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チョロQは後ろに引けば引くほど加速する

小さい頃、チョロQというミニカーがあった。動くミニカーだ。
ぜんまいばねで駆動し、グッと後ろに引いた後、手を話すと前に進んでいく。その後ろに引いたときのねじ上げていくようなグリグリといった感触、手放す瞬間の緊張。未だに感覚として残っている。
何度か、手加減なく引いた結果、ぜんまいばねがバカになってしまい、使い物にならなくなったこともあった。

角を矯めて牛を殺す

「玄中記」

初めて実践したのはチョロQにおいて、だったかもしれない。
子どもは残酷だ。


前回、ちょこっと触れたが、実に4年半ぶりくらいに、営業っぽい仕事が始まった。

前職で営業部門から管理部門の管掌となり、そのまま起業するも、コロナ禍の影響か?思ったほど営業のニーズはなく、あるのは中の仕事ばかりであった。営業に赴く立場から、受ける立場へ。口では仕事の内容に好き嫌いはない、なんて言いながらも、やはり営業に従事していた期間が長く、どこかで営業を受けながら、羨ましいな…なんて思っていた。
まあ、そういう嫉妬心もあったかと思うが、そういうのを差っ引いても、実は、本当に感心する営業を受けることは稀有なことであった。体感的に、20人に一人くらいだろうか。

「世の中、やりたくてもできない人もいるんだから、ちゃんと丁寧に、楽しそうに営業しなさいよね」なんて、心のなかで思っていたものだ。余計なお世話にもほどがある。

もともと自らが逆の立場にいたから、瞬時に相手の営業パーソンができる人なのか?そうでないのか?見分けることが出来るようになるのに時間は掛からなかった。どれだけ身なりが良くても、言葉が丁寧でも、それはポロッと、ちょっとした瞬間にこぼれてくるものだ。

一生懸命

今回、久しぶりに営業の世界に戻ってきた。
長いブランクがあった割には、それほど違和感がないのが不思議だった。一方で、営業のアプローチの仕方が当時と変わっていることに気づいた。

なんでだろう?

きっと、「あっち」も「こっち」も、なかったんだと思う。
赴くのも、受けるのも、実ははっきりとそれらを隔てる線があるわけじゃないのではないだろうか。おそらく、受けながらも、どこかで「自分ならこうするのに…」というシミュレーションを無意識のうちにしていたのだと思う。
一方で、受ける立場からの視点を得たことで、視野は広くなったような気がする。攻める自分のトークや提案を、同時に受ける自分が切り返す。この一人二役現象が、今は脳内で起こっているんじゃないかと思う。ピッチャーとバッターの視点を持ち合わせた大谷…とまでは言わないが。言っちゃったけど。

こっちの方がいいんじゃない?

何が功を奏するのか、わからないものだ。
今となっては、営業に対する羨望と嫉妬にまみれた4年半にも感謝している。まだ当時は世界の半分しか知らなかった、と言えるかもしれない。

4年半の間、いったんはバックギアが入ったが、それは大きく加速してスタートを切るため。
其の加速することチョロQの如く、である。



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