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浅倉透は北極星である


この星に生まれてきた私たちは、いつまでも回り続けるしかありません。いくら前へ進んでも一周回って戻ってくることになります。命の元である地と海も所詮はこの星と共に、何もない暗闇の中で、太陽の周りをいつまでもくるくる回り続けるしかありません。あまつさえ、光を持たない埃だらけの迷子と短い命の子供たちが、私たちの頭上で回り続けています。もうめまいがしてしまいそうです。でも、だからこそ、引いた潮は満ちてくる、枯れた木々は花を咲かせる、月は欠けると満ちる、そして、夜が明けると朝がくる、そう信じることができます。
透き通っている翡翠色の瞳で、回る者でありながら回る物を見ていた、目が離せないくらい美しい女の子、透、と呼ばれる女の子がいます。立ちすくんで星と時の流れに身を任せたまま回り続けるのは、きっととても退屈だったでしょう。しかし、ある日、彼女は気づいたのです。何万回も繰り返して脈打つ心臓が、肉体の隅々まで血を走らせているのを感じて、生きているということの意味を悟ったのです。小さいミジンコも生き物、ミジンコを食べて生きる魚も、みな生き物です。そして、その魚は死んで水の中の塵となって底に降り積もって、そこからまたミジンコが生まれてきます。回ること、繰り返すことは、決して無意味ではありません。そうやって回っているからこそ、彼女は、私たちは、生きているのです。
そして、回るたびに、何かが心に刻まれます。ご飯の味、雪の冷たい感触、あの夜の闇と鮮やかな色、その積み重ねを大切にしなければなりません。回る世界の中で残るものは、肉体で確かめたものだけだからです。だから、アスファルトの荒い表面に足が傷付こうとも、雨に打たれて風邪を引こうとも、負けずに、できるだけ遠くを目指して歩いていくべきなのです。回ることが進むことに変わる、その瞬間の歓喜もまた、心に刻まれて、思い出となるでしょう。
一緒に雨に打たれるということは、雨上がりの綺麗な夜空も一緒に見られるということです。地と宙が繋がって一つになってしまうくらい真っ暗で周りが見えない、そんな時に輝いている星々も、回るものたちです。その中で唯一、殆ど動かず同じところに止まっているかのように見える星、北極星があります。しかし、北極星も回っていないわけではありません。私たちと同じ軸を持っているから一緒に回っている、それだけです。星を見上げているその時、隣にいるのは、あの星ととてもよく似ている女の子―透です。回る地球の上を共に歩いていて、いつもそばで輝きを発している彼女は、浅倉透は、北極星なのです。


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