自慰とも、逃避とも言える。
書いている人達がどういうメンタル状態で書いているかは聞いた事が無いのであまり知らない。
私の場合、メンタルが飽和状態になった時に書いてる事が多くて、いわゆる情緒不安定になった時の鎮静方法としてやっている。
だから普段の私とのギャップのあるものが書けて、私としては満足している。
長らく(小学生中学年あたり)ネットの住人として生きてきて、人との対話は耳に頼ったものよりは活字がメインで、その結果ネットとリアルでの人との接し方の価値観も人生観も人とは違っている自覚はある。
その辺の話は追々書く。
自分達は正常だと思ってる人達にとったらかなり気持ちの悪い内容になってしまうんじゃないか、と思っていて今からでも書くのが楽しみになっている。
ざまぁみろ。
退屈に小奇麗で清楚な常識人顔して腐っていきやがれ。(誰かに向けて)
書いている時の私は、書く世界の世界線の方に色々移入していて、人として結構なポンコツになっている事が多くて、感情の吐き出しとしても書いているので、リアルの方では全く物静かでむしろ反応が鈍い事が多いそうだ。
ずっと夜の住人で、10代後半から夜職で毎日ひたすらシェイカーを振って、客のゲロを片付け、同僚の黒服達から処女であることをいじられ続けて過ごしたあたりから単発睡眠傾向が強くなって、夜職をやめて昼職になって10年以上過ぎているけどそれはなかなか改善されず、猫が夜な夜な起こしに来る事も相まって目の下のクマは同僚から「仲代達也」と言われるくらい深刻なものになっている。
そういう夜更かしな私を慰めるものの一つが活字で、こうやって文章を書いてる時が実は安らいでいる時でもある。
そして、自己紹介の苦手な私にとっては、私が私の姿を示せる方法の一つだったりする。
ただ、人にとってはどうしても感受性の受動体(わかりやすく言うと、受け取り方)が違っているから、相入れなかったり誤解されたりも多い。
書いて書いて、自分を伝えても相手の中にある主観や固執でそれが歪まされてもの凄い歪み方で返球された時は、実はゾワゾワしている。
人間って面白い、って。
そこまで自分の中の固執が大事なのか?と。
だから書いてて楽しいし苦しいし吐き気が出るし、人を好きになれるし心底嫌悪もする。
人を書いて、自分を書いて、愛を語り、愛で騙る。
書くって何か?
知らん。私も知りたい。
ただ、書きながら聞く音楽は最高。
—―「書く。」おしまい—―