見出し画像

舌バカな僕が2ヶ月で7キロ痩せたら初めて"食べる喜び"を知った


「好きな食べ物は何ですか?」



昔からこの質問がすごく怖かった。

「あなた様の食レベルはどない?」と試されているように感じてしまうからだ。


就職活動で「この会社に入ってやりたいことを教えてください」「将来の夢は何ですか?」といった類いの質問が苦手な人ときっと同じ感覚だと思う。

僕は昔からやりたいことがあったので、この手の質問を煩わしく思ったことはなかったけれど、夢がない人にとってこの質問はとても苦しいと聞いていた。なんて答えても薄っぺらくなってしまうから。


すごく、わかる。


正々堂々と「お寿司です」と答えられる人がいつも羨ましかった。

一周回って「お味噌汁ですかね」も痺れる。「味噌にこだわっていて…」なんて言われるものなら、「ははぁ、一生付いていきます」とはっきりと心を掴まれる。

20代の頃、初デートでカレーを食べに行ったことがあった。「何食べたい?」と聞くと「私、カレーが好きなんです」と言われ、その子のオススメのカレー屋さんへ行った。一般的にカレーはデートでは適していないのかもしれないけれど、自分の好きをしっかり伝えられる時点で、僕からしたら尊敬の眼差しである。

僕は、お肉やお寿司って答えると値段感も上がって、相手にとってプレッシャーじゃないかなぁ大丈夫かなぁとか考えてしまう。

それに大変お恥ずかしい話、サイゼもマクドも吉野家もとても美味しくいただく。


そんな舌レベルなので、初めて女性と食事に行く際に言われる「好きな食べ物は?」「何が食べたい?」にいつもどぎまぎして、相手が食通な女性だとなおさら恐れおののいてしまう。

特にこだわりはないし、正直に「オムライスとハンバーグかな」なんて答えるものなら、「おこちゃまだ!」とすぐにドンッと【不採用】の烙印が押されてしまいかねないからとても怖い。




そして、いつも同じことを思う。



この質問の正解は何?なんて答えたらいいの?



結局、無難に「うーん、やっぱりイタリアンですかねぇ」と答えてしまう。やっぱりってなんだ。



去年末、人生で初めて「太る」という経験をした。

いや今年の春ぐらいだったかもしれない。それぐらい自分でも気付いていなくて、太ると思っていなかった。


もともと何もしなかったら「62キロ」(175センチ)で、なかなか太れない体質なので、トレーニングよりも食事が苦手だった。

この仕事(女性用風俗)は見られる仕事でもあるしと、いわゆる細マッチョになりたくて、まずは67キロぐらいを目指して、朝昼昼晩寝る前と一日5食くらい食べることにした。

苦しくても食べ続け、胃に無理やり流し込み、毎日スマホのメモ帳に今日の体重を記録し続けた。


でもある時からありがたいことに仕事がすごく忙しくなり、鍛える時間が減り、体重計にも乗らなくなっていった。


そこから数ヶ月後、仕事が落ち着き、何の気なしに体重計に乗ってみたらびっくりした。



72.6




見たことない数字が出たのだ。


う、うそだろ。


10キロ増……!


体重計が壊れているのかと思った。

何度乗り直しても数字は微動だにしなかった。


「体重計が壊れているかと思った」はよく聞くセリフだけど、僕もまったく同じことを思っていてそのことがなんだかとてもおかしかった。

自分が太っているという事実よりも、「体重計が壊れている」と人は思い込むんだなぁ。


そして一拍置いて、笑った。ムクムクと笑いが込み上げてきた。


なぜ笑ったのか?


