危うくバイクにひかれそうになって
さっき一人で歩いていた時、危うくバイクにひかれそうになった。
帽子をかぶっていると、普段から聞こえづらいわたしは、さらに聞こえづらくなる。
おまけに、コロナが流行しだしてから、外を歩くときはマスク必須。
帽子にマスクだと、弱視で見えづらいわたしは、さらに視界が狭まって、見えづらさが増している。
そして、わたしは目も耳も左のほうが良い。目は同じ視力なんだけど、それでも左のほうが見えやすい感じがしている。左で見るクセがついているのかもしれない。
そんな状況で、右からバイクがやってきた。
帽子をかぶっていなければ、音でバイクだとわかる。
でもスピードを落としてゆっくり来ていたからなのか、あまり音が聞こえなかった。
だから、数メートル離れたところに、人が見えたときに、バイクに乗っているとは思わず、歩いている人だと勘違いした。
そして、わたしは歩道から向かい側の歩道へ渡るときに、バイクの目のまえを横切った。
危なかった…結構ギリギリのところを通り過ぎ、ヒヤッとした。
バイクの人もびっくりして、怖かっただろう。
弱視と難聴があるわたしだけど、普段は結構気を付けているので、人生でヒヤッとすることは、そこまで多くない。
でも、今まで無事だったからといって、これからも無事とは限らない。
気を引き締めなくちゃと思った出来事だった。
***
そこで、小学校3年生のときに、事故にあったときのことを思い出した。
その事故は、見えにくいわたしが原因ではなく、家族と歩いているときに、普通に横断歩道を歩いていて、車側の操作ミスでぶつかった事故だった。
幸いにも、大けがや命に関わるほどではなく、軽い衝撃で背中の痛みで病院を受診したけれど、すぐに治った。
でも、あのぶつかったときの怖さと、その後の警察署でのやり取りが忘れられない。
警察のおじさんは、家族にぶつかったときの状況などを聞いた後、9歳のわたしにこう言ったのだ。
あの質問は事故にあったら、被害者に聞くことになっている質問なのだろうか?9歳のわたしはびっくりした。
「いえ…」
とだけ答えたと思う。
もちろん、運転手側の過失で起きた事故だったので、罰せられたとは思う。
わたしの答えで大きく変わることはなかったと思う。〈わからないけど〉
でも、小さな事故でもショックを受けていたこどものわたしは、わたしの一言であの運転手さんの人生が変わったらどうしよう、と不安に思った。
あの事故のときのわたしは、悪くなかったけれど、事故によって運転手さんの人生も狂ったら大変だと思った。
あの事故があったから、わたしはより事故に気を付けるようになって、見えにくいながらも無事に生きてこれたのかもしれない。
***
子どもが産まれてからは、より気を付けて歩くようになった。
子どもが事故にあわないようにと。
やんちゃな元気な男の子を育てているので、本当に大変だった。
息子を連れて歩いているときのわたしは、事故にあわせないようにと、そればかり考えているので、いつも気を張っている。
「手をつないで歩こうね」
って言ったら、素直にそうしてくれる子どもばかりではなくて。うちの息子も手なんてつないでのんびり歩きたくないよ~走りたいよ~っていうタイプだから、道を歩いているときは本当に気を付けてきた。
絶対にこの子を無事に大人にするんだという強い気持ちを持って。
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小学生のときの事故、子どもが産まれてからより気を付けていた自分の気持ちを忘れちゃいけない。
今年は本厄。厄年を気にしすぎちゃいけないけれど、気を引き締めなくちゃいけないと思った出来事だった。
早いとこ、厄払いに行かなきゃ!