新学期を前に腹が痛くなる母
あと数日もしたら、新学期が始まってしまう。
うちの子どもたちは、学校が超がつくほど嫌いであるが、なんとか首の皮一枚ぐらいで学校と繋がりながら、つい数週間前にやっと年度が終わり、母子共に疲労で倒れる寸前で春休みに突入。
やれやれ。というわけで、春休みの今、子ども達も私も、のんびりした時間を満喫中である。思う存分、子どもたちは好きなように過ごし、私も好きなように過ごしている。しかも休み中は、何故か私はよく眠れるのだ。
自由を謳歌している!
子どもたちはストレスも少ないようで、毎日、楽しそうだ。
が、そんな春休みが終わってしまいそう。明日からは4月になってしまう。
4月から、長男は誰も知り合いの居ない学校に進学。次男は、新しいクラスに新しい先生。
二人とも絶対、しんどいやつじゃないか。
慣れてない場所、しんどいに決まっている。
母は、すでに憂鬱だ。なんなら、吐き気すらする。腹の調子がおかしい。
新学期の事を考えただけで動悸がしてくる。
行きたがらない学校に子どもたちを向かわせる事に必死になる毎日が始まるのか…と思うとゾッとする。新しい先生に、また一から色々と説明しなくてはならないのかと思うとため息が出てしまう。
もう、行かなくてもいいじゃん。
としてしまいたい。けれども、学校には学校にしかないものがあると信じている自分もいる。その歳頃にしか味わえないものがあると信じている。
だから、子どもたちに罵られようと蹴られようと、何とかして子どもたちを学校に連れていきたい。
教室でも保健室でも別室でも何でもいいから、学校に居ることに価値があると思ってしまう。
そんな事を続けていて、もうヘトヘト。
子どもたちと学校の狭間に立ち、
ヘトヘトです。
ヘトヘトだけども、子どもたち自身が学校の何が嫌で苦手なのか。という事を自身で気が付き、自覚してくれたら儲けものだと期待してしまう。
己を知ってくれ。
そのままの己を知ってくれ。
それを期待してしまう。
学校は、それを知る為にはこれ以上ないぐらい素晴らしい所だと思っている。
自分の苦手な事を知って苦手な事で生きようとしない。
自分の得意な事を知って、それを役立てて生きる道を探す。
それを学べは、少しは快適に生きられる気がするからだ。
それらを学ぶ為に、彼らが耐えられるギリギリまでは学校へ行って欲しい。
だから、私も耐えられるところまでは、頑張ろうとしている。
頑張ろうとしているのだが…。正直なところ、ほんとうに憂鬱だ。胸が締め付けられるようだ。ほんとうに新学期が嫌だ。
嫌だ嫌だイヤだー!!!
だから、これを思い出して凌いである。
「いつでも逃げられる。」
私たちは、いつでも逃げる選択肢を持っている。
行かないという選択肢はいつも我々の手にある。
「自分で決めていいのだ。」
これをお守りのように唱えながら、なんとか、なんとか、頑張りたい。
頑張りたい…
いや、頑張りたくないかも…。
トホホ。