天国の祖母に手紙を書き続けた話
今日は、小学校4年生のときに亡くなったおばあちゃんの話の続き。(祖母のことは、ここではおばあちゃんと書きたい)
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小学校4年生の12月、父方のおばあちゃんが突然亡くなり、当時77歳だったおじいちゃん(現在101歳)は一人暮らしをするようになった。
わたしにとって、初めての身近な人の死。しばらくは悲しくて悲しくてたまらなくて、思い出しては泣いていた。
5年生になったころから、不思議なことにおばあちゃんがいつもそばにいるような、見守られているような感覚を感じるようになっていった。
いつも見守られている感覚があったから、おばあちゃんのことを考えることも多かった。
おばあちゃんを思い出すたびに、一人暮らしをしているおじいちゃんのことも頭に浮かび、「寂しいんじゃないかな」と気になっていた。
その頃、おばあちゃんに対する想いをノートいっぱいに書いたり、手紙に書いたりするようになっていた。
その手紙を、どういうわけかおじいちゃんに送らなければならないと思い立ったわたしは、手紙を書いてはおじいちゃんの家に送るようになった。
おまけに、宛名には祖母の名前も添えて。亡くなるまで連名で書いていたのに、おじいちゃんの名前だけ書いて出すなんて、おじいちゃんにもおばあちゃんにも失礼な気がしたのだ。
天国にいるおばあちゃんへの手紙を書いていたときの気持ち、おじいちゃんへの手紙を書いていたときの気持ち、宛名を書いていたときの気持ちは、いまでもぼんやりと覚えている。
そんな気持ちで、手紙を書いて、封筒に入れて、ポストに入れた。きっとおじいちゃんの家に送れば、おばあちゃんも読んでくれると信じて。
いつもおじいちゃんは、手紙の返事をくれた。
もちろん、4年生までと違って、おじいちゃんの名前だけが書いた封筒が届いた。
だんだんわたしは、連名で送ることのほうがおじいちゃんに悲しみを与えているのではないか…と不安に思いはじめた。
だけど、連名で書くことをやめられなかった。やめてしまったら、おばあちゃんに悪いような気がしていたのだ。
しばらくして、おじいちゃんの家に行ったときだろうか。おじいちゃんが、わたしに優しい顔でこう言った。
「おばあちゃんの名前はもう書かなくていいんだよ。もう天国で幸せにしているからね。ここには、お盆や命日にしか帰ってこないからね。それに、おじいちゃんは大丈夫だ!ほら、家も綺麗にしただろ?」
おじいちゃんは、おばあちゃんとの思い出がつまった懐かしいリビングを、おじいちゃんのセンスで全然別の素敵なリビングに変身させていたのだ。
お気に入りの音楽をかけて、いつもそのリビングにいるおじいちゃんを見て、
なんだかホッと安心した。
そして手紙には、おじいちゃんの名前だけを書くようになった。
天国に旅立ってからもずっと送り続けた手紙。連名にしたことで、おじいちゃんは余計寂しかったかもしれないと後悔もした。
おじいちゃんは、手紙の内容に喜んでくれていたし、それも気にしすぎなのかもしれないけれど。
小学生のわたしが、初めての身内とのお別れを乗り越え、生きていくために、必要な手紙だったのかもしれない。