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ホッとした日
昨日 弟宅に私が持ってた仏壇を置いてきた
私は長い間 夫の方の仏壇と実家の仏壇 2台?台と言っていいのか
わからないけれど預かっていた
母が私の介護で旅たったので 仏壇もそのまま 神戸に帰ってきても
2台並べて 夫が朝夕に般若心経を唱えていた
実は神道なのだが ま、気持ちが伝わればいいか
ふと思った 私に何かあったら 息子が困る 嫁さんに迷惑がかかると
思って 訳ありで長い間連絡を取っていなかった兄弟が集まって
妹、弟と一緒に食事をした時に仏壇の話になった
弟が「俺が預かってもいい」と言ったので 息子と一緒に昨日
仏壇の引越しをした
車に乗せて向かっている最中に弟が「仏壇が大きい」と言い出した
「大きいと思うなら そっちでなんとかして」と置いてきた
やっぱり こういう男やったんや
何年経っても変わらない 最後まできっちりしない
庭の広い良さそうなマンションに住んでいるのに 大きかったら庭にでも
置けばいい・・・ぶつ ぶつ
両親は弟を溺愛していた それが いけなかったのか・・・・
まあいい とりあえず 仏壇は弟宅に引っ越しした
主人の母は 息子の急病もあり特養で最後までお願いしたが 義父は
「純子ちゃん ワシのオシメ 替えてな」とよく言っていた
生前にたくさん賄賂も 貰ったし
義父の介護の時代 場末のディサービスで仕事をしていたので
私にできる限りの介護をした オシメも替えた 喉越しのいい食事も
作った その分義母には少し心残りがある
息子の病気の対応と場末のディサービスのことで一杯一杯だった
夫が毎週 特養を訪問して近くの商店街で一緒に食事をしていた
彼は優しい一人息子だ
私の両親の介護も その時の精一杯のことをした
父は食道がんと診断され 徳之島から出てきて神戸で手術をした
闘病中は我が家で過ごし 島に帰ってからも定期検診の時は
我が家を拠点にして生活していた 帰る前日に 弟宅に泊まり
空港まで送ってもらっていた
弟家族は父の見舞いにやってきて食事をして帰って行った
まあまあ 済んだことはいい
弟を育てたのは両親だから 少々のことは我慢してもらおう
どちらの両親にも できる限りの事をしたので
もう 昨日の仏壇の引越しで 肩の荷が降りたというか
両親から 卒業できたような気がする
祖母が よく言っていた
「生きているうちに なんでもしなさい 美味しいものも
持ってきなさい 死んでからなんか何もしなくていい」
その通りだと思う
骨はただのものでしかないし お墓は生きている人の自己満足かも
なんて思ったりする
私の骨は粉にして 海にまいてくれたらいい
たまに 思い出してもいいし 思い出さなくてもいい
さ! 済んだことは忘れて のんびり コーヒーを飲みながら
編み物をしよう〜。
夕食は夫がカレーを作ってくれる
いい1日になりそうだ🥰