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書くことと生きることがイコールになれば人は自然と続いていく
書くことが、特別なことではなくなって。
毎日、朝起きたら歯を磨くように
毎晩、おふろに入って身体を癒すように
「生きる動作」の一つになると、ひとは自然と続いていきます。
なにを書こうか…
誰に、なにを届けようか…
そんなふうに考えなくても、歯を磨くときには「なんのために…」といちいち考えなくてもできるように。
書くことと生きることが同ステージで一直線になれると、逆に止めるのがむつかしくなるくらい(呼吸の一部)にもなってきます。
でも、その習慣こそがむつかしい…
別に、自分一人が書かなくたって、なにも社会は変わらない…
そう思うときもあるかもしれませんが、本当に、そうでしょうか?
わたしは、この「書くときの魔(どうせ…)」と、
「自分のいのちに対する肯定的なリスペクト」との継続的な向き合いが、そのひとをほんとうの意味で前進させるのだと感じています。
(以下、「軸を自分に取り戻す」メッセージと「継続」のヒントを綴っています)
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