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177情報生産者になる
物事を他者に発信するには?
ととらえて全体を振り返ることができる。
人の言うことや文章を批判することは簡単だ。であれば発信してみろ💢という立場において、ノイズを感知できる所に自分を置くように努めよう。ただノイズをノイズとして(ん?これはなんだ?)と思えるためには環境、教養も整え、鍛える必要がある。
例えば後半ミシェルフーコーについての記述があるが、この名前を見て私はコンフィデンスマンのミシェルフーという登場人物が思い浮かんだ。フーコ-は知識の力は権力につながるという哲学を発信した人物で、医者が血圧をさげる為に適度な運動を患者にすすめると患者はそれに従い運動を始める、これは強制力に似たものがり、知識は権力を握るという意味だと言う。映画でのミシェルフーも良い意味でこれに通ずるものがあり、原作者のメタファーが放り込まれているのかなと感じた。
発信する際にはオリジナリティと高い教養があるならば前者を優先すべきだ。前者を会得したあとに後者を会得することはできるが、その逆はできないからだ。
また問いの立て方が非常に重要で、答えの出る問い、手に負える問い、データアクセスのある対象を選ぶべきだろう。地球温暖化などと問いを立てたら一生かかる。しかし地球温暖化が与える林檎産地青森に与える影響、とすれば的が絞れる。
更にタイトルも非常に重要だ。著者も後書きにも触れているが、現代の子どもについて論説する際、子どもの赤提灯、あるいは子どものサードプレイス、と、すれば家庭でも学校でもない子ども居場所の構想についてピンとこさせることが可能だ。
注意点としてアクセスデータの定義自体が微妙な場合だ。孤独死を例に取ると、見取りのない死、と人口統計学資上は定義されている。しかしこのご時世なくなる瞬間人が隣にいることの方が少なくなってきてはいないか?問題なのは死後一定期間経過しても発見されないことなのだ。そう考えるとデータとしての扱いにも注意が必要?となるわけだ。
最後に表現についてだが、とかく勉強をすると難しい言葉で表現したくなる。ブリリアントな論文、という箇所があったが、要するに素晴らしい論文ということだ。あくまでも中三階級の用語でわかりやすく表現したい。
またパワポも良し悪しである。あのハーバードの白熱教室でのマイケルランデルが一切パワポを使わず対話に重きを置いて講義を展開したように、一番大切なのは現前性、ライブ感であり発話を基本とすることが大切だ