触る、触る。何度も触る。そこには間違いなく滑らかなカーブを描いた立派なお腹があったからだ。



お腹の張りが治らなくて本気で胃腸炎だと思って内科へ行った。


「最近ずっとお腹が張っていて…」

「仕事のストレスかもしれません。おそらく胃腸炎か何かだと思います」

「苦しいんです……」




その節は診察の無駄遣いすみませんでした。

ただのぽっちゃりでした。

そらそうだ、10キロも太ったんだもん。お腹ぐらい出るわ。胃腸炎の薬で治るわけがない。




仰向けに寝転んだお腹の頂上にビー玉を置いて手を離すと、勢いよく転がって、落ちきる直前で「ふっ!」と力を込めると、1998年・長野五輪のスキージャンプで金メダルを獲った原田雅彦かのように、ビー玉は空高く綺麗に羽ばたいていった。

あぁ原田はこういう気持ちでスキー台を滑っていたのか。できることなら僕も空高く羽ばたいてみたい。その日、僕はそう強く思い、未来に胸を膨らませたのだった。嘘だ。




これはさすがにやばいと、すぐに1日5食から1日1食に減らし、断食して断食して、2ヶ月で7キロ痩せた。


その過程で筋トレもし、65キロという程いい体格を得た。

「2ヶ月で7キロ痩せる」という目標を達成できたちょうどそのタイミングで、仕事で(女性用風俗のデートコースで)、溢れ出るほどのイクラをお肉で巻いた"にくら"というものを食べた。



にくらは美味しかった。

これがとんでもなく美味しく感じたのである。


写真を撮った。たくさん撮った。

次の日、うまく撮れているかなぁとそれらを家で見返していた。



すると、ここで手がとまる。

僕が今まで人生で感じたことのなかった、それでいてとても普遍的な感情を抱いていたことに気付いたからだ。



(美味しいものが食べたい……!)





そんな自分に驚愕した。

あんなに食に対して無関心でお腹に入ればなんでもいいと思っていたのに、初めて美味しいものが食べたいと思っていたのだ。



おかしい。そんなわけがない。何かがおかしい。なぜだ?



しばらく考え込み、あぁこれってもしかして大学生の頃、心理学の授業で勉強した"あれ"かもしれない、と少しして気が付いた。



人間はある傾向を持っている。


それは、「自由な選択が制限されたり脅かされたりすると、自由を回復しようとする欲求によって、その自由を以前よりずっと欲するようになる」ことだ。


「心理的リアクタンス」といって、これを読んでいる人の誰もが経験があると思う。


例えば、大学の試験前、勉強しなければいけないのに、気付いたら部屋の掃除をし始めていたとき。

例えば、思春期の頃、18禁コーナーを目の前にしたとき。


週刊誌の袋とじは、人間の心理をついたよくできている仕組みである。

見ることを禁止されることによって、人はより見たくなってしまうのだ。

ある対象にこれまでのように接することができなくなると、希少性が増大して、以前よりもその対象を望んだり所有しようとすることで、妨害に反発するのである。




僕はどんなに食べても太らない体質だからそこに"制限"はなかった。

一度も太ったことがなかったからこそ、僕にとって食事はただの生きるために必要なものでしかなく、そこに楽しみや喜びはなかった。

だから食にお金をかける人を理解できなかった。お腹に入れば何食べても一緒じゃんと思っていた。


男性よりも女性の方が「趣味は食べること」な人が多く、一方で男性は食に無関心な人が多いけれど、これは常にダイエットという脅威(食への選択の自由の制限)にさらされているからこそ、心理的リアクタンスによって、食への興味・関心が増大して「食べることが幸せ」とより感じるのではないだろうか、と思った。




断食してから食べたご飯が美味しいこと。僥倖ぎょうこう。怒涛の如く美味。僕は食べられる幸せを、食べることの喜びを初めて知った。

ついにコンプレックスだった「食」に目覚めることができたのだった。


舌バカだったはずの僕が、今では美味しいものを食べたくてうずうずしている。

「好きな食べ物は何ですか?」という質問も不思議ともう怖くない。

来週は心斎橋にあるふわふわで美味しいと評判のオムライスを食べに行こうと思う。

今では胸を張ってオムライスが好きと言えるようになったのだ。




■人気記事

もう少しお仕事をがんばりたい日はチロルチョコを買います。精一杯やりきった日はご褒美にHäagen-Dazsを買います。ここまでお読みいただきありがとうございます。貴方様に支えられて文章を紡ぐことができました。