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読書の満足とは何か?情報の非対称性から考える知的体験

読書をして、「わかった」「知れた」と思う瞬間には、たしかに満足感がある。それは、知りたいという好奇心が満たされる心地よさだ。しかし、それだけで本当に満足できる読書体験になるのだろうか。
実は、「知る」という行為には満足と失望の両面が存在する。情報の非対称性という概念を手がかりに、読書体験の本質に迫ってみたい。


情報の非対称性とは何か?

情報の非対称性とは、「知っている者」と「知らない者」の間に生じる優位性のことを指す。たとえば、売り手と買い手がいる市場では、売り手が商品の詳細を把握している一方で、買い手はその情報を十分に知らないことがある。この情報格差が、売り手に有利な立場をもたらすのだ。

この考え方を読書に当てはめてみると、読書はそもそも「知らない」状態から始まる。知らないことがあるからこそ、本を手に取りたいと思う。それが「知りたい」という知的好奇心を刺激し、ページをめくる原動力になるのだ。

知りたい欲望と知れた満足感の関係

読書を進めると、知らなかったことが「知れた」に変わっていく。このとき、「知りたい」という欲望は徐々に満たされ、知的なフラストレーションは収まる。
しかし、それと同時に、「知りたい」という原動力は失われていく。読み終えた瞬間、「わかった」「知れた」と感じる達成感がある一方で、「期待していたほどではなかった」と思うことも少なくない。

それは、情報の非対称性が解消された瞬間に起きる現象だ。知りたい欲望が強ければ強いほど、その欲望が満たされたとき、期待値とのギャップが失望に変わることもある。「なんだ、そんなことだったのか」という感覚は誰しも経験があるだろう。

満足できる読書体験とは?

それでは、「満足できる読書体験」とは何だろうか。私の考えでは、それは単に「知れた」という達成感だけではなく、「もっと知りたい」という新たな好奇心を喚起する体験だと思う。
たとえば、読み終えたあとで、「まだわからない部分がある」と気づかされる本がそうだ。知ることによって、自分がいかに知らなかったかを痛感させられる本。そのような本は、読了後も心に余韻を残し、知的な飢餓感を呼び起こす。

良い読書体験の本質は、満足感と飢餓感のバランスにある。読み終えた直後は、たしかに「知れた」という満足感を得るが、それ以上に、「まだ知らないことがある」「もっと知りたい」と感じる余地を残してくれる本こそが、読者を魅了し続ける。

読書とは知の旅路である

人はなぜ読書をするのだろうか。それは、「知りたい」という欲望を満たすだけでなく、自分が知らない世界を知り、さらにその先を見てみたいという欲望を喚起するためではないか。
読書とは、知の旅路であり、ゴールではない。「知れた」という達成感だけでなく、「まだ足りない」と感じる飢餓感をもたらすもの。それが満足できる読書体験の本質。

次に本を手に取るとき、あなたは「知れた」満足を求めているのだろうか。それとも、「知りたい」という新たな飢餓感を求めているのだろうか。考えてみてほしい。

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