以前より減っているようにも感じる。宛先も告げずに放たれた、溢れんばかりの感情が詰め込まれた手紙たちは、インターネットの大海のいずこかへと流れ去ってしまった。そのようにも思えるのです。
――といったことを、特に自分はVTuber界隈で数年前から感じていたのだけれど、ある日書店をふらふらとさまよっていたら、そんな自分の問題意識にぴったりの本が目に入った。それが本書、『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない 自分の言葉でつくるオタク文章術』である。
オタク向けの文章読本――かと思いきや
書評家として活動している筆者によって書かれた本書は、一口に言えば「オタク向けの文章読本」である。もうちょい補足すると、「推しへの愛を語りたいが諸々の理由でうまくできないオタクに向けて、『表現』の方法と楽しさを指南する本」と言ってもいいかもしれない。
そう、いわゆる「文章術の本」であることは間違いないのだが、厳密に言えば、文章にとどまらない「表現」の方法を取り扱っている。それが、この本だ。「書き方」のノウハウが中心になっているものかと思っていたので、より幅広い意味での「表現」を対象としているのは、良い意味で想定外だった。
ゆえに、本書が対象読者としているのは、コンテンツの消費者である「オタク」のみにとどまらない。普段から何かしらの活動に携わっている「表現者」や「発信者」の目線で読んでも、きっと得られるものがあるはずだ。実際、当初は「この本、VTuberオタクなフォロワーさんにおすすめできるのでは〜?」と興味を持って読み始めたのだけれど、途中からは「VTuberが読んでも役に立つんじゃね!?」と思えてくるほどだった。
たとえば、以下の部分。
どうでしょうか。
上の2つは「発信」または「表現」全般に当てはまる指摘だし、「文章」について書いている3つ目もそう。「文章」を「動画」や「作品」に置き換えても十分に成立するんじゃなかろうか。というかこれ全部、ネット上で発信活動をする人全員が知っておいて損のない考え方なんじゃないかと思う。
推しを語ることは、自分を理解すること
実際に読み始めると、構成がこれまた見事な本書。というのも、前半はとにかく読者の「発信」や「表現」のハードルを下げることに注力しており、普段は文章を書いたりオタク語りをしたりしていない人にも、「それなら自分にもできるかも?」と思わせる書き口になっているのだ。
ここでは、一定数のオタクが得意とする(“得意”とまでは言わずとも、「自分にもできそうだ」と感じている人が多そう、という意味で)「妄想」こそが、推しの魅力を語るにあたって重要だと指摘。観察力や読解力、語彙力といった諸々のスキルは置いといて、「とにかく妄想力が必要だよ!」と最初に断言しちゃっているわけだ。それが、たまらなく良い。
さらにそうやってハードルを下げるだけにとどまらず、推しの素晴らしさを語ることで得られる他のメリットについても言及している。「推しの魅力を発信できて楽しい!」では終わらず、「それを言語化することで、あなた自身にもメリットがありますよ」と言うのだ。このように。
言葉を、文章を取り扱うことは、観察力や表現力を育むこと。それらは文章を書くために必要な前提条件ではなく、むしろ文章を書くことで培われていくものである――というわけだ。
なればこそ、変に構えて文章を書き始める必要はないし、「自分には難しそうなので……」と最初から諦めるのももったいない。自然と読者を「書く」ことへといざなってくれる、素敵な導入パートだと感じた。
良くも悪くも、僕らは「他人の言葉」に影響されている
このように徹底してハードルを下げる第1章に始まり、第2章からは順を追って「発信」の方法を説明していく。一口に「発信」と言ってもさまざまな観点から説明ができるが、本書が目指すところはシンプルだ。
それが、「自分の言葉をつくる」こと。
「要するに『言語化』のことでしょ?」と思った人もいるかもしれないが、この本の切り口はそれだけではない。自身の内部から言葉を生み出すための考え方だけではなく、思考や感情を言語化しようとする際に無視のできない、「他人の言葉」という外部要因にも注目しているのだ。
無数の人間の言葉が無限に流れてくるSNSのタイムラインに、僕らはみんな、大なり小なり影響されている。
ある意見を読んで「よくぞ言ってくれた!」と爽快な気分になることもあれば、ふと目に入った映画の感想に「そう! それが言いたかったの!」と共感することもある。他人の言葉はふわふわとしていた自分の意見や感想に形を与えてくれるが、しかしそうやって誰かが発した言葉に追従するばかりの感想は、はたして「自分の言葉」と言えるのだろうか。
そんな他人の言葉との付き合い方も含めて、いかにして「自分の言葉」をつくればいいのかを示してくれるのが、この本だ。
繰り返しになるが、「文章」だけにこだわらず、「しゃべる」「SNSで発信する」といった複数の切り口から発信の方法を教えてくれるのでは、「推しの素晴らしさを語る」ことをテーマにしている本書ならではの魅力だと思う。「別に文章を書きたいわけじゃないしなー」という人にもおすすめしたい。
すでに「発信者」として活動している人にこそ読んでほしい
最後に、「推しの素晴らしさをしゃべる」と題した第3章について軽く紹介したい。言葉やトークで発信活動をしている人が、前提として意識しておきたいこと。それが、この章で簡潔明瞭にまとめられているように感じた。
自分の身近な話で言えば、ライブ配信を中心に活動しているVTuber。特に新人〜中堅VTuberの多くがかかえているだろう問題と解決策が、この章ではとてもわかりやすく整理されていた。
詳しくは実際に読んでほしいのですが、ちょっとだけ触れておくと、「『発信』は、相手との距離をつかむところから始まる」という一文を読んで、ピンと来るかどうかがポイント。この「距離」が意味するものとして、「リスナー」以外の存在が思い浮かばなかった人は、ぜひ本書を読んでみてほしい。
そしてもう一点言及しておきたいのが、「裏テーマ」のようにあとがきで明かされた、この本が書かれた目的について。この目的がまた、自分が薄々と感じていた――しかしはっきりと言語化することまではできていなかった――問題意識と繋がっていて、共感せずにはいられなかった。これは読書感想文としてではなく、また別の機会に自分なりに考えてみようと思う。
本書を読み終えて改めて思うのは、「オタクは、もっともっと語っていい」ということ。
ライブの感想や作品に対する愛を自由気ままに垂れ流してほしいし、それをまとまった文章として読ませてほしい。配信のコメント欄では問題視されがちな「隙あらば自分語り」だって、個人のSNSやブログ、Podcastなら、どれだけやったって構わない。「他の人がもっと良い感想を書いているから」「自分には語彙力がないから」などと言わず、これだけネットが普及してもまだまだ足りない“あなた”の声を、もっともっとぶちまけてほしい。
本書は、その「声」の出し方を教えてくれる指南書となりうる1冊だ。今、この文章を読んでいるあなたにこそおすすめしたい。