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コーヒーの思い出

風邪で一週間も寝て過ごすと、妙に昔のことばかり思い出して懐かしい。今朝は起きてPCを立ち上げ、YouTubeでニュースを見ながら、JAZZのBGMを聞いてる。朝のコーヒーが増えて、けっこう優雅でノンビリとしてるのに、時間の経つのが早すぎて、結局何も出来ないまま1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎていく。つい最近まで、一日の時間が短く1週間が長く感じていた。今は一日の時間はタップリあるのに、1ヶ月がアッという間に過ぎてしまう。これも高齢者の特徴かもしれない。

昨年からドリップコーヒーが、大きなレジ袋に一杯になり破れそうだ。誰も訪ねる者も無く、葬儀のコーヒーばかりが増えていく。香典の金額や供物に拘わらず、香典返しはおことわりしてるので、会葬御礼ばかりが貯まってしまう。以前はお茶だったのに、今はコーヒーに変わってきた。しかもコロナの影響で、通夜や告別式終了後のお斎も行われなくなり、質素になると共に香典返しの大きな物は好まれなくなったようだ。もともと荷物を持つことが嫌いなので、会葬御礼だけにしていた。

お茶を飲む習慣も無いので、ペットボトルのお茶専門で、ティーパックのお茶や小さな茶筒も邪魔になって処分した。コーヒーだけは何となく高級感もあり、レジ袋に一杯になると、娘や訪ねてきた人にあげていた。ここ数年、家に来る人もわずかになり、その割に会葬御礼のドリップコーヒーばかりが、以前にも増して早く貯まるようだ。


そう、初めてコーヒーを知ったのは、まだ小学生の低学年の頃だった。市内の、まあまあ環境の良いところに住んでいた。近所に、むかし俗に言うハーモニカ長屋が一棟あり、そこに疎開してきてた母親と中学生になる男の子が住んでいた。横浜の裕福な家庭だったが、いわゆる「戦争未亡人」で戦争が終わっても帰れないと噂されていた。母はその母子と仲良く付き合っていた。

横浜の中学に入学するために、親戚の家に越すことになり、家財などを近所に配った。母には大きなボンレスハムと、大きな缶のコーヒーを置いていった。腕よりも太くて長いハムも、この時に初めて見た。肉と言えば、田舎のジイが持ってくる鶏と、ワラで編んだ鶏の卵、それと鯨のベーコンくらいだった。母が魚介類が好きであったので、肉は少なかったのかもしれないが。戦後10年くらいで、あれほど立派なハムが流通していたとは知らなかった。横浜の親戚から送られたのだろう。

缶のコーヒーも初めて見て、コーヒー自体も初めてだったのだが、開けたらとても良い香りで、子供ながら欧米的な優雅さが感じられたのをハッキリと想い出す。なにせ、その後に飲んだコーヒーの思い出が強烈で、コーヒーの第一印象は忘れられないものになった。

コップにタップリの挽かれたコーヒーの粉を入れ、熱いお湯が良いと言うので熱湯を注ぎ、猫舌なので冷蔵庫(氷で冷やす冷蔵庫)の氷を砕いて入れ、一気に飲んだ。苦さもスゴかったが、何よりも初めてのコーヒーは水に溶けるモノだと思い込んでいたので、タップリの粉を飲み込んだ口の中から喉まで粉がひっ着いて苦しかったこと。以来大人になるまでコーヒーは飲んだことなど無い。

本屋さんの思い出の中で、近くの喫茶店でブラックコーヒーを頼んで、買ったばかりの本を開くのが楽しみだと書いた。構造力学の先生が居て、時々教授室を訪ねた。学生運動などでおかしな空気が漂っていて、誰も教師と仲良くなろうとはしない時代でもあった。そのせいか教授室まで行くと歓迎され、知的な顔立ちの、場所柄そう見えたのかもしれないが、教授室の秘書さんが挽いて淹れたコーヒーが出された。

質問が有って訪ねたのに、毎回仏教やらキリスト教やヒンズー教などの、宗教や哲学のような話ばかりになった。小さな頃から神道や仏教を教えられていたので、特に神道の自然を敬う考え方が祖父からの影響を強くうけていて、大いに楽しい時間だった。もちろん横をチラッと見ると、可愛らしい秘書さんも笑顔で見ていて。

この教授のように、膝を組んでブラックコーヒーを飲むのが、知的な大人の時間の過ごし方と勝手に思い込んでしまい、この当時はムリをしてブラックコーヒーを飲んでいたものだ。その後、父の後を継いでからは、コーヒーを飲む機会は無くなった。

貯まってしまったドリップコーヒーの消化のために、今はタップリと砂糖を入れて、糖尿病予備軍と言われようが、甘いコーヒーにしている。いくらコーヒーを飲むようになったとは言え、どうもブラックは馴染めない。教授のように知的では無いのだろう。


自分の葬儀も、やはりドリップコーヒーになるのだろうか。そうだ、会葬御礼には紅茶のティーパックにするように頼んでおこうかな。本当はティープレスで、ダージリンの茶葉の紅茶が良いのだが、残念ながら親戚の中には紅茶を嗜む人は居ないようだ。

ティープレスを上下させながら、このダージリンが一番美味しいのよ、そう言っていた友人の姉を思い出す。

どうして飲み物や食べ物の思い出は、いつも若い女性、それも好みの女性の仕草や言葉と共に記憶に残っているのだろう。俗に言う女好きではないのに、女性との会話と食事は、いつも幸福感の思い出になって残るようだ。まだ小学生のくせに、初めて座った革製のソファーの、ギシギシと音を立てながら横に座り、紅茶の話をした。その印象が強くて、日本茶やコーヒーよりも紅茶が好き成った。

ダージリンの茶葉もたまには良いが、年金生活者には高価すぎてしまう。やはりもらい物のドリップコーヒーで、せめて教授室の秘書さんを思い出そう。などとムダな時間を費やしていると、お腹が空いてきて、学食のたくましいオバチャンを思い出してしまう。

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