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頻出知識の総整理(執権・征夷大将軍)
今回は、中学入試の社会において超頻出である執権・征夷大将軍に関するまとめです。
多くの受験生が間違えやすいPOINTをまとめています。
特に、太字部分については、志望校問わずマスターしておいてください。
源氏・頻出知識
源頼朝
・源頼朝は、平治の乱に敗れて伊豆に流された。
・1185年に壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした。
※源頼朝の弟である源義経の活躍。
・征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府が完成。
・鎌倉幕府は、全国の御家人と呼ばれる武士たちを束ねる政府。
・幕府と御家人の主従関係は、封建制度で成立。
・将軍が御家人に対して領地などを与えることを御恩、御家人が将軍にお返しすることを奉公。
・国ごとに守護、荘園や公領ごとに地頭を設置。
・平泉を拠点としていた奥州藤原氏を滅ぼした。
北条家・頻出知識
初代:北条時政
・尼将軍として有名な北条政子の父親
・初代執権に就任
2代:北条義時
後鳥羽上皇が挙兵し、承久の乱が始まった。
3代:北条泰時
・1232年、武士の権利や義務を明らかにする目的で初めての武家法である御成敗式目を制定した。
・初代の六波羅探題(承久の乱後、朝廷を監視)
8代:北条時宗
・フビライ・ハンは、朝鮮半島の高麗を征服した後、日本にも服属を求める使者を送ってきたが、時宗は要求を拒絶した。
・1274年:文永の役
・1281年:弘安の役
9代:北条貞時
経済の混乱や、元寇の負担で金銭的に苦しんでいる御家人を救うために、借金を帳消しにする永仁の徳政令を発令。
北条家に関する出題
【出題校:頌栄女子学院中学】
鎌倉幕府において北条氏の一族が就任し、将軍を補佐して政治を行った役職を答えなさい。
【正解】
執権
足利家・頻出知識
初代将軍:足利尊氏
・六波羅探題を攻め落とした。
・建武の新政に不満を持つ武士と挙兵。
・後醍醐天皇が吉野に逃れる。
・南朝(吉野)の後醍醐天皇と対立(南北朝時代)
・湊川の戦いで楠木正成らを破った。
・後醍醐天皇の菩提を弔うために、天龍寺を建立した。
3代将軍:足利義満
・南北朝の合一を実現(北朝が南朝を吸収した)
・太政大臣となった。
・金閣を建立。この時代の文化は北山文化と呼ばれる。
・明とのあいだで日明貿易(勘合貿易)を始めた。
・日明貿易は、日本が中国に貢物を献上する朝貢貿易であった。
・日明貿易では、中国から多くの銅銭が輸入された。
・能は、足利義満の保護を受けた観阿弥・世阿弥によって完成された。
・花の御所を造営し、そこで政治を行った。
8代将軍:足利義政
・足利義政の跡継ぎ問題で応仁の乱が発生した。
・京都の東山に銀閣を建立。
15代将軍:足利義昭
・足利義昭が京都から追放されたことで、室町幕府は滅亡。
・足利義昭を京都から追放したのは織田信長
足利家に関する出題
【出題校:日本大学中学】
(ア)(イ)に入る用語を答えなさい。
室町幕府は、3代将軍足利義満の頃に、将軍を補佐する( ア )に足利一族の有力な守護大名が任命されるようになり、幕府の政治は( ア )を中心に有力な守護大名の合議で行われるようになりました。応仁の乱は将軍の世継ぎ問題に、( ア )の細川勝元と有力な守護大名の( イ )が主導権を争って起こりました。
【正解】
ア:管領
イ:山名持豊(山名宗全)
徳川家・頻出知識
初代:徳川家康
・徳川家康は三河国(愛知県)の出身
・関ヶ原の戦いで石田三成に勝利し、征夷大将軍に就任。
※関ヶ原は、現在の岐阜県。
・就任からわずか2年で将軍職を引退し、徳川秀忠に譲り、自らは大御所になった。
・大阪夏の陣で豊臣氏を滅ぼす。
・大名の統制を目的に武家諸法度を出す。
・朱印状を与えて貿易を保護したため、朱印船貿易が盛んになった。
・徳川家康が埋葬されている神社は日光東照宮。
3代:徳川家光
・武家諸法度に参勤交代の制度を追加。
※参勤交代の行列の入数などは、大名ごとに決められていた。
・寛永通宝という貨幣を発行。
・天皇や公家を統制するため禁中並公家諸法度を定めた。
・日本人の海外渡航や帰国を禁止(鎖国)
・オランダ商館を長崎の出島に移した。
5代:徳川綱吉
・生類憐れみの令
・学問や礼節を重視する文治政治が本格化。
※武力によらない政治を目指した。
・朱子学を重視して幕府の学問とした。
・湯島に孔子をまつる聖堂を建立した。
・徳川綱吉の側用人として柳沢吉保が起用された。
8代:徳川吉宗
・幕府の財政再建のために、享保の改革を行った。
・目安箱を設置。
・上げ米の制を定めた。
※石高1万石あたり米100石を納めさせる制度です。
・公事方御定書(公平な裁判を行うための法律)
・貧しい人々の診療のために小石川養生所をつくった。
・年貢米の確保を目指し、新田開発を奨励。
・青木昆陽によるサツマイモの栽培
・蘭学の発達(漢訳洋書の輸入を許可したため)
15代:徳川慶喜
・大政奉還が二条城で行われ、政権が朝廷に返された。
徳川家に関する出題
【出題校:学習院中等科】
徳川慶喜が、大政奉還をおこなった理由を25字以内で説明しなさい。
(解答)
武力により幕府を倒そうとする勢力に対抗するため。
(解説)
大政奉還は、薩摩藩や長州藩が幕府を武力で倒そうとしていたのに対抗して、先に政権を返上して幕府を倒せなくするという目的で行われました。
【出題校:東洋英和女学院中学部】
徳川吉宗は、西洋の書物の輸入制限を緩和し、それらの書物を読めるように、青木昆陽らに西洋の言語を学ぶよう命じました。この言語は何語ですか。
(解答)
オランダ語
【出題校:広尾学園中学】
徳川家康は、貿易で得られる利益を重視して海外貿易に力を入れました。海外に渡ることを認める( )を大名や商人に与え、東南アジアの国々などと貿易をすすめました。
(解答)
朱印状
(解説)
朱印船貿易が盛んになり、東南アジアへ移住した日本人が日本人町をつくりました。
【出題校:国府台女子学院中学部】
8代将軍の徳川吉宗は、財政を立て直しするために「上米の制」を定めました。この制度について、「参勤交代」という語句を入れて説明しなさい。
(解答)
大名たちに一定の割合で米を納めさせる代わりに、参勤交代で江戸に滞在する期間を短くした。