メディアのブランドとプライド──ICCシンポジウム「アジアのカルチャーシーンをつくるには」感想 後編
先日、ICCで行われたメディアアート国際シンポジウム「インターネット以降の文化形成──創作、発信、ネットワーク──」の感想、後編。
前編「東京の“ツラ”、アジアの“ツラ”」はこちら。以下イベント概要。
ネット社会特有の新たな表現を発信するプロダクションとメディアによるカルチャーシーン形成の実践を紹介.インターネット以降の文化の相互作用,そこで生まれるアジアにおけるユースカルチャーの未来について考えます.
出演者:
川田洋平(編集者/『STUDIO VOICE』ディレクター|日本)
マーヴィン・コナナン(PURVEYR設立者,編集長|フィリピン)
FNMNL[和田哲郎](カルチャー・ウェブマガジン|日本)
VISLA Magazine[チェ・ジャンミン,クォン・ヒョギン](カルチャー・ウェブマガジン|韓国)
若林恵(編集者|日本)
後編では、マーヴィン・コナン氏によるPURVEYRの紹介と、シンポジウム全体ついて自分が投げかけた質問について記していきたい。
クライアントワークをポートフォリオに載せられるか?
自分がPURVEYRを知ったのは一昨年。国際交流基金のリサーチでマニラを訪れた際に、一緒に東南アジアを周ったSimilarobjectことJorgeが教えてくれて初めて知り、以来インスタを追っていた。Jorge曰く、マニラで“ちゃんとカルチャー”をやっている数少ないメディア/ショップ。ファウンダーであるマーヴィン本人を見るのは今回が初めてで、話を聞くのが楽しみだった。
全体的にポジティブな語り口で、自国のローカルなカルチャーや、クリエイティブの最前線に自分たちがいるという自負が感じられたが、一番印象的だったのは彼らのポートフォリオ紹介だった。彼らのポートフォリオのなかには──ユースカルチャーについてのパネルトークという場に一見そぐわないように思われる──、ブランド・アクティベーションやクライアントワークの事例が普通に存在していた。
当日実際に紹介されていたPURVEYRが手がけたAdidas Originals NMDのキャンペーン。
日本人の感覚だと、そうしたクライアントワークを自分たちの実績としてメディアが紹介するのはハードルが高いと感じる。それはおそらく、日本のメディアが受けるクライアントワークの多くが受注・納品型で、自分たちが手がけたということを公にするのが憚られるからだと感じる。たとえば今回登壇したFNMNLも、収入の多くは広告収入やクライアントワークだと言っていたがが、それは和田さんのスライドには落とし込まれていなかった。この違いは何に由来するのだろうか。
ブランド意識と対等な関係
要因のひとつには、東南アジアの急速な経済成長が挙げられるだろう。グローバル化と経済成長が絡み合ってダイナミックに発展している最中のカルチャーシーンには、いわゆる「産業構造」がまだ生まれておらず、クライアントとクリエイター(代理店・メディアも含む)の固定された上下関係がまだそこまで顕在化していないように思える。
ただ、そうした背景以上に重要だと思ったのは、マーヴィンが使っていた「ブランド」という言葉だ。彼は、ブランドの条件として、「自分たちの価値基準がしっかりと反映されたクリエイティブを、クライアントが認めて買いに来てくれる」状態が大事だと語っていた。
これは何も東南アジアに限ったことではない。自分が大学院時代にロンドンで知り合った友人たち──インディペンデントで活動している個人やグループ──も、企業が求める制作物を「納品」するのではなく、彼らが良いと思っている価値観を、大企業や広告代理店に啓蒙しながら一緒にクリエイティブを作り上げていた。そんなクライアントとの関わり方があるのかと、当時だいぶ勇気づけられたのを覚えている。
ロンドンの友人が今年のIWDのためのチャリティーで、Nikeとトラックスーツをデザインしていた。
今思えば、そういうやり方をしていたからこそ初めてクライアントと対等な関係でいられるのだし、結果としてポートフォリオにもクライアントワークを区別せずに載せられるわけだ。自分も早くそうしていきたい。
なぜ日本では企業とクリエイターが対等ではないのか
雑な比較を承知で言えば、日本では欧米や東南アジアに比べて、企業向けの制作案件がしばしば受注・納品型の関係になってしまいやすい気がする。この日の若林さんの整理によると、日本ではタイアップビジネスによるメディア(主に雑誌)のマネタイズが、80年代から積極的に行われていた。いわば広告ビジネスが、メディアの現場を30年かけて“産業化”し(若林さんの言葉を使えば「潰した」)、クリエイターやメディアがクライアントの“ために”制作を行うという構造をつくりあげてしまった(意訳)。
「1968年 激動の時代の芸術」展のフライヤーには「50年前の芸術はこんなにも熱く激しかった」と書かれている。
考えてみると確かに、80年代以前には、日本でもマスメディア・広告・アートの対等な関係があり、クロスオーバーが自然に起きていたように思う。昨年、一昨年に見た二つの展示──「1968年 激動の時代の芸術」(千葉市美術館)、「エクスパンデッド・シネマ再考」(東京都写真美術館)──を訪れたときにも同じようなことを感じた。高度成長期のアートやクリエイティブ産業の状況を、ある種のユートピアとして捉えるという態度。これらの展示を見ながら、東南アジアがまさに今この状態なんだよな、ということを思った。良くも悪くも、つねに余裕があってポジティブな時代。羨ましいといえば羨ましいが、とはいえ現状から出発する他ない。
ビジネスの美徳とカルチャー
対して欧米では、いわゆるタイアップ的な手法が見られるようになったのはわりと最近らしい。若林さん曰く、日本の雑誌は自分たちを「ブランド」として認識しておらず、タイアップによって「自分たちのブランドが毀損される」という感覚自体が薄かったという。
たしかに僕自身も、日本ではクリエイティブなものの多くが、クライアントに用意された枠や企画の中身を埋めるためだけに売買されている印象をもっている。クリエイターはしばしば自分たちで作ったものについての価値判断を回避してクライアントに委ねる。クライアントも結局は数字やその他外部指標によって判断する。そこには自分たちの価値判断=ブランドがない。誰も別に良いとは思っていないものが、「良いということになり」流通する。
それがマーケティングだと言ってしまえばそれまでだし、実際に広告代理店で働いていると、そう捉えたくなる気持ちも非常によくわかる。提案資料を作るときにも、リーチや数字が確証できないアーティストやメディアを入れるより、結果が保証されているアーティストやメディアを使った方が仕事としての効率は良い。説得のコストもかからない。そこには良し悪しのジャッジがない。説得しなくて済むように、責任を取らなくて済むように、客観的な「数字」という盾をかき集める作業がマーケティングなのだろうか。それが悪意というより、儀礼やフェティッシュとして、ほぼ無意識に遂行されているように思えるのがもどかしい。
最近読んだ東浩紀『ゆるく考える』収録の「震災と無気力」というエッセイにも似たようなことが書いてあった。日本では震災によるリセットが定期的に起きる。都市計画など、「どうせ壊れるし」という無気力が避けがたい面も確かにある。しかし、「どうせ」で無気力に処理してはいけないこともある。大事なのはその区別だ、という話で、大変共感した。
このことを考えるのは、実際のところ本当に難しい。それがビジネス上必要というのもわかる。たとえばFMCG(日用消費財)のように、大衆向けに標準化されたものが求められる製品については、あえてマーケティングの意思決定プロセスを複雑化させることで、「大衆化」するケースもある。クリエイター個人の色をなるべく消し、多くの人が受け入れられるものを作るための承認プロセス。これは確かに仕事の仕方として正しい。しかし、同時にこれは日用品だからこそ求められる手法であり、カルチャーはそうではない。
ビジネス的に美徳とされる効率性や再現性の担保、リスクヘッジ、あるいは「食っていく」ことの尊さと、単に責任を回避して文化を殺している部分とが、厳密に分けられない。そして、厳密に分けられないからこそ、そこで人が価値判断をサボっていられてしまう。だからこのことを指摘するのは本当に難しい。しかし、そうしたビジネス的美徳とカルチャーとは、そもそも関係がないという原則を再認識するべきではないだろうか、とは思う。
プライドを持つために
制作には確かにお金がかかる。金は稼がないといけない。しかし、金を稼ぐことがビジネス的な美徳へのオブセッションになってしまいがちなのが本当に問題な気がする。稼ぐことは稼ぐことでしかない。今の社会においては、金がないと作れないことが多いという、ただそれだけのことなのであって、稼ぐことと作ることは本質的には関係がない。
資本主義社会においては、確かにそれらは混ざりやすい。だからこそ、それらを区別するための問いとして、「自分が本当に愛しているものを生み出せ/支えろ/消費しろ」と問うべきだ。その問いには、「自分は何を本当に愛しているのか」「本当にそれを愛しているのか?」という自問自答が含まれる。愛という言葉はブランドでもプライドでもいいと思うが、愛の方がごまかしづらい感じがある。ここでの愛は、盲目さを意味しない。むしろ盲目さと対極にある、懐疑的な精神がそこにはある。この問いがしっかり機能していれば、制作でビジネスをすることと、その制作物にしっかりと愛や責任やプライドがあるということが両立する。その愛や責任やプライド、その価値観を、クライアントが認めてくれるのであれば、マーヴィンの言うようにそれがブランドだということだ。
これまで以上に作るのが難しい時代だからこそ、ビジネスの対義語としての文化=無産という構造に絶対に陥ってはいけないと思う。上記の条件や問題意識を強く持ったまま、しっかりとマネタイズができるように、質とプライドを持っていく必要がある。そんなことをサラりとやってのけたケースとして、『STUDIO VOICE』の実践がこの日僕の目の前にそびえ立っていたように思う。
文化を生みだすための「横領」
ただ、それができるならば、「自分が愛しているものを生み出す/サポートする」ために社会のなかで立ち回る小賢しさを使うことだって、同じようにできるはずなのに、と思う。会社の金で私腹を肥やすことができるのなら、会社の金で好きな作家を起用したり、講演に招いたりすることだってできるはずだ(それが本当に会社になんの利益ももたらさないのであればさすがに通らないわけで。問題は、その利益を厳密に見積もろうとする慣習なのだと思う)。少なくとも僕自身は、そう思ってこれまで会社のプロジェクトを進めてきた。そうしたある種の公私混同を、松本がよく「文化的横領」と呼んでいた(どうかと思うが)。しかし、真の意味での公共性はどちらにあるだろうか。
Rhetoricaのメンバーが運営するNPO法人bootopiaや津和野町営塾HAN-KOHとのコラボレーションで、高校生向けの2Dayクリエイティブ・ワークショップを開催した時の様子。
弊社の社内向け講演会で若林さんをお呼びした時の様子。
ブランドとビジネスを両立するために
とはいえそもそも論で言えば、その場を離れられるのであればなるべく離れる選択肢をとるべきだとも思う。個人的にも、結局広告代理店ではブランドについて真摯に考えることができないとここ1年くらいで強く思った。それはやはり、広告代理店という業態が、多くの場合ブランドを持っている側でも制作をする側でもないからだ。色々模索をしてみたが、自分にとってはそれでも難しかった。
5/1に現職の広告代理店を退職することがだけが決まっている。次の展開としては、二つのことをやっていきたい。一つには、事業持ってる会社にマーケティングではない役割で転職すること(ブランドを持てるビジネスをやる)。もう一つは、周りのプレーヤーを集めて事業ドメインを展開すること(ビジネスにできるブランドをやる)。
どうすればプライドを持ちながら、自分たちで生きていくことができるのか。ビジネスと文化の間を行き来しながら、東京オリンピックが終わる頃までに、少しでも答えに近づいていたいと思う。
(当日の登壇者達とtomad、Jun Yokoyama